2012年8月31日金曜日

死の天使を撃て!

第2話、ブエノスに遠い国から来た狼達、‏


 43)別れの宴、

健ちゃんはエンカルの町を、なれた感じで運転して行った。
私はお土産を買いに日本人の平氏の店で買物した。これから健ちゃんの家を
訪ねるのに、色々な目に付く美味しそうな物を買った。

健ちゃんは、嬉しそうに見ていた。おそらく今夜が最後の食事となり、明日は
お別れになると感じていたから、ビ-ルなども買って吉田氏の家に戻った。

ルーカスの犬も喜んで、早速に出迎えた犬達とじゃれて遊んでいた。
私は庭でバーべキューの用意を始めて皆が揃うのを待っていた。

健ちゃんは先ほどから風呂に水を入れ火加減を見ながら、風呂を沸かし始めた。
奥さんは私達がそろって戻って来たので、忙しく台所で夕食の準備を始めていた。

その時、吉田氏が帰宅して、健ちゃんが父親の手を引き車を見せていた。
驚いて私に聞いて来た。『どうしてこんな子供に・・!』
と言うと『随分値段がしたでしよう・・!』と言って聞いて来た。

私は、『知り合いから安く譲ってもらった・・!』と言って
車検証を見せた。買主欄に『Kenichi Yoshida』と記入されているのを見て、
吉田氏はもっと驚いていた。

私は事情を説明して『これからの仕事と、日本人社会の為に使ってくれ!』と話した。
『また来たら乗せてもらうから、健ちゃんに預ってもらう』と言って安心させた。

健ちゃんは今までバイクと馬車での仕事で時間が掛ったので助かると話していた。
それと耕運機での運搬は遅くて、余り積めないからどれだけ助かるか・・!と
ハンドルを握り父親に計器類を説明していた。

火に乗せていた肉が焼けて、あたり一面に美味しい匂いが漂い、台所でも何
かご馳走が出来ていた。
下の二人の弟と妹がテーブルを作り、母親の手助けをしていた。

健ちゃんが風呂が沸いたと言って来た。
『一風呂浴びてから食事にしよう・・』と話して来た。

私は喜んで風呂を浴び、浴衣を借りて着ていた。何か日本に居た時を思い出していた。
ルーカスが珍しそうに見ていた。

食事時間となり、ビールの冷たく、キューと喉にしみる感じで乾杯して、
食事が始まった。
家族的な暖かさがテーブルに漂い、何もかも忘れる感じて心豊かに楽しんでいた。

表の入口あたりで犬達が騒いで誰か来た感じがした。
健ちゃんが出て行き、知り合いの児玉氏を連れて来た。

私も知っている人で、エンカルで小さな整備工場を開いていた。
移住地から出てきて、農場と掛け持ちで人を使い車やトラックターなどを修理、
整備していた。
日本でも仕事をしていたのでかなりの腕を持っていた。

彼は私が勧めるビールを飲みながら話してくれたが・・、
『日本に帰るから、誰か店を引き受けてくれないか』と話して、事情を説明して
くれた。
『兄が交通事故で急死して家を継ぐものが居なくなった。』と言った。

『子供がなくて養子をと話していた時で、困っているから・・・!』と言うと、
『日本の春の植え付けまでには帰りたい』と言うと、吉田氏に相談していたが、
『整備工場と工具一式で妻と子供の飛行機代が有れば』と話していた。

『妻が妊娠して長旅の船は無理だから!』と言うと少し困っていた。
私は酒を注ぎながら売値を聞いた。指を3本出して来た。
『ドルで3千ぐらいか・・!』と言って私に聞いて来た。

『妻を送り出して直ぐに自分は家財を持って船に乗船するから・・!』と言うと、
真剣な顔をして私を見ていた。
健ちゃんはパートで仕事を手伝っていたから、話を聞いて凄く乗り気でいた。

真剣な顔で私を見ていた。また表で車が止る音がして誰か訪ねて来た様だ。
健ちゃんが出て行き、ヨハンスを連れて来た。

私はグラスを差し出して、ビールを注いで乾杯した。
飲みながら今までの話をして、児玉氏を紹介した。それから話が急展開して行った。

健ちゃんが目を大きく開いて見詰めて、聞き耳を立てていた。

2012年8月30日木曜日

私の還暦過去帳(291)

『もと百姓が見たインド』

前回、05年に訪れた時は2月でしたが、今回は年末から、1月の
半ばまで滞在いたしましたが、田舎に行けば稲刈りが終わり、綿の
収穫も済んでいました。

広々と広がるインド平原の中を、車を走らせましたが、どこまでも
広がる青々とした麦畑には感心致しました。
まだ10cmぐらいでしたが、食料自給が出来る体制には農民の熱
意が染み込んでいると思います。

今回のインド訪問は次男の招待で決意いたしましたが、内心は歳を
積み重ねるごとに心感じていた、インドの仏教遺跡への巡礼訪問で
した。 仏教聖地の巡礼は多くのインド隣国、ブータン、ネパールな
ど、チベットからも来ている多くの仏教徒を目にして、その信仰心
の情熱を心感じました。

デリーの国際飛行場でも、近隣国から来た僧侶が 仏衣をまとい、
僅かな手荷物で巡礼の旅に出る様は、インドが仏教の聖地として存
在する事を改めて感じさせられ、行く先々でその様な僧侶が仏陀の
ゆかりの聖地でひれ伏して祈り、座禅を組み、瞑想している姿を見
ることが出来ました。
また、ブータンからはるばるバスで訪問して来た若い僧侶の集団が、
引率の老いた僧侶に従い、仏陀の前でお経を唱えている姿が印象的
でした。 法衣の片袖から腕を出して、キャンデーを出して食べてい
る童顔の若い僧侶達が、道路わきの小道を並んで宿坊に帰る姿は、
今もこのまぶたに残っています。

デリー国際飛行場も大改革が進められ、あちこちが工事中でした。
3年前は古いトイレで、古式なスタイルに驚きながら使用いたしま
したが、今回はその場所も増えて、まったく新しい様式で最新な設
備を設置してあり、安心して使用することが出来ました。

しかし、現地式と洋式とがあり、現地式は例の水洗ですが自分の手
であそこを洗うという、昔からの伝統のやり方でした。勿論の事に
跨いでする、日本の田舎家庭にどこでも有ったやり方です。
良く観察すると、1mばかりのホースが側に有り、それで散水先が
付いていますので、チョロチョロと水を出して洗う様でした。

次男のアパートでは便座の後ろから細かなパイプがあり、側の水道
口を捻ると水が出る仕組みでした。これは洋式便座ですからその方
が便利で簡単でしたが慣れると紙を使用するより資源の節約、下水
管の保護と次男の説明と合致いたしました。

それと普通に家庭で使用する、トイレのロール紙が4個で150ル
ピーも致します。現在1ドルが38ルピーですから、インドではか
なり高額な値段となります。紙質も私達がアメリカで使用する物よ
りかなり落ちますので、お尻水洗が最上と感じました。

田舎では水の入った壷を脇に置いて、しゃがんでいる人を沢山見ま
したが、中にはお尻が丸見えの人も居まして、のどかでした。
しかし、現実にインドの12億近い人口がトイレット・ペーパーを
使用したら、年間どれだけの森林資源が必要か、驚きに値すると思
います。
一人の人間が一生で使うトイレの紙は、パルプ材にして30cmの
直径で5mの長さで、1本半分になると聞いた事が有ります。
この事に関してもインドは世界経済にも有利に成ると感じます。
次回に続く、

2012年8月29日水曜日

死の天使を撃て!

 
第2話、ブエノスに遠い国から来た狼達、‏

42)帰りの用意、

私は病院のベッドで寝ている四人を見て、先ほどまで命を賭けた追跡が、
ウソの様に感じ、執念の様にして標的を追い詰めていたマリオも、
今ではこのベッドに肩を負傷して寝ている。

その助手の陳氏も同じ運命で、負傷して側に寝ているのが、何かこの
ドラマの運命的な巡り合わせを感じた。

私とルーカスは何事も無く、ルーカスの犬も今はのんびりと、病院の
庭の木陰で昼寝をしている、何も変わらない平凡な光景で、私達が呼
べばスタスタとどこまでも付いて来る、忠実な犬の情景で有った。

ヨハンスと病院の玄関先で、私達と固く肩を抱き合い、握手して別れ
を告げた。
彼は今夜はどこに居るか聞いて来た。

私は健ちゃんと話して、『多分・・!健ちゃんのエンカルの家に泊ま
って居る』と話して、車をスタートさせた。

健ちゃんがジープのワゴンを運転して、私がフォードの車を運転して
いた。

ルーカスの犬も後部座席に座り、窓から顔を出していた。
別れは埃りっぽい道に直ぐに見えなくなった。
エンカルまでの行程で、ルーカスと帰りのサルタ州までの話をしてい
た。
エンカルに着いて私は直接に店を訪ねて行った。店主は私達を待って
いた。
直ぐに店の裏の自宅部分に案内してくれ、車は裏の車庫に入れた。

ガレージの中で、私はフォードのトランクから、全て先日預ったライ
フルやトランシーバなど全て返した。

私が貰ったブローニングライフルとその弾は私が手元に置いた。
店主は中庭の木陰のテーブルに冷たい飲み物を用意して、イスを進め
てくれた。

健ちゃんは犬を連れて、『チョット!、近所の日本人の店に行ってくる』
と話して、裏から出て行った。

私達三人はまず、飲み物を手に店主と今回のマリオと陳氏の無事を祝っ
た。彼はそれを感謝していた。

店主はグラスを手に私のグラスと乾杯して、その労をねぎらつてくれ、
ルーカスに『約束の物だ・・!』と渡してくれた。
ルーカスは少し、ためらって手を出した。数えもしなくてカバンに入
れ、私の顔を見ていた。私はうなずいて黙って見ていた。

店主は私にも何か渡してくれた。同じ封筒で有ったが、私は直ぐに開
けて見た。かなりのドル紙幣が有った。数えもしなく・・、

『これで、ジープのワゴンが貰えるか・・?』と聞いた。
そして、その封筒を押し返した。

店主は少し驚いた様にしたが、直ぐに『売り物だから・・!でも型は
古いよ~!』と言った。
そして『この金はマリオから、貴方に宛てたお金だから・・!』と言
った。

店主は封筒から幾らかのドルを抜くと、後は返してくれ、事務所から
車検証を持って来ると、サインして渡してくれた。

私はペンを借りると、そこの買主欄に『吉田健一』と書き込んだ。
そして電話を借りると、日本人商店に電話して、多分漫画でも読んで
居る健ちゃんを呼んでもらった。
直ぐに電話口に来たので戻る様に話した。

その後、ブエノスの仲買の事務所に電話して様子を聞いたら・・、

『サルタ州から相棒の運転手が急な用で、トラックを取りに来ている』
と話してくれた。
『先ほど来て、近くのカフェーに多分居るから・・!』と話して、直
ぐに呼びに行った。

相棒の運転手が飛んで来て、『良かった・・!今夜でも持って帰るか
ら・・、』と話してホットしていた。
私は駐車場を教え、管理人の名前も教えて、トラックのカギを貰える
様にした。

電話を切って、直ぐに駐車場の管理人に電話して、マタッコ族の
インジオの運転手が行くから、カギを渡してくれる様に頼んで快諾を
取った。

全てが電話で用が済んでしまった。
電話を置いて私は急にホットして気が抜けてしまった。

これからフォルモッサを抜けてサルタ州まで帰ることにした。
近道でブエノスまで戻る事も無くなり、休暇の最後が何か本当の休
みとなった感じがした。

ルーカスも嬉しそうな顔をしていた。そこに犬を連れた健ちゃんが
戻って来た。
私は車検証を見せると、健ちゃんは飛び上がって驚き、
『お父さんも大喜びするーー!』と話してくれた。

彼は店主から車のカギを貰うと、ジープに行って、マリオの拳銃を
ホルスターに入れて持ってきた。
病院で預って車に隠していたと話して、店主に渡した。

私は全ての用件が済んだと思った。
店主と固く肩を抱き合い、握手して店の裏からジープのワゴンを
健ちゃんが運転して走り始めた。

彼が興奮して運転しているのが分った。

爽やかな風が吹いていた。私の心も爽やかな風が吹いている感じ
がしていた。
ルーカスも笑っていた。



あと2回の連載で最終回となります、最後には『死の天使』の、この顛末
の詳細を書いていますのでご覧下さい。
後で知ったのですが、死の天使に掛けられていた賞金は、現在の貨幣価値
にして日本円に換算して10億円ぐらいの巨額な懸賞金が首に掛けられて
いた様です。

この話が終了した後は、第3話、『伝説の黄金物語』と言う、1915年
代にアマゾンからペルーやボリビア。ブラジル各地の南米を放浪した日本
人の古老から、1964年当時に聞いた、南米奥地を歩いた砂金探しの男
達の死闘と陰謀と、それに絡む憎悪の砂金が絡んだ戦いの物語です。

2012年8月28日火曜日

私の還暦過去帳(290)

『もと百姓が見たインド』

4年ほど前にインドの仏教遺跡を巡礼したことがあります。私が子供
の頃から念願としていたインドの仏教聖地を巡礼する為でした。
それと仕事でインドの首都デリーに滞在して居る次男が、その年の5月
で仕事を切り上げて帰ると言う事で、招待してくれましたのでワイフ
と半月ほど訪問していました。

正月は二ユーデリーの次男のアパートで迎え、インドの新年を体験いた
しました。その後、直ぐに旅に出ましたが、初春の旅道は綿の収穫が
終わり、麦の新芽が10cmぐらい伸びている感じでした。
砂糖キビの収穫も始まっており、精糖工場に送る為に牛車で畑から積
み出されて来たサトウキビが、道路端でトラックに積みこまれている

所を何度も旅行中の車から見る事が出来、行き交うトラックもうず高く
積み上げた砂糖キビを満載で、轟音と共にすれ違って行きました。
前回のインド訪問は6年前の2月でしたが、82号からしばらく書き
残しています。今回はインド洋側のムンバイから南に下りて、仏教遺跡
を巡礼いたしましたので、北インドと違う土地も見ることが出来ました。
今回のインド再訪問は半月もの行脚でした。

次男がその年の5月で、インド、ニュー・デリーの仕事も切り上げると
言う事で、丁度、次男の彼女もイギリスから来る事になり、其れに併せ
て仏教遺跡の訪問を計画いたしました。
キリスト教徒がエルサレムを巡礼訪問し、モスラム達がメッカ巡礼をす
る様に仏教徒がインドの釈迦の仏教遺跡を巡礼する事は意にかなった事
と思い、お寺出身の先祖を思えば一度訪ね歩きたい場所でした。

450年前に先祖が戦いに敗れて家族と家臣を連れ、福岡、八女地方で
髪を落とし、寺を建設し村を起こして居付いた時から、私で15代目の
末裔となりその先祖の志を持って仏教遺跡の巡礼の道を歩きました。

しかし仏教遺跡を歩いて心感じる事は、偉大な宗教心とその執念と実行
力です、インドのあの辺鄙な場所から経典を肩に担ぎ、シルクロードを
歩き、日本まで、仏教の経典を持ち帰った三蔵法師の、その偉業を心感
じました。
今回はインドの経済成長に目を見張り、その巨大なエネルギーを感じま
した。去年のTV二ユースで日本の企業へのアンケートに、これからの
投資と企業の展望としての国は何処かと言う答えが全部『インド』でし
た。
それはデリーの飛行場に降り立った時から、湧き上がるエネルギーとし
て、喧騒の町を肌で感じ、3年前に建設していた道路や建物が出来上が
り、また新たな工事が展開されている事を自分の目で見て、これからの
インドが巨象として動き出した感じが致します。 これから農村地帯を

実際に歩いて見て、感じた事も書いてみたいと思っています、時代は動
き、変化して、変貌する様は、実感として体感する現実の現場を持って
計る事が真実を秤り、それから世界に動き出したインドを予測する事に
も成ると感じます。
今回のインド訪問に関連して掲載する写真は、以下のYahooで見る
事が出来ます。
掲載はそのつど、お知らせ致します。

http://photos.yahoo.co.jp/bigbluesky7jp

2012年8月27日月曜日

死の天使を撃て!

第2話、ブエノスに遠い国から来た狼達、‏


41)健ちゃん、18歳の誕生日、

健ちゃんは慌てて、話し始めた。

『さきほど直ぐ側で、私達を襲った現地人が、留置所を出て歩いていた。
 手にはチパーのパンを持って食べながら歩いていて、私に手を振って
いた。』
 
と言うと、『それからもう一人は先ほど車で連れて来た現地人だ』
とせき込んで話してくれた。

我々は笑いを隠しながら、『えらいこっちゃ~!、ランチでも食べたら
追い駆けるか~!』と、ふざけたが、健ちゃんは『そんな~!いいの~!』
と慌てている!

『まず座って、何か注文して、それから腹ごしらえしてからだ』
と言うと、目を丸くして驚いていた。

しばらくは笑いを堪えたが、まずルーカスが『プ~!ガハーー!』と笑い
出した。
あとはゲラゲラと笑う私達に、ルーカスの犬まで驚いて我々を見ていた。

私は健ちゃんをイスに座らせると、良く事情を説明して、話して全て納得
させた。私は健ちゃんに、いがみ合いや、憎しみ殺し合いだけでは何事も
前には前進しないし、増して殺し合いは人間の最低の行為となるから、

私もそれを感じて、お互いが許し合いそれを心に受け入れる事で、和解が
出来るのではと、感じている事を健ちゃんに話した。
彼は納得してホットしていた。

注文の料理が出て来て、我々はがっついて食べ始めた。
犬にも何か頼んでいた物が出て来た。見たら、かなりの豪華な肉の切れ
端や、骨付き肉がパンの耳と皿に載っていた。
犬は嬉しそうにレストランの外の木陰で食べていた。

その時、健ちゃんの友達が声を掛けて来て、『誕生日おめでとう~!』
と声を掛けてきた。
我々は驚いて、『何歳になった・・!18歳~?』と声を掛けた。
健ちゃんは嬉しそうに『そう・・!』と答えると、笑っていた。

我々は歓声を上げて、握手して抱きしめた。
食後のコーヒーに近所のパン屋から買ってきたケーキを飾ると、誕生日
をお祝いした。

それが済むと、警察署に行き、受付に申し出て運転免許の申請をした。
セドラと言う身分証明を見せて、私がお金を出し受付に幾らか握らせて、

『直ぐにお願しますーー』と言うと、私が乗って来たジープのワゴンで、
健ちゃんと係官が警察署の廻りを一周して、直ぐに合格となった。

近所の雑貨屋の片隅でポラロイドの写真を撮ると、待っている間に運転
免許証を作ってくれた。

健ちゃんの嬉しそうな顔を見て、我々まで嬉しくなった。
私はその後、ヨハンスの父親のルガー拳銃とライフルや其の他、私が車
のトランクに居れていた物を返した。ヨハンスと固い握手をした。

病室を訪れマリオと陳氏に、エンカルの店の主人に預ったライフルなどと、
其の他の物を返して汽車で戻ると伝えた。

マリオは『先ほど店の主人が見舞いに来て良く話したから、後は彼と
事後処理を話してくれ・・!』と言うと、固く私の手を握り感謝してく
れた。陳氏も手を伸ばして握手して来た。

向かいに寝ているヨハンスの父親とも握手して別れを言った。

隣りに寝ている現地人が、私に聞いてきた、『私が襲った時なぜ分った
か・・?
今でもそれが分らない・・!頭の後ろにでも目があるのか・・?』と聞
いてきた。

私はおかしくなり、笑いがこみ上げてきた。
























2012年8月26日日曜日

私の還暦過去帳(289)

 
『母と正月』         

私の母は今年で95歳になりますが今も元気で故郷の小倉で過ごしています。
母を思う時に自分もアメリカに来てからの様々な思いと重なり、これまでの
遍歴した人生を両親が歩いた道行と重ねて考えて、ふと・・自分自身が歳を
取ったと感じる時が有ります。 それだけこのアメリカに、長き人生を過ご
したと言うことです。

数年前に帰省した時に、母と暮の押し迫った日に小倉の下町で終戦 後から続
く古い商店街を買い物して歩いた思い出が、軒を連ねた商店の店構えとも重
なり、なぜか子供の頃に買い物に付いて行った事を思い出していました。
そこには当時、鯨肉を売る店が窓口は小さいながら残っていました。

母が「覚えているかい、鯨の刺身を・・」と、その店を覗き込んで鯨肉を品定
めして、「これなら刺身の生で食べられる」と言うと、早速にそれを指差して
注文していました。 その夜、まだ薄く凍った鯨肉を切り、皿に飾って仏壇の
前に置くと、 チーンと鐘を鳴らすと、父の位牌の前で
「今夜は鯨の刺身だよ・・」 と言いながら、父が好きだった酒を供えていま
した。 その時に母と過ごした正月が、私が郷里の実家での最後の正月でした。

それから時は過ぎ、母も老人ホームに入居して、御節料理を作る事も無くなり、
普段の食事もホームでの食事に満足して、毎回の買い物に出歩く事も無くなっ
て、余生と言う人生の豊かな時間を、同じ仲間の入居者と楽しく過ごしている
ことは、私も心休まり、安心の心で居られます。

子供の頃に、まだ田舎が戦後の落ち着きを取り戻してきた時期でした。母が
正月の晴れ着を買うというので、それは新しい学生服でしたが、暮の賑やか
な商店街に出たことを覚えていますが、当時はたくさんの露天も並んで、
それを覗きながら歩いた事を覚えています。

母の自転車の前カゴが先ず一杯になり、後ろの荷台に載せていた ミカン箱
が露天商人の掛け声と共に埋まって行き、しめ縄や飾りの お花も揃い、
母が私に「ほれー、干し柿と乾し芋が珍しくある」と言って、何処かの百姓
が自宅で暇に作った物がゴザの上に置いてあるのを見ていました。

よく見ると田舎の農家が作る大根の乾物も有り、それも細切りと、昔の田舎
で煮付け用にされていた、大きく刻んだ干し大根も有りました。僅かなゼン
マイやワラビの乾燥も有りましたが、私には一番美味しそうだったのは、
白粉を吹いた干し柿でした。 今では思い出しか残っていませんが、当時の
素朴な田舎の年末の状況を思い出します。

正月の晴れ着として当時、成長期の私に、大き目の学生服を買い、「直ぐに
背が伸びて身体に合うようになるから」と言って買っていました。靴も当時
の運動靴は余り丈夫ではなく、靴先から足の親指が覗いている様な靴でした
が、それを見て一足買ってくれた事を覚えています。

母が私に暮から正月にかけて帰郷した最後の時に、年越し蕎麦を作り、海老
天を載せてくれ、まだお代わりがあるからと、おせち料理を作りながら、
紅白のテレビを横目で見ながら台所に立っていました。
熱燗の酒をホイと、コタツの上に置き、「仏様にも・・」と言って、杯を
仏壇の前に置き、「チーン」と鐘を鳴らすと、 「今年は息子がアメリカか
ら帰宅したので、楽しくて賑やかだよー」と報告していました。

なんでもない母の喜びの一言が、ジーンと心に染みて、熱燗の酒が なんと
も美味しかった覚えがあります。その母も紅白が終わり、 除夜の鐘が近所
のお寺から聞こえて来ると、自分の杯を持ち、酒を 満たすと、「また一つ歳
を取るけれど、新年おめでとうー」と言って 私と乾杯しました。

その母も今では老人ホームで何もかも忘れて、その日、その日を楽しく過ご
して、子供に返っていますが、去年福岡に行き、ホームを 訪れたら、しば
らく顔を見詰めていると、いきなり「家の方を訪ねても居なかっただろう」
と言って、「今ではここで楽しく過ごしているから」と話すと、自分の部屋
に案内してくれ、「大抵の物は持ってきたから」と話すと、お茶を入れてく
れました。
私がお茶好きだから、その事を忘れずにいる事は、ありがたいと感じてお袋
の味がするお茶を飲んでいました。 お茶は昔からの八女の深蒸茶で、いまだ
に飲んでいて、それを注いでくれる母に感謝していました。どこと無く昔の
様に直ぐに立って 気を使ってくれる母とは違い、今ではホームで世話を受
ける事に感謝の気持ちを持って、三度の食事や散歩に出る事を話す事が、
現在の立場を表していると思いました。

人には一人の人間として、一つの物語を背負うと言いますが、母も その偉大
で平凡な人生の道を歩んで来て、ここに来て休息の一時を 楽しんでいると
感じます。老人ホームに入居するそれまでは、自宅の裏庭の畑で、自分の食
べる野菜を全部作り、近所や身内に配る事が楽しみでした。

母の道楽と言う事で、趣味と実益を兼ねた野菜作りも全て終わり、 父が残
した盆栽類やカメラも全て処分して配ったり、親戚に持って行ったと話して
いた事が、残された自分の人生の時間を悟っていると感じます。時は流れ、
思い出の彼方に消えて行こうとしている母の面影に私には切なく、時には
やるせない気持ちに自分をさせます。

ふと、鏡に写す我が姿を見詰めて、順繰りと繰り返す人生の道筋に この世
に生まれて来たら避けて通れない道順を思い、なぜか今の母の姿が優雅に
見えます。 人生の悟りも、何事も無く平穏無事の道程を歩いて来た様に、
淡々とした母の生き様を今に残している事は、人生最高の事と思いますが、
今では母を訪ねても一緒に買い物に出ることも有りませんが、昔、元気な時
に、仲良く歩いてショッピング・センターまで歩いて、母の健脚を思い知ら
された事が有ります。
母の健康の秘訣は歩きと言う2本の足で、地に付いて歩いていることだった
と思い、私も母を真似て歩いて居ますが、母の歳になって歩けるか自信は有
りません。今ではホームに入居している方々と散歩に出ても、足には自信が
あるのか、母の好きな所に歩いて行くと言うことで、ホームの係りが「元気
ですよー、何しろ足が丈夫で・・」と言う事に感謝してまた驚いていました。

もはや母の記憶喪失の凶元で、アルツハイマーの症状は止める事が出来な
い定めの様ですが、身体だけでも元気で赤子に戻って、笑顔でニコニコと笑
いながら、記憶はその日だけ覚えていれば昔の事は全て忘れても、何も仏の
下に行く道には差し支え無いと私は思います。

私もあとどのくらい元気で太平洋を渡れるかは、分かりませんが、私が最初
に移住した南米のアルゼンチンの首都ブエノスに、 横浜から船で太平洋を
渡りパナマ運河を通過して到着前に、移民船からの船舶無線で出した無事到
着の電文用紙を前回訪ねた時に見せてくれましたので、その時、親が子を思
う心を噛み締めていました。

今では子が親を思う心を持っていますが、母が持っていた心まではとても、
どんなに努力しても到達できないと思っています。 これからも母が赤子に
戻り息子の顔を忘れても、元気な笑顔で居れば、例えわが身が衰え様とも、
努力して身体を鍛え、訪ねる元気を 維持しておかねばと考えています。

万金の値する母の笑顔を見れば 全てが報われる事と思い、歳が明ければま
た訪ねて行く予定でいますが、それまでと言わず、
永遠の笑顔で待っててください。

2012年8月25日土曜日

死の天使を撃て!



 第2話、ブエノスに遠い国から来た狼達、

40)病室での敵味方、

我々が歩いている後ろから付いて来た馬が、良く見ると2頭いた。

我々の後を付いて来ている、担架を持って歩いているから、馬も時々草を
食べては、我々のゆっくりした歩調に合わせて歩いている様だ。

フォードの車が見え、ホットした。健ちゃんの運転してきた車は側に停め
てあった。
早速、後部座席を倒して担架を入れた。

ヨハンスと健ちゃんが前に乗り、ヨハンスの実家の使用人が父親に付き
添った。
私とルーカスは犬を乗せてフォードの車に乗り藪の中に突っ込んだ車を
出したが、三発ほど弾が命中して穴が開いいたが、エンジンは何ともなか
った。

フロントガラスの運転席側に小さな穴が有り、ガラスの穴から、ひびが走
っていたが、運転には何も差し支えなかった。

私は健ちゃんの後を付いて行き、診療所の病院に着いた。すでにマリオの
手術は終っていた。簡単な手術だった様で、輸血の必要も無かった。

車から担架で運び出されたヨハンスの父は、直ぐに医者の手当てが行われ
ていた。
私はヨハンスを病院の前庭の木陰に連れて行くと、全てを順序立てて話した。
彼は何も言わずに聞いていた。

私が話しをあらかた終ると、彼は、父を車から降ろす時に私に話してくれた
と言った。
それは『ルーカスが自分を助けたから、客人を狙撃出来ずに逃したーー!』と、

『三人の父の使用人は長い間働いている、15年近くも仕事をしている忠実
な現地人で、まるで父の私兵の様だ・・』とも言った。

ヨハンスは私の手を握り、『お互いが信念として、命を賭けて動いた今回の
出来事を水に流してくれないか・・!』と聞いた。

『私の父もこれが最後になると思う、今度また発作が起きたらおそらく命は
無いから!』と言うと、『これから父の使用人を警察から受け取ってくるから、
貴方も来てくれーー』と言った。
近くの警察の事務所に行き、受付けで用件を話すと、直ぐに裏の小さな留置所
に案内してくれ、『この男かーー!』と聞いた。

『そうだ・・!』と答えると、受付けに戻り、タイプを打って
『釈放同意書だ、サインしろ』と言った。
私はサインして彼が保証人だとヨハンスを指差した。
すぐに事務の男は現地人の使用人を連れて来た。

ヨハンスはいくらかの金を渡すと、『これで食事をしてから、馬が2頭、現場
にまだいるから連れて帰ってくれ』と指示して病院に戻った。

病室に行くと驚いた事に、四人相部屋で、マリオとその横に陳氏が、向こうに
ヨハンスの父親と足を負傷した使用人が仲良く寝ていた。

何か笑いがこみ上げて来た。
ルーカスも笑っている、おかしさを堪えきれない様で、外に出ていった。

私は『ここは病院だから、拳銃やナイフの類の凶器は持ち込めないよーー!』
と言った。
マリオが『笑わせないでくれ・・、傷が痛む・・!』と言った。
私は『そのくらい元気なら大丈夫だ・・!』と言って部屋を出た。

ルーカスとヨハンスを誘って、近くのカフェー兼、レストランの小さな店に
入り、ランチを注文した。
ビールを注文してそれをグラスに注ぐと、カチーンと合わせて飲んだが、
全てが流れて、消えて行く感じがした。

遅れて健ちゃんがやって来たが、何か慌てている感じたした。

2012年8月24日金曜日

私の還暦過去帳(288)

私がこの歳に成っても忘れる事が出来ない事が有ります。
年末の僅かな数日の昔の思い出が、いまだに時々思い出します。

私が南米移住したパラグワイから、アルゼンチンのブエノスの
首都に出て来て、安いペンションの宿で生活していた時代です。
隣の部屋に住んでいた現地人の若い男と仲良くなり、近所の安い
レストランも紹介してもらい、時々は二人で食事にも行きました。

彼は2つの仕事を持って、週末や正月も無い様な忙しい日を過ご
して居るようでしたが、彼の癒しはギターを弾いて、故郷の歌を
唄う事のようでした。ある日彼と夕食に出て、その帰り道に仲間
が集まるカフェーに誘ってくれ、そこでコーヒーを飲んでいました。

場末の小さなカフェー屋です、テーブルも少なく、客もまばらで
した。隣のテーブルには若い女性が居ましたが、彼が誘うと同じ
テーブルを挟んで座り、話が弾みまして、楽しい一時となりました。

彼女達は近所の屋敷の、住み込みお手伝いさんとして働いて居る様で、
仕事が終わって近所のカフェーに仲間の友人と誘って来ている感じが
しました。 都会の底辺に働く、田舎から出てきた若者達が僅かな憩
いと、安らぎの時間を掴んで、若い者同士で恋の花も開いている感
じもしました。

久しぶりに楽しい時間を過ごして、明日の大晦日にもここに集まる
と言う事を約束しました。隣の部屋の友人とまた出かけて行きまし
たが、彼女達はアルゼンチンでクリスマスや正月に作る、フルーツ
ケーキを包んで持参していました。

安いシャンペンを1本注文してグラスを揃えて注いで、乾杯いたし
ました。遠くで花火が上がり、街頭には警笛を鳴らした車が通過し
て行き、午前零時が近くなった感じでした。外の街角では盛んに
ラッパの音が響き、号砲が鳴り出して、零時が告げられた時に彼女達
が軽くキスをしてくれ乾杯のグラスを上げました。

彼女の一人は胸の前で十字を切ると、今年も良き新年である様にと
祈っていました。 しばらくして、遅くなったので住み込みの屋敷ま
で見送る途中で、教会の前に来たら、階段の前で膝を折り、何事か
神に祈っていました。
彼女に後で聞いたら家族の幸せと、実り多い収穫を祈っていたと教え
てくれましたが、素朴な願いに心を打たれる感じが致しました。
私も彼女を屋敷に送り届けて、帰り道にその教会前で祖国日本に居る
両親や姉妹を思い、友人達を思って頭を垂れていました。

それから月日の経つのは早いものですが、時々その時の事を思い出さ
れます。

2012年8月23日木曜日

死の天使を撃て!

 第2話、ブエノスに遠い国から来た狼達、‏

 (39標的の逃亡  

私はヨハンスの父親を助けたかった、彼の息子と仲良くなり、事はどう
あれ、一人の命を助けたいと感じた。

確かに私達はここまで標的を追い駆けて、その命を賭けて追い詰めるそ
の執念と情熱にほだされて協力したが、最後の、このプロペラの回転音
が微かに聞えるパラナ河のここまで来て、逃がす為に命を張って標的を
連れ、守り、援助してここで倒れている一人の老いた人間を見て、複雑
な気持ちになった。

彼には彼の信念が有り、それが命を賭けた行動となっていると感じた。

それよりも一人の人間の命を、事はどうであれ助ける事に決めた。

私は肩からライフルを下ろし腰に付けた物入れから、小さなプラスチッ
クの折りたたみの水筒を出すと、小川から水を汲んできて、飲ませて楽
にさせた。
彼は水も口にせずここまで急いで来た感じがした。

微かに手を動かして。私の手を握り感謝の言葉を言ってくれた。

私は彼に『もうじき担架を持って迎えが来るから・・!』と耳もとで
話した。

彼はルーカスの事を『彼は私を助けなかったら、もしかして、私の客人
を狙撃して倒す事が出来たかも知れない・・・、しかし、彼は私を見捨
てなかった。
犬に伝言を書いて、それを貴方に知らせることまでしてくれた。』

彼はそれまで話すと、疲れたのか黙ってしまった。

その時、微かに飛行機のエンジンの馬力を上げる甲高い音がして、私は
一瞬、水上飛行機がエンジンを全開し離陸の為に、パラナ河で滑走を始
めたと感じた。

かなり持続して連続した爆音が響いていたが、急にそれが途切れ、あと
は軽い音に変わった。
微かにジャングルのこずえの先に機影がかすめて飛んで行ったのを確認
した。離陸して空中に飛び上がり行き先を定めて旋回したと感じた。

私はそれを確認すると、ヨハンスの父親の耳もとで・・・、
『貴方の客人はブラジルに向かって飛び立った様だ、これで全てが私も、
 貴方も終った様だ・・!』と話した。

彼は無言で、私の手を握り締めた。

爆音が消えた後はジャングルには静かな静寂が戻って来た。側で鳥が鳴
いていた。鳥の鳴声が耳に爽やかに聞こえて、今までの緊張が吹っ切れ
た。

私もどさっと草むらに寝転がって、彼の横に寝ていた。
物入れから水笛を出して、鳴いている鳥の鳴き声を真似して吹いた。

軽い鳴声で、ジャングルから覗き見える青空を見上げながら、無心に水笛
を鳴らしていた。
どのくらい時間が過ぎたか覚えてはいなかった。

ふと気が付くと、同じ音色で鳴いている声が聞こえたが、それはルーカス
の鳴らす水笛と直ぐに感じた。
ルーカスの犬は尻尾を振って耳を側立てて喜んでいた。

彼は一発も撃つ事無く帰って来た様だ。しかし彼の姿が見えて来た時、
誰か側に居るのが分った。現地人がルーカスに促されて歩いて来た。
彼の手には見なれないルーガの自動拳銃が握られ歩いて来た。

おそらく、現地人が持っていた物を取り上げたと感じた。
ヨハンスの父親が腰に差しているホルスターは空で、おそらく現地人に
持たせたと感じた。

ルーカスは私の側に来ると荷物を下ろして、まずゆっくりと水を飲んだ。
そして現地人にも飲ませると、『やれやれ・・!全ては終った。
えらい休暇だった。』と言うと、現地人を促して小枝を切って担架を作
り出した。

皮ひもとツタを上手に使って、人が乗せて歩ける様な担架を作ると、彼
を引き起こすと担架に乗せ、前を現地人に持たせ、後ろをルーカスが持
って、私にライフルなどの荷物を持たすと、カバンを背中の後ろに廻す
と歩き始めた。

ルーカスの犬がピッタリと現地人の横を歩きながら監視していた。
ヨハンスの父親は青ざめた顔で目を瞑って無言で乗っていた。

道の良い小川の横の道をたどって歩いて行ったが途中で、トランシーバ
ーの呼び出しが有り、健ちゃんが『もう直ぐ着くがどの辺かと聞いた来た。

私は担架を作りそれに乗せて戻って来ていると伝えた。するとヨハンス
の声が響いて、『今日、病院の診療所に行ったら、えらい事になって、
父親も発作で倒れていると聞いて、慌てて健ちゃんと車で来た』と話して
くれた。

事情はともかく今は一人の人間の命を救う事が先決だと話した。
彼は納得して感謝していた。

微かに藪に突っ込んだフォードの車が見えて来た。

2012年8月22日水曜日

私の還暦過去帳(287)


かなり前になります・・、

アメリカ人と日本の食糧問題で言い争った事が有りました。
彼は日本にも、ベトナム戦争時代に滞在した経験がある人でした。
両親も農場を所持して、かなり大規模なトウモロコシと大豆の生産を
していた様でした。
その論争の中心は日本は世界から食料を輸入しているのに、その船の
シー・ラインの安全確保と、維持はどうするのか・・、と言われれた
事が発端でした。

また激論の中に彼が言う事が増えて、オイルはどこからタンカーで運
んで来るのか、鉄鉱石や関連資材も全部輸入だから・・、と詰め寄られ、
返答に困った事が有ります。
正直言ってその事は本当であり、現実として我々日本人が認めなくては
ならない事などです。

アメリカ人が感心して言う事は、日本は原油生産はゼロに近く、石炭生
産も中止して、天然ガスも殆どが輸入で、産業活動に必要な鉱物資源も
殆どが輸入に頼っている国が、おまけに食料生産も実質28%程度の自
給率に落ちている事は、どこを見ても 良い所は無い感じですが、それで
も人口1億人以上の人口を支えて、この地球の生存競争から生き残り、

世界の生産商業活動の中で立派な地位を確保している事は、日本人の知
的水準の高さという事だと判断していました。
それがアメリカ人が考える正解かもしれません。

しかし、日本がバブルの景気に浮かれている時に、ゆとり教育と言う旗印
で、教育改革がなされ、学力低下が顕著となりました。
当時、アメリカは教育水準の低下で、学力テストの大幅上昇した学校や
クラスの先生にはボーナスを出す様な奨励策を採っていた時代です、日米
相反する教育方針の差が国民の思考の差になったのかもしれません。

アメリカに住み着いてアメリカ人と論争すると、まったく視野の違った角度
で物を見ています、それが物の見方の違いと言い切ることは出来ませんが、
しかし、現実を見せ付けられる事は余り気持ちの良い物では有りません。

日本人の血が騒ぐと言うか、アメリカ市民として帰化して、選挙権もカリ
フォルニア州民として義務を負う人間となり、顔だけのアジアンとして、
また日本人として、まだ日系アメリカ人とは自分でも言う事は中々言えな
い気持ちがしますが、まだ心の心底には祖国ニッポンと言うアイデンティ
ティー(Identity)同一性 、心理学でいう 自己同一性に振り回されている
のかも知れません。

歳が明ければ36年目のアメリカ・・、やっとアメリカをかみ締めて味が
出て来たこの頃と感じるしだいです。

2012年8月20日月曜日

死の天使を撃て!

  
第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』

(38) ヨハンスの父親発見、

健ちゃんの運転する車が到着して、彼が飛び出して来た。

健ちゃんは現地人が足を撃ちぬかれて、血を流しているのを見ると、すぐ
さま車から緊急医薬品の入って小さなバックを持って来たが、マリオの肩
の傷を見てもっと驚いていた。
まだ竹の刺が残っていたからであった。

健ちゃんと私は現地人の足の血止めをすると、両脇を抱えて、車の後部の
貨物スペースに乗せた。
マリオは後部座席に横にさせて乗せ、最後に後手に縛った現地人を同じく
後部貨物部分に座らせた。

かなりの時間が掛り、私が助手席に座り、車を健ちゃんがスタートさせ様
としている時に、犬が猛烈な早さで走ってくるのが分った。

ルーカスの犬である、驚いて見ていると、車の側まで来ると、首輪に何か
紙切れが挿んで有る事が分った。

降りてその紙を見ると、走り書きで・・、
『ヨハンスの父親が倒れている、狭心症の発作かもしれない、見捨てられ
ないので助けに来てくれ、私はこのまま馬で追跡する』と書いてあった。

健ちゃんに頼み、また診療所まで運んでもらう事にした。

私はマリオのサブマシーンガンはフォードのトランクに仕舞った。
ルーカスの犬が私を見て待っていた。
健ちゃんは一人で運転して行った。

私は犬と共に、ライフルを背中に早足で歩き出した。
するとほんの少し歩いた所で、馬が草を食べていた。
まだ鞍も付いている状態であったので、私は馬をおどろかさない様に近
ずき、たずなを握った。

馬に跨るとかなりの早さで追跡を始めた。近道のジャングルの道ではな
く、小川沿いの小道で有った。
ルーカスの犬は前に立って早足に案内してくれた。

しばらく行ってから、ジャングルからの近道が、かなり近い現場でルー
カスの犬が立ち止まり、草むらを『ここだよー!』と言う感じで、私に
教えてくれた。

草むらにヨハンスの父親が横たわって微かにあえいでいた。

私は耳もとに口を付けて、『ニトロの薬は飲んだかと聞いた。』彼はう
なずいて、首からさげたカプセル入れを見せててくれ、もう1錠を舌の下
に入れてくれと頼んで来た。
私は錠剤を彼の口に入れ、シャツを緩めた。ルーカスの犬も心配そうに
見ていた。

私はトランシーバーのスイッチを入れ交信して健ちゃんを呼んだ、直ぐ
に応答があり、マリオの手術の準備をしていると返事が帰って来た。

私は短くヨハンスの父親が狭心症でパラナ河に行く途中で倒れているか
ら担架を準備して迎えに来てくれと話した。
彼は直ぐに了解して、病院の担架を借りて直ぐにそちらに戻ると言って
くれた。

とても馬に乗せて戻る事は出来ないと感じて、楽な姿勢にして寝かせて
いた。
私はおそらく彼が私達が狙う標的を連れてここまで来て、発作を起した
と感じた。

そして標的を現地人が守って最後のパラナ河の目的地まで連れて逃げて
いると感じ、何かヨハンスの父親の執念を感じた。

微かに飛行機のプロペラの回転音が聞えて来た。

かなり離れた所からで、パラナ河の大河の流れのどことなく湿った感じ
に乗って音がして来た。
私はルーカスがどこまで接近したか不安になった。

ルーカスの犬が耳を立てて、音を聞いていた。

2012年8月19日日曜日

私の還暦過去帳(286)

今は地球の温暖化現象で異常気象が多発する様になりました。

これも地球に住む人間達がなした業です、それも化石エネルギーの過多な
使用が20世紀の気象まで変化させたのです。
それに飽くなき人口増大の余波で世界の多くの森林資源が破壊されました
が、すでに40年も前からその危険性が話されていたのでした。

私が南米の奥地に住んで農業をしていた時代はまだ、ジャングルを切り開き
農地を造成していました。乾燥期には天を焦がす様な山焼きの凄まじさを見
る事が出来ましたが、その様は50km離れた場所でも見ることが出来まし
た。
地と天が黒煙で繋がっていたのです、山焼きをする前に切り倒されたジャン
グルの中に入ると、開かれた森林の隙間から日が差し込み、地面に新しい
命が芽吹き、凄まじい勢いで再生する自然の力を見せ付けられたのでした。

巨大なブルドーザーがジャングルを押しつぶしたり、森林をなぎ倒さ無けれ
ば地面は何百年も積もった落ち葉の堆積に腐葉土化した腐葉土が堆積して、
自然の中で小動物が生きていられる環境でした。
同じ開墾の仕事でも森林を一本一本斧とチエンソーで切り、根は掘り起こし

て、しっとりとした地面をトラックターが土越しをして農地に変えていく事
をしていた人もいました。『ブルドーザーが土を固め、殺してしまう・・』
と話していました。彼は土も生きていると言って大事に扱い、農地に変えて
いく過程で太古の昔から生きて来た微生物が作物を育て、守り、成長させる
という話をしていましたが、ジャングルを切り開いて差し込んだ太陽の光で、

腐葉土の中から生の息吹きがして、沢山の新芽が天井の空にめがけて伸び
出す様は、この地球の生命力を感じさせ、自然が描き出す緑のキャンバス
と感じます。
人が二人で抱えきれない様な大木でも、地面に倒しておけば、2年もせずに
ボソボソに腐って行きます。

百年生きた大木でも一度その生命を失えば、また朽ち果てて自然に戻ると言
うサイクルを繰り返すのです。私が37年も前に、アマゾン河の上流から河
口の町、べレムに夜間飛行で飛んでいた時に、延々と燃え盛るジャングルを
見る事が出来ました。赤くチカチカと瞬く夜の火は、何か幻想的な感じも受
けましたが、それはまたジャングルの自然の弔いの送り火でも在ったのです。

もはや人間が、人間を追い詰めて、生きる世界をちじめて、食と奪い、生存
の呼吸も制限される様に成りました。50年も前からのスモッグの蓄積は、
今ではこれからの永き生命を営む子供達にも、容赦なく襲い掛かり、これか
らの生活基盤の地球を住みにくくしています。

神は『地球温暖化と言う問題定義』で地球に住む人間達に修練と言う戒めを
与えていると思います。

誰かが話していたが・・、

 人間の強欲さは、人間自身の命までちじめて
 人間の愚かさを晒し、神の摂理まで欲で潰している。
 人間は地球と言う一つしかない船の乗組員とも思っていない。
 人間の愚かさは、集団で海の中になだれ込むネズミの自滅と正に、同じだと・・!

2012年8月18日土曜日

死の天使を撃て!

 第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』
 
 
  (37)突然の襲撃者、

私は聞き耳を立て、エンジンの音を聞いていた。

突然銃声が遠くでして、また撃ってきた。弾が前のバンパーに当たった。
『カーン~!』と甲高い音がして、弾はどこかに飛んで行った。
正確に射撃をしているのが分かった。

私は前輪の横でライフルを構えて、銃身をバンパーの横から出して、撃ち返し
ていた。考えると、マリオと私が車の陰に釘付けになっていた。

しかし、動く事はもっと危ないと感じた。
相手もこちらがサブマシーンガンとライフルを持っている事を知っているので、
かなりの距離から狙って来ていた。

私は弾が弾倉に残り少なくなったことに気がつき、弾をマガジンに挿入して
補充しようと、タイヤのホイルの横に身を潜めて、弾を入れ始めた時に
クローム・メッキのタイヤホイルのピカピカに凸面鏡の様に光った部分に微か
に人影が見えたような気がした。

後部タイヤの横にはマリオが伏せて身体を休ませていた。

だんだんとエンジンの音が近くなった。
しかしジーゼルエンジンの音で、大型トラックが爆音と埃を上げてスピード
も落さずに過ぎて行った。
アッと言う間で、飛び出して助けを呼ぶことも出来なかった。

しかしその轟音の中に人影が音を殺して、近ずく気配がホイルに写していた。
凸面鏡の原理でかなりワイドに背後の景色が見えた。

キラリと山刀が光ってマリオを狙って襲う感じがしていた。
『危ないーー!』と感じてホイルの鏡を見ながら間合いを見ていた。

サブマシーンガンを狙っていると感じた。

襲撃者に覚られない様にして、腰のホルスターから拳銃を抜撃ち出来る様
に構えて、ルーカスが罠の用心にベニア板で作ってくれた板を、伏せるの
に身体から外して、地面に置いていたから、その皮ひもを片手に握り、気合
を入れて間合いを計っていた。

相手が一瞬の隙を狙った感じで、ダッシュして突進して来た。

私も全身の力で飛び起きて、マリオの上にベニア板をかざして山刀の振り
下ろすのを止めた。
『パターン~!』と山刀がベニア板に当たり、横に滑った。

同時に私の拳銃が火を吹いた。

私は相手を突き飛ばす感じで体当たりをしながら、至近距離から、おそら
く拳銃の銃身は相手の足に触っていた感じで、膝の辺りを、三発ぐらい連射
していた。

マリオが驚いてガンに手を伸ばしていた。
マリオが身体を起して、サブマシーンガンを構えた時は、襲撃者は足の膝
を撃ち抜かれて、山刀は放り出して倒れていた。

危うい所で有った。私は事の成り行きを確認するとまた車の陰に隠れた。

マリオが銃を構えて車の陰から相手を狙っていたので、血が噴きでる足を
押えて、もがいている現地人の襲撃者は観念したような感じで、へたり込
んでいた。

その時、水笛が鳴いていた。私はルーカスの笛と感じた。彼は戻って来た
と感じた。
長い様な時間であったが、まだ幾らも時間は経っていなかった。

水笛は『来いーー!来いーー!』と呼んでいた。

気がつくとライフルの射撃が止っていた。

シーンとして静かなジャングルの中に、微かに犬の威嚇する、『グワ~!』
と言う声が聞こえて来た。
私はきっと背後からルーカスがライフルで私達を撃ってきた男を捕まえた
と感じた。

マリオに用心する様に言って、彼が肩のホルスターに入れていた拳銃を出
してやり、スライドを引いて弾を装填して、安全装置を掛けて彼の手に握
らせた。

先ほどマリオを乗せてきた馬は銃声で、どこかに消えていた。
急いでルーカスが呼んでいる所に駆け付けたが、やはりライフルを撃って
いた男は、後ろ手に皮ひもで縛られて転がされていた。

ライフルと弾帯、それに山刀は側に投げて有った。

ルーカスは『やれ・・、やれ・・だな~!』これで一安心、また追跡を始
めるから、今度は馬で追い駆けると言って馬を探しに行った。
トランシーバが呼び出しをして来た。直ぐに現場に着くと言った。

ルーカスの犬が耳を側立てて、音を聞いていた。
私を見てから『来たーー、来たよ!』と言う様に見上げていた。

私は襲撃者を起して、ライフルと弾帯を掴むと拳銃で威嚇して歩き始めた。
現地人はうつむいて、とぼとぼと歩いて来た。

ルーカスが馬を掴まえた様で、それに跨ると川沿いの小道を犬と早足に
消えて行った。
健ちゃんの運転する車が見えて来た。

2012年8月17日金曜日

私の還暦過去帳(285)


私がアメリカに住んで、日本という故郷のふるさとを思う時に感じることは
これからの日本を担う子供達の生き方です。

私は子供の将来を考えて、自分が20台の年齢で南米に移住した経験から、
3人の自分の子供達にはより大きい希望が持てる所で、国が豊かな所が良い
と考えていました。

アメリカは1890年から1920年までに1500万人以上もヨーロッパ
各国から移民が移住して来ましたが、現在のアメリカでは日系人は僅かな数し
か居ませんが、中国人やフィリッピン人など、またベトナム戦争後に大きな移
住集団としてアメリカにやって来たベトナム人などがカリフォルニア州では大
きな人口比率を占めています。
アメリカにはそれだけの人口を支える土地と穀物が有ります。

私も世界を見て日本の食糧自給率を考えると、戦後日本に滞在したアメリカ人
が話してくれた事ですが、『日本が生き残るには頭脳しか無い・・』と話して
いました。それには同感です・・、彼のワイフは日本人でしたが彼の両親は田舎
のアイオワ州で農業をしていた様でした。農業の経験と関心があるので、かな
りの知識を持っていましたが、日本は将来どこから穀物を買うのか、鉱物資源を

どこから輸入するのか・・・、彼が話していた事は真剣で我々日本に住んで、育
った者にしては耳が痛い話しばかりでした。
植物バイオ・エネルギーが石油資源の枯渇から来る、原油価格と連動して穀物
価格が上昇すれば、日本の様に海外に穀物資源を依存している国では、もはや
多くのアジア諸国と穀物資源獲得競争に成ると思います。

どこの国が残り、競争に打ち勝つかは未知数ですが、無い物を探して、競争して
買い取り、それを生かして生き残りを賭けた戦いに必要な物は頭脳と知識です。
アメリカ人が韓国、それに急激に伸びてきた中国やインドでは授業時間を増やし、
て知的競争率を高めて、頭脳的な資源も急激に伸びていると話していますが、
日本では『ゆとり教育』と言う教育時間短縮、減少、切捨てなどで将来の一番重
要な事が消え去って行きました。

多くのニートと言う新しい社会環境の環が広がり、働らけれど最低給料しか貰え
無い世代の誕生は、生活保護家庭の支給金より低い収入で働らかなければ成ら
ない世代、年齢層が幾ら膨らんでも日本の根本的な発展には寄与しないと思い
ます。もはや日本を知るアメリカ人などから、日本の将来を危惧する話を聞く事
は辛いものです。

2012年8月16日木曜日

死の天使を撃て!



第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』


(36)応戦で火吹くサブ・マシンガン。

スタスタと歩いて行ったルーカスが、立ち止まり私を呼んだ。
犬が用心して、尻尾をピント立てて、何かポイントして用心していた。

彼は用心深く近寄り木の枝を切ると、それを草むらに投げた。
『バーン!』と言う音がして、竹が弓なりとなって弾いた。

罠がしかけて有った様だ、彼は山刀で竹を切ると私に見せてくれた。
鋭い刺が先に仕込んであった。マリオがやられたのと同じ感じの仕掛であ
った。

そして近所の足跡を調べて、『この先を三人の人間が歩いて行った・・』
と教えてくれた。

『靴を履いている男が一人、現地人が使う地下足袋の様なアッパラガッタ
と言う作業靴を履いている男が二名、ここを通って行った様だ。』と言うと、

『マリオはここに誘い込まれて殺される所だった様だ、彼等は急いで罠を
仕掛けていたから、先に付ける竹の鋭い刺も一本しか付けてはいない、
本当は三本は付けるから警告の脅しとも取れるーー』と言うと、

『この先は俺だけが行くから、マリオを連れて戻ってくれ・・』と言って
歩き出した。

私は彼のサブマシーンガンを手に、肩を貸してゆっくりと来た道を戻って
行った。
時々、苦痛に顔を歪めながらマリオは歩いていた。

その時トランシーバーが鳴り、健ちゃんの声で連絡して来たので、私は直
ぐに戻って来るように話した。
簡単に事情を説明して、緊急の事態となっている事を知らせた。

私は背中に背負ったライフルを持ち、腰のホルスターには拳銃を差して、
ベルトには山刀を鞘に入れて持ち、片手にサブマシーンガンを持って、
マリオを支えて歩くのは骨がおれた。

マリオは辛そうに顔をしかめていたので、私は木の根っ子に座らせて、
草むらに繋いで有った馬を引いて来た。馬はおとなしく私に引かれて来た。

マリオを鞍に座らせて、鞍の横に彼の銃をぶら下げた。

やれやれ・・で、たずなを引いて川沿いの小道を歩いて車が入る所まで戻
ろうとしていた時、かすかにジャングルの木陰の下草がゆれた感じがした。
誰か居ると感じた。

私はライフルを撃った一人が、隠れて狙撃するのではないかと一瞬、
ドキリと胸騒ぎがした。
ルーカスの犬も居ないし、私はとっさにマリオのサブマシーンガンを鞍か
ら取ると、安全装置を外すと、いきなり藪にめがけて撃った。 
『トトーーー!』と

軽い発射音が響いて、弾をばら撒くだけの銃だが、ジャングルでは絶大な
効果が有った。
弾倉を撃ち終わってマリオのベルトから予備のマガジンを取ると、もう
一度短く撃って、驚く馬をあやして、マリオを乗せた馬を連れて走って逃
げた。

途中で振り返り、短く再度掃射した。誰も追っては来なかった。
やれやれ・・と心の安堵感がして来た。

車が見えて来た。マリオが苦痛の顔をしかめて馬から下りると、藪に突っ
込んだ車から、4個の弾倉のマガジンを居れた予備ケースを出して来た。

フロントガラスに穴が開いて、陳氏が撃たれた事が分った。
車の陰に隠れて、健ちゃんの車が帰ってくるのを待っていたが遠くで銃声
がして、隠れている車に『ポーン~!』と言う音を響かせて、弾が命中す
る音を聞いた。

マリオと二人で伏せて隠くれたが、マリオにサブマシーンガンを渡して、
私は背中のライフルを構えた。ブロウニング、ライフルがもっと信頼性が
有った。

トランシーバで現場が危険な事を健ちゃんに教えた。

また撃ってきた。弾がはじける様に車の鉄板を突き抜けた。
危険なことになって来たが、私は物入れの中からスコープを出してライ
フルに装着し、調節すると狙って撃ち返した。

一発、二発と撃ちながら相手の動きを止めた。
シーンとした時間がただよっていた。

そこに遠くでエンジンの音が響いて来た。帰って来た様だと思った。

2012年8月15日水曜日

私の還暦過去帳(284)

私の父もかれこれ23年も前に亡くなりました。

今生きていたら100歳近い歳ですが、当時、日本人男性の平均寿命
で亡くなりましたが、昔の時代の健康管理は現在の様には進歩してい
ませんので、時代に見合った生涯だったと思っています。

父は九州の福岡で生まれ、昔の高専の工業を出て、台湾の台北市に在
った専売公社に就職して、終戦で日本に引き上げて来るまで住んでい
ました。戦争中は軍隊に徴兵されて、台湾の台北飛行場の防空で高射
砲の部隊を指揮していたと聞きました。

父は終戦で台湾から引き上げてくる時に、僅かな家財しか持てないの
で当時タバコの専売局の工場長をしていた関係で、沢山の知人と部下
が居たようでした。当時の混乱した社会では、タバコは金銭の代わり
にも成った様で、父が終戦後に専売局戻り、部下の生活を案じてタバ
コを融通して切り抜けた様でした。 家族で官舎に住んでいたのですが、

終戦で山の中に疎開していたので専売公社の官舎に戻り、そこで仕事
をしていたお手伝いさんや、その家族に家具などを全部持たせたと話
していました。余計な物は何も持てなかったので、全て知人の台湾人
の方々に配り、 感謝されたようで、日本に帰るまで知人が、米からあ
らゆる食料品を天秤で担いで持ってきたと言う事と父が話していました。

終戦で軍から帰って来ても、士官の軍刀や拳銃も全部現地に残して譲
ってきたと言っていましたが、父は誰からも好かれる人物だった様で
1980年代に台湾を観光訪問した時は、昔の知人や部下などが沢山
歓迎会に来たと、その時の喜びを写真を見せながら話してくれました。

父にとっては顔は分からないような人も居たようで、昔、官舎にお昼
に父の弁当を工場から取りに来ていた少年給仕が、当時は出世して、
そのタバコ工場の工場長をしていたと笑って話してくれました。
父をわざわざ自分で案内して、そのタバコ工場を見せてくれたそうで
すが、父が設計製作したタバコ製造機械がまだ1台残っていたと、喜
びの顔で話していた事を覚えています。

それから、70歳を過ぎて、かなりして再度台湾を訪問したら、多く
の知人が亡くなり、寂しかった様でした。その時の歓迎宴席に部下の
父親の遺言と言って出席して来た息子が持参した手紙が、父の心を感激
させた様でした。
それには『貴方が再度台湾を訪問される時は、再会を約束したが病気
でそれが叶わない・・』と書かれていた様でした。
その父もその2度目の訪問を果たして、その後、二度と昔の故郷台湾
の地を踏む事が出来ませんでした。
私も一度ゆっくりと時間が取れたら、父が話してくれた場所を訪れてみ
たいと考えています。

2012年8月14日火曜日

死の天使を撃て!

第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』


  (35) 待ち伏せで陳氏とマリオの負傷。

私達は用心して、藪の中を歩いて行った。

陳氏の声が聞こえるが、かなり切羽詰まった感じで有った。小川が見えて来
たが、人影が争って水の中で激しく格闘していた。
その時、犬がどこからか飛び出して来た。

ルーカスの犬がパッと飛び出すと迎えておびき出す感じで、少し逃げる様子
で走り、パット仰向けになり降参したポーズをした。
ドーッと犬が覆い被さり噛みついた瞬間、ルーカスの犬が相手の犬の喉を、
下からガブリと噛み付き、激しく両足で相手の犬の下腹を蹴り出した。

犬は棒立ちとなり声も出す事無く横に倒れた。
ルーカスが山刀でその犬を刺し殺してしまった。その間、アッと言う感じで、
事が済んでしまった。
ルーカスは小川の中で格闘する現地人を拳銃で威嚇して、私に陳氏を助ける
様に言った。
私はライフルを背中に背負うと、山刀を手に、陳氏を助けに行った。
小川のなかでへたり込んでいる陳氏を引きずり出して、岸辺に連れて来た。
肩に傷を負って血が出ていたが、撃たれた様な感じであった。

現地人は濁った小川の深みに飛びこむと潜って逃げた。
同時にルーカスが拳銃で撃ったが潜って逃げられた様だ。
どこまで潜って泳いで行ったか分らないが、慣れた感じであった。

私は健ちゃんをトランシーバーで呼んだが直ぐに答えが帰って来た。
片方を車に置いて来た事が良かった。車を運転してこちらに来る様に話した。

了解の返事があり、ルーカスは犬と先に進んで行った。
私には付いて来るなと合図して、用心して藪に消えて行った。

死んだ犬が草むらに転がって、流れ出た血にハエがもうたかつていた。
陳氏はかなり弱っていたが、そこに健ちゃんが車を運転して現場に来た。

両側から抱えて車に乗せ、肩を押えて血が流れるのを止め、後ろの席に寝か
すと、近くの移住地の診療所に連れて行く様に話した。

すると陳氏が『マリオがどこかそこらに隠れているかも知れない、私が撃
たれて車が藪に突っ込んだ時に、ドアを開けて彼は上手く逃げたから・・』
と言った。

『標的は今日、ブラジルに逃げる様だ、水上飛行機を借りた人間を調べた
ら、ヨハンスの父親だった・・』それで追い駆けて来た。

彼はそこまで話すと、ぐったりとしてしまった。
急いで健ちゃんに頼んで車を運転して連れて行くように頼んだ。

そしてトランシーバを必ずポケットに入れて置く様に言った。
エンジンを掛けると陳氏が弱々しく『相手は二人居るから・・!』と注意
してくれた。
健ちゃんが運転する車は土ぼこりを上げて見えなくなった。

私は用心して肩からライフルを下ろすと手に構えた。物入に入れていた私
の小さな水笛に小川の水を少し入れ鳴らした。

澄んだ鳴声が遠くまでジャンブルに響いた。直ぐに返事が帰って来た。
ルーカスが近くに居て答えてくれた。それは『来いーー、来いーー』と鳴
いていた。

健ちゃんが車で出発する前に『この所から、小川を伝って行くとパラナ河
に出る小道が続いている』と教えてくれた。

私は山刀で木の枝を払いながら、歩き出したが、しばらく歩くと馬が2頭、
小川の横の草原に繋いで有った。襲った犯人のものと感じた。

現地人が使う馬の鞍が付いていた。しばらく歩いてまた、ルーカスの水笛
が『ここだーー!』と言う様に低く鳴いた。

ジャングルの茂みを抜けると、そこにマリオが倒れていた。
手にイギリス軍が第二次大戦で使った、弾倉が横に突き出た
『ステーン軽機関銃』を持って倒れていたが、右肩に浅く竹の鋭いトゲが
刺さっていた。

罠に掛った様だ。ルーカスが罠の竹は切り捨てていたが、彼は竹を肩から
抜くと血が吹き出るから、そのまま急いで診療所まで連れて行く様に私に
指示した。
マリオはショックでかなり弱っていた。

ルーカスは犬に命令して追跡を始めた。何時の間にか狙撃ライフルを出
して、弾を5発装填していた。
ボルトを閉め弾を装填すると安全装置を掛けて、カバンから皮袋の水筒
を出すと、近くの小川で水を入れると、スタスタと歩き出した。

犬が勇んで突進した。

2012年8月13日月曜日

私の還暦過去帳(283)

私が47年前、アルゼンチン奥地の農場で仕事をしていた時でした。

ブエノスの首都の仲買人との交渉で汽車で出かけて行った時でしたが、
私が住んでいましたサルタ州、エンバルカションの町からブエノスまで
1658kmは有ります、昔の汽車ですから速度は遅いもので、2日間
の汽車の旅は長旅です。
当時、3等は板イスのベンチも有りましたが、長距離はシートが付いて
いました。 今ではアルゼンチン国鉄は長距離運行は有りません、ブエ
ノスからはツクマンまでが残っていると聞きました。

当時はブエノスからボリビアまでの長距離列車が有りました。 また、
隣国のパラグワイ行きも運行されていました。アルゼンチンのポサダか
ら渡しでパラグワイ側のエンカナシオンまで、汽車がフエリーで濁った
パラナ河を渡って行きました。

私がブエノスに仕事で行く時は大抵はトラック便に同乗して行きますが、
その時期外れでトラックが運行していなくて、汽車を利用していた時で
した。今では駅名も覚えては居ませんが、何処か田舎かの辺鄙な場所で
した。駅といっても、駅舎と周りに小さな町があるだけの田舎町でわび
しい感じが 溢れている駅で、しばらく停車していると、どこと無く物売
りの住人が現れて列車の下に来て何か売り始めました。

駅の構内は警備員が居て直ぐに追い払われていて、線路外の柵の外から
声を掛けて売っていました。 私も列車の中から見ていましたが、売り子
はバスケットを乗客に見せて何が 有るのか直ぐに分かるようにしてくれ
ましたが、中に足の不自由な若い女性が子供を連れて何か声を出して販売
していました。
バスケットの中にはトウモロコシの皮で包んだ日本のチマキの様な物と、
カツサンドを持っている様でした。ありきたりの軽食です、列車内でも
販売に来ますので余り売れは芳しく無いようでした。私は長時間のイスに
座ることに疲れて、列車から構内に降りて歩いていました。

側にバスケットを下げた売り子が声を掛けますが、食べたい物は無くて、
丁度足の悪い女性が居る所まで来たら、立ち上がって『まだ暖かい・・!』
と言って、チマキに似た物を見せてくれましたので1個買い試食しました。

適当な暖かさで食感もよく、中に入っているトウモロコシの粉と挽肉と野菜
の混ざりも良くてすっかり気に入りまして、2個ばかり追加して食べている
と乗客が窓から『美味しいか?』と聞きますので、私は『これはうめ~!
食い物だよー!』と言うと、知り合った乗客が『こちらにカゴを持って来
い・・』と言うので車内にバスケットを借りて持ち込みました。

私がふざけて『美味いよ・・!これは最高だよー!』とおどけて言うと、
アッと言う間に売れてしまいました。カツサンドも美味しいニンニク香り
のソースで私も2個ばかり夕食に取りましたので、何も残らず売れてしま
い、かごの中は投げ込まれた金が代わりに入っていました。

その女性にバスケットのカゴを渡す時に、私はポケットからまた幾らかの
金を足して渡しました。 子供は彼女の手の中で眠っている様でしたが、
感謝に溢れた眼差しで見詰められた事を覚えています。汽車の出発の警笛
が鳴り、列車の外に下りていた乗客が乗り込み、車掌の笛が鳴った時に、
柵の上に載せていた私の手を一瞬彼女が触った感じでした。
列車が動き出して、窓の外を見ると、そこには彼女の姿は有りませんでした。

夕方が来て、パンパ草原の夕焼け空を見ながらカツサンドを開いて、ワイン
の栓を抜いて食べていましたが、ふと若い彼女の熱い眼差し思い出していま
した。

2012年8月12日日曜日

死の天使を撃て!

第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』

(34) 標的が逃亡か!

ヨハンスの実家に着いたら、直ぐに彼が出て来た。彼の恋人も来ていたので、
部屋に案内して、『コーヒーでも飲んでくれ』と話して彼女を紹介してくれ
た。

綺麗なドイツ系の金髪の女性であった。
彼女が母親と共にコーヒーを準備してくれ、ケーキも切ってくれた。
健ちゃんは早速にケーキに手を伸ばして食べていた。

彼はコーヒーカップを手に話し始めた。

『今日、父親が私の農場に居る客人を、ブラジルに送り出すので
 農場に出かけているーー』と教えてくれた。

『私が襲われた事で、父が何か急いで決めた様だーー』と話すと
 彼は少しゆっくりして行く様に勧めてくれた。

しかし私は一瞬『ドキーン~!』として考えていた。
どのような方法でブラジルに行くのか知りたかった。
しかし彼の父親を巻き込みはしたくなかったので、話しを誘う様に聞いた。

『客人は車で行くのですか、それとも、飛行機かーー!』と質問した。

ヨハンスは何の用心もしないで答えてくれた。

『パラナ河から、水上飛行機で飛ぶのだと、そう父が話していた』と教えてく
れた。
私とルーカスは顔を見合わせて、健ちゃんを急がして食べさせていた。

それが終るとコーヒーを私も飲み干すと、お礼を言って『また来るから帰り
でも時間が有れば寄ります』と話すと外に出た。
ヨハンスと恋人が車まで送ってくれた。

別れてしばらく走って私はドキドキと心臓が高鳴る気分で運転していた。
車の後部の荷物置場には、シートを被せたライフルと荷物が乗せて有った。
健ちゃんは何も知らずにはしゃいでいた。

少し運転をしたいと頼んで来たので、私は運転を代わって、後部座席に
ルーカスと座り『社長気分でいいな~!』とおどけて見せた。

しかしこれが幸運であった。それはすぐにも分った。

先の茂みにフォードの車が突っ込んでいたから、一瞬、ドキリとして、
ひょっとしたらマリオの車かも知れないと思った。

多分、私達の後を捜して付いて来ていたみたいであった。

健ちゃんは『止る!、それとも黙って通過するーー!』聞いて来た。
今からでは遅いからスピードを落さず通過する様に話して、少し隠れて車を
見ていた。
すると右手の茂みの中で、人影が動いた感じがした。

100mぐらい通過して、停車した。
私はマリオ達が事件に巻き込まれたと直感した。

ルーカスの犬が先ほどの現場の方角に耳を立て、鼻をヒクヒクさせて様子を
探っていた。
健ちゃんに『ここから絶対に動かない様にーー』と話して外に出た。

ルーカスはアッと言う間に、用意始めた。
カバンから拳銃を出すと皮ひもを解いて首に掛け、ズボンのベルトに差した。

カバンを胸の前に固定して、皮ひもで縛った。細身の山刀を腰に差して
マウザーの狙撃ライフルを皮のケースごと背中に背負った。

ルーカスは犬を呼ぶと、口を軽く握って吼えてはいけない事を教えた。
犬は『承知ーー!』と言うような感じで、私達の顔を見ると小走りで歩き始め
た。

ルーカスが車からベニヤ板2枚を胸掛けの様にした板を、私に首から皮ひもで
頭から被せた。

『何でこなん物をーー!』言うと、
『罠の仕掛けが胸に穴を開けない様にーー』と言うと、今朝、健ちゃんにテ
スト運転させて居る時に、ベニヤ板で作っていたと話してくれた。

一センチぐらいの厚さがあったが、余り重くもなかった。
丁度、腰の下までの長さであった。
まるでチンドン屋の看板持の感じがしたが、板が小型であったから、おかしく
はなかった。
ルーカスは胸の前にカバンを皮ひもで固定してあり、これで罠は防げると言っ
た。私はインジオが簡単に作る罠を知っていた。
足で踏むと竹のバネで鋭く削った竹の針が胸の前に飛び出して来る、恐ろしい
しかけであった。

用心にこした事はないと感じた。犬は先を走って藪に飛び込んで行った。
私はブロウニング・ライフルを左手で掴むと、右手に山刀を持ってルーカスの
後に付いて行った。
しばらく歩くと、どこか直ぐ近くで、激しく争う音が聞こえて来た。

その声は陳氏の悲痛な声で有った。

2012年8月11日土曜日

私の還暦過去帳(282)

人の生き様と死に様

この歳になり幾多の人がこの世に別れをして旅立つのを見てきました。

過去、5年間ぐらいでも、親しくしていた人が5名ばかり亡くなりま
した。
全ての方が60歳を過ぎていましたが、昔のことを思い出すと、50
代で亡くなる方が沢山居ました。当時は限られた素材の食事しか出来
なかった時代です、塩分の多い保存食を多食していた時代ですが、
冷蔵庫も無かったので、それは生活の知恵で致し方ないと思います。

弁当と言うと、塩鮭に沢庵や梅干がおかずで入っていました。
田舎の市場などには、魚のすり身で作った薩摩揚げや、かき揚げを売
っていたのを覚えています。それは良く弁当のおかずや夕食のお膳に
出ていました。

55年も前です、私が中学生の頃でした。
当時は戦争が終わり、まだやっと日本が復興の槌音が盛んな時代でした。
田舎ではその頃、まだ栄養的なバランスの良い食生活も望めない時代で、
朝食と言っても御飯に味噌汁と漬物に生卵があれば美味しく食べていた
頃でした。

今では食生活も様変わりで、洋風化してしまいましたが、私達の小学生
時代の給食ではミルクも粉ミルクで何か臭いが強い感じでした。
コッぺパンと言う給食用のパンがランチに出ていましたが、中に挟んで
あったのは、マーガリンとジャムでした。

終戦後、何も食べる物がない時代には、学校給食では珍しい食べ物が沢
山ありました。量は少なかったのですが、乾燥フルーツ、ハム、チーズ、
スパム,など、アメリカの余剰農産物が来ていたと聞きましたが、育ち
盛りの我々にはありがたい食べ物でした。

時代が過ぎて1960年の初め頃に出来たインスタント・ラーメンは学
生時代に良く食べたものでしたが、その少し前に高知の山奥の農村を訪
ねた時に、ソバかきをして食べさせてくれた事を思い出します。

母の遠い親戚と言う事で訪ねたのです、当時でも御飯は配給米に雑穀が
混じった食事でした。そこの親戚がパラグワイに移住して、私が移住先
をしばらくして訪ねた時に、食べていたのは白米のご飯でした。

ここでは幾らでも御飯は食べられると話していましたが、直ぐ側の小川
が流れる田圃にはお米が食べきれないぐらいに植えられていました。
その方達もパラグワイ移住の夢が破れてアルゼンチンに再移住しても、
残った方が生産する米をパラグワイから取り寄せて食べていました。

当時のブエノスではコリエンテ地方で生産されるイタリア米が多かった様
でした。
パラグワイに入植して南米に住み着いて50年、半世紀を経ても主食は米
です。2世になって、奥さんがヨーロッパ系の人と結婚していても、自分
で御飯を炊いて食べている人を何人も見ました。

二世がアメリカで日系部隊に入隊してイタリア戦線で戦っていた時に、激
戦地で見舞いに米を元気付けに配給されたと聞いた事があります。
毎日、缶詰と携帯食料では飽き飽きしていた時に、イタリア米を大きな袋
に入れて部隊に持ち込まれた時は皆が、歓声を上げたと話していました。

近所のハワイからの二世と三世の日系カップルも、毎日食べているのはご
飯です。
戦前のハワイでは一世も二世も一日一回は皆、御飯だったと聞きましたが、
当時のハワイは中国人やフイリッピン人も多くて、米が無くてはならない
地域だったようです。
それは砂糖キビ農園で働く多くが日本人やアジア人が殆どだった影響も多い
と感じます。私はハワイに行くと必ず食べる物はスパムお握りです、これは
ハワイの代表的なランチ弁当だったようです。

おかげでハワイがスパム缶詰の消費が一番全米で多いとか聞きましたが、
豚肉で製造されるハムに似た物です。現在ではターキーで作られたスパムも
あるという事で、味もピリカラから、スモーク味もあるそうです。

戦前の昔、一世達が塩味か辛さの効いたスパムの缶詰肉を開けて切り、少し
フライパンで焼いて、醤油を掛けておかずに食べるのは、手軽で栄養価もあっ
たものと感じます。
それより値段も手頃で、ランチにお握りに挟んで食べるのは農場の便利な食
べ物だったと思います。

私も何度かハワイのオワフ島をドライブしていて、道端の店で『スパムお握
りあり』と書かれた広告を見かけて、買って食べた事が有ります。

45年も前に、アルゼンチンの首都ブエノスの港で、道端の屋台でパンにイ
タリアンソーセージを焼いて、一本丸ごと入れたサンドイッチを食べながら、
ワインのビンをラッパ飲みしていた労務者達を思い出します。

彼等にしたらアジア人の顔でピリカラのソーセージを挟んだパンをパクつい
ていた若い男を不思議に感じていたと思います。

彼等が私を見て『お前は何処から来たのか?』と聞いていたのを覚えています。

アメリカでもハムに似たランチョンミート缶詰のスパムも、それが好きな方は
ハワイ出身の方が多いと感じます。それも子供の頃から食べなれたスパムの肉
だからだと感じますが、沖縄でも米軍基地から出た料理として、沖縄家庭料理
として知られています。
スパムを薄きりにしてフライパンで焼き、目玉卵などを添えた料理はすでに沖
縄料理の中に戦後60年過ぎて定着したと言われています。

人の生き様も食べ物に左右されて、その人生の死に様も決まると思います。

2012年8月10日金曜日

死の天使を撃て!

第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』


 (33)吉田氏の農場で・・、

車はエンカルの町を走り抜けて行った。
ペンション滝本の前を通ると、誰か日本人がたたずんでいた。
かなりの夜更けである、静かな街の中にポッンと立っていた。

これからアルゼンチンに出かける人かも知れない、一番の渡しを待って
パラグワイを出ていく人なのかも知れないと感じた。
何かやつれた感じがして哀れであった。

タバコの火が時々、赤く見え、寝られなくて外の道を見ていたのかも
知れないーー!、
タバコを吸いながらポッンと立っている姿が、私の心を絞め付けた。

夜も深けてから吉田氏の家に着いたが、犬達は吼えもしなかった。
ルーカスの犬が車の窓から顔を出して、甘えた唸り声をしただけで、

吉田氏の犬達は車が止ると、尻尾を振って待っていた。
犬達はお互いに『やーやー!』と言う感じで挨拶していた。

その夜、離れの部屋でルーカスと眠りに入った。
彼はその前に明日の準備の点検をして、移住地の奥に入る用意をしていた。

ルーカスは真剣に、標的を狙う事を考えている感じがした。
彼は身体から離した事が無いカバンの中を見せてくれた。

私も初めて見せてもらった。カバンはまるで武器庫の様な印象を受けた。
カバンの一番下には、吹き矢の筒と、矢を入れた竹筒が2本、一本は猛毒
の矢、片方はしびれて麻痺する矢を入れた竹筒、皮袋の水筒が2個、
カバンの外の下には魚をおろす、先の尖った鋭いナイフが仕込んで有った。

魚を釣る針と糸一式、鳥の鳴声を出す錫製の水笛、それからゴムで小石を
飛ばすパチンコが一つ、虫除けの薬が入った瓶、救急薬品、毒蛇の緊急血清
など彼が狩猟で使うものがギッシリと無駄なく入っていた。

勿論私が渡している、38口径の拳銃も鹿皮で巻いて入れて有り、弾は皮の
ケースに入っていた。
ルーカスは全部見せてくれるとニタリ~!と笑うと『驚いたかーー!』と言
う感じで、おどけていた。
プラスチックの袋には乾し肉が入れて有り、時々彼が口を動かして空腹の
時食べていたのが分った。

その夜は帰る前にマリオ達と飲んだ事も有り、ぐっすりと朝まで寝ていた。
朝は吉田氏が起きると直ぐに我々も起きた。健ちゃんも起きて来て、今日は
移住地の方に行くからと言っていたが、私が乗って帰った車を見て、理由も
聞かずに喜んでいた。

朝食後、乗って良いか聞いて来たので、健ちゃんに運転させて少し農場の廻
りを走って廻った。
健ちゃんは中々に運転感覚が良いのか、上手に運転して見せてくれた。
吉田氏は午後から行くと話して、エンカルの町に出かけて行った。

我々三人は車で移住地の農場に出かけて行った。奥さんがおにぎりを作って
くれ、途中の道でヨハンスの実家に寄って、見舞いをしてからと考えていた。

彼の父親の農場に着いたら、意外な事が起きていた。

2012年8月9日木曜日

私の還暦過去帳(281)

カリフォルニア州の水不足、

今年の異常渇水はカリフォルニア州に渇水非常事態の宣言となりました。
5月からは15%の節水令が出て、違反すると罰金となります。

07年度の使用量から15%です、08年度はボランティアでの各自の家庭
で任意の節水でしたが、今年は違反者には罰金と言う脅しでの節水となりま
した。

5月からは水代の値上げもあり、かなりの締め付けとなっています。
それにしても去年の雨量が予想を反して少なく、07年度からの渇水で貯水
池も水位が低くて08年度の雨量では貯水量が増えなかった事が原因となっ
ています。

今日は5月1日ですが珍しく雨が降って、皆が大歓迎をしています。
山間部では5cmぐらいの降雨量が見込まれ、これでかなり潤う事は間違い
有りませんが、乾き切った大地を完全に湿らせる事は不可能と思います。

これで灌漑農業が主体のカリフォルニア州の農業は大打撃です。
すでにトマトの植え付けも放棄されたところが有ります。
かなり昔ですが私の子供達がまだ全員、家に居た時代です、シャワーや洗濯
の水もかなりの量になっていました。

割り当て量は1日、500ガロン(約2000リッタ)でしたので洗濯など
は育ち盛りの子供三人、家族5人ではかなりキツイ節水でした。

その頃、不動産管理の仕事でアパートの管理をしていたので、そこの洗濯
場のカギを所持していますので、仕事の合間に家族全部の洗濯をしていまし
た。

今では夫婦二人ですから15%の節約は簡単です、4月から徹底した節水
テストを1ヶ月間しました。
先ずは、庭や家庭菜園のスプリンクラー灌漑設備のタイマーの20%節約
のセットをして、灌漑施設のパイプなどを節水型の交換して、水がポトポト
しか出ないチユーブに入れ替えドリップ・イリゲーション設備をセットいた
しました。

シャワーは節水タイプのヘッドに交換して、シャワーのお湯は下のバケツ
に溜める様にしたら、何と・・、一回のシャワーで20リッタ近くのお湯が
溜まりますので驚きました。

トイレも節水タイプに交換して有りますが、トイレの流し水は、そのバケツ
の水を使う事に致しました。夫婦二人の水で十分に一日のトイレの流し水を
賄う事が出来ますので、これが一番の節約と成りそうです。

4月分の水代の請求書が昨日来ましたので、1年前と比較すると驚く事に、
1日、80ガロン(320リッタ)程度も節約していました。

私の節水努力が実を結んだと思いますが、洗濯も週に一回としていますが、
もう少し節約をしなければならないのであれば、洗濯機のすすぎ水を下水に
流さず、それを庭に使う事を考えて居ます。

それにしても、現代文明社会では水が無ければ、悲劇に近い状態となります。
私が45年前にアルゼンチンのボリビア国境近くで農業をしていた時代です
が、渇水が酷くて山の沢の水も枯れて、動物達が河岸に水を飲みに出て来て
いました。

鹿やイノシシなどが群れで来ていましたが、娯楽の無い辺地では魚釣りか
狩猟が楽しみでした。狩猟に出て水が山の沢に無く、焚き火の灰で食器の皿
の汚れを落として、後は紙で拭いていました。

木のツタを切り、ポタポタ落ちる水滴を缶に集めて犬達に与えていましたが、
少し渋い感じですが飲料に出来ました。
沢の砂を掘って、寝る前に胴にひび割れを入れた竹筒をさし込んでおくと、
翌朝にそこに水が溜まっていました。

貴重な水を得ることが出来ましたが、それも狩猟のガイドをしていた森に住
むマタッコ族インジオの知恵でした。
僅かに残っていた溜まり水も、直射日光が当る水面の水を口を付けて、すす
る様にして飲めば安全と言う事も習いました。

普通の人間ならば、1日でジャングルの中で発狂しそうな環境でも、僅かな
水で生き延びる彼等の生活力と生命の強さは今でも感心致します。

2012年8月8日水曜日

死の天使を撃て!

第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』



(32)抹殺の理由と目標の名前、

グラスをテーブルに置くと、店主はイスにどっかりと座ってマリオも座らせた。

彼はおもむろに口を開き・・・、

『ここまで来る道程は長い忍耐の道であった・・。
 貴方達が標的の存在を確認して、人類の敵として
 抹殺することを承諾してくれ、心安心している。
 彼は幾多のユダヤ人をこの世界から虐殺して抹殺
 してしまった。
 
 その罪は計り知れない人類の敵だ、許す事は出来
 ない、子供や老人、平和な世界で幸せな家庭を営
 んできた人々を、ただユダヤ民族との差別で皆殺
 しを図り、それを忠実に賛同して実行した人物を
 逃す事は出来ない、私の両親も兄弟姉妹も全てが
 殺された。
 
 マリオもそうだ、私は留学していて家族で一人助
 かった。マリオは私の遠い親戚だが血が繋がって
 居るのは、この地球でこのマリオしか居ない、
 哀れな事実である・・!
 
 貴方がたが標的とする人物の前歴と経歴を知りた
 いのであれば、全てをここでお話して抹殺するだ
 けの価値がある、抹殺されなけれがならない、
 その報いを受けなければならない人間と言う事を
 証明して、その証拠の数々の記録を貴方の眼に見
 せましょうー!

 そしてその抹殺行為に対しては、私が全責任を負
 い、貴方に一切の迷惑や罪の訴追が有れば私の全
 ての能力と、財産と、民族的支援を持って守る事
 を誓います・・・!』

彼はそれだけを言うとマリオを見た。

彼も黙ってうなずいて了解した。グラスにもう一度酒を注ぐと私のグラスに
注ぎ足して、彼はマリオと二人でグラスを合わせた。
静かな部屋で、グラスが微かな音を響かせていた。

私は店主に・・・、

『標的はルーカスが撃つから彼に聞いてくれ・・!、彼が希望
 するのであれば、彼に全部話してくれ・・、私は聞きたくない
 と思っている、聞いて、後で思い出し、心悩むような事はした
 くない、成り行きの道筋で貴方がたに出合い、知り会ったが
 直ぐに別れて、二度と会わないかもしれない一期一会の出合い、
 なるべく心には重荷を持ちたくはない・・!』と言うと

ルーカスを見た。彼は手を挙げて、
『理屈はいらない・・、俺は忠実に命令を実行して、その報酬を
 貰えば良い・・、ただそれだけだ、』手を振り、拒絶のゼスチャーを示した。

そして、グラスの酒を飲み干すと部屋の外に、テーブルに置いていた拳銃を
カバンに入れると、犬を連れて出て行った。

私はマリオに車のカギを頼んだ、彼は店主と何か話しをしていたが直ぐに、
奥からカギを持って来て、ワゴン型の屋根付きジープを見せてくれた。

彼は『中古の売り物だけど、全部オーバーホールをして何も問題はないから』
と渡してくれた。

ライフルは皮のケースに入れ、荷物を持って車に乗車して、ルーカスと犬を
乗せてエンジンを掛けた。

軽い音でスタートして、夜もかなり深けた町に走り出た。

2012年8月6日月曜日

私の還暦過去帳(280)

1965年当時でした。

その頃はまだアルゼンチンでは日本人が日本から来た食品や酒などを買う
事はかなり難しい事でした。
確かに買えるのですが、値段がめちゃくちゃ高くて、私達百姓風情では
とても手が出る様な値段では有りませんでしたので、何とか手に入れたい
と言う願望は捨てる事が出来なくて、先ず・・、情報を聞きまわりました。

すると知り合いの沖縄県人の洗濯屋さんが、日系新聞を見ていると日本船
のブエノス入港情報が書いてあると教えてくれました。
当時は『亜国日報とラプラタ時報』の日系新聞が有りましたので、早速
毎日見ていました。

僅か数行ですが、日本船の入港が記載されていましたので、それを元に
日本船に買出しに行く様に勧められました。かなりの人がその事を知って
おり、日本船も貨物船などは船の中で黙認での雑貨の販売をしていた様で
した。日本からの清酒、ウイスキー、タバコ、食品などはかなり色々と揃
えて有ったようでした。

しかし、船から出るときはタラップの下に居る警備員にチップを渡して早く
言えば『袖の下の賄賂』です・・、それと港の入り口の警備をしている税関
と衛兵をやり過ごさなければなりませんが、食品などは殆どがパスして税金
無しで通れましたが、酒、タバコ類はかなりの税金を取られていた様でした。

そこで慣れた人は子供を連れて行き、子供と言っても2歳ぐらいの子供です
腕に抱っこして遊びがてら連れて行くのですが、そこがミソで・・、子供の
スカートの中にウイスキーを隠してタダで持ち出していました。

ご主人が子供を抱っこしているので、奥さんが買い物袋を広げて食品の沢庵
や乾物などを見せると『どうぞ通過して下さいー!』と言う事でフリー・パ
スでゲートを通過していた様でした。

私も日本船に行った時は、お土産に日本のタバコを3個ばかりポケットに入
れて、沢庵を2本ぐらい買い、乾物の昆布なども買った記憶が有ります。
まだ当時はアルゼンチンと日本を繋ぐのは船の時代で、日本から来る物資も
豊かではなかった時代でした。奥地のボリビア国境などの当時でも汽車で
2日も掛かる僻地では、どんな物でも喜ばれました。

またお土産に買って、そこまで運ぶ事も大変でしたが、皆の喜ぶ顔を見られ
る事が励みになり、一度などはカマボコを4本ばかり、ブエノスで製造され
たものでしたがソセージの様に丸い筒状で、保存も効きましたのでお土産に
したところ、皆に大変喜ばれた覚えが有ります。ブエノスと奥地の都市が
『点と線』の列車の線路で結ばれて居た時代です、港の近くにはレティー
ロ駅のターミナルがあり、アルゼンチン各地に伸びていました。

港に行った帰りに、駅までの途中に湾港労働者達がランチを食べる簡易食
堂が有りました。アサードの焼肉が盛大に焼かれていて、フランスパンに
挟んだ焼肉の塊とサルサのソースだけでしたが、かぶり付いていたら隣に
日本人らしい人が来て注文したので、注文が出来上がるまで話していました。

彼が話してくれた事は『これから汽車で10時間以上も掛かる田舎で洗濯屋
をしているが、ワイフのお土産に日本食品を買い出しに来た』と話してくれ
ました。

食べ終わって、『海の臭いと、日本船の姿を見るのは懐かしい』と、お土
産の包みを抱えて駅の方向に彼が歩いて行ったのを覚えています。

facebookも開いております、何もありませんが、暇な時に覗きに来て下さい、
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2012年8月5日日曜日

死の天使を撃て!

第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』
   
 (31) 抹殺の契約、

私はまず席に座ると、『これからは、どんな結論が出てもそれだけで、
以前の事は無かった事にしてくれ・・!下手な工作は止めてくれ・・、』と
言った。
『私も絶対に口外しないし、知らなかったことにする』と話して、拳銃を
ホルスターから出すとテーブルに上に置き、そして銃口を私の方向に向けて
置いた。

ルーカスも私が預けている38口径の拳銃をカバンから出すと、同じくテーブ
ルに置いた。
彼等も同じく拳銃を三人とも、どこからか取り出すとテーブルに置いた。

私は『ニヤリ~!』と笑いながら、『えらいコッチャ~!』とおどけて見せ
た。マリオも笑っていた。

私の胸のポケットには毒牙を仕込んだ、ボールペンが有り、ポケットナイフ
もズボンのポケットに入れていた。 

ルーカスのカバンの外側の下には、ナイフが簡単に取り出せる様にして隠し
てあり、カバンの底には吹き矢の筒が入っていた。

中には猛毒の矢が仕込んで有り、取り出して一吹きすれば凶器となる恐ろし
い道具も持っていた。

知っているのは私ぐらいで、竹筒の中には毒矢の予備が8本は入れて有
り、ルーカスが狙うと、20m近くは人間などは外す事はまず無いと思っ
ていた。

話しはまず、店の主人が口を切った。

『話しがまとまった様だが結論から、イエスかノーで返事を貰いたい・・』
と言った。

私は相手の目を見ながら『承諾、OKする!』と言った。

しかし、『私はライフルには手を出さない、ルーカスが狙撃する』
と話して、言葉を返した。

相手の店の主人とマリオが一瞬、ドキリとした様にして私を見詰めていた。

私は『射撃が上手かもしれないが、実戦として一度もその様な経験がない
から、土壇場での射撃が上手く行くかが心配だから、ルーカスと変わって
もらった』と説明した。

心の中では内心、『ホット~!』していた。

ルーカスが自分から申し出て、現実に金をほしそうにしていたから、彼
が金の為に仕事をする言う感じで、何か積極的な感じを受けていた。

彼にしたら3万ドルの金は生涯仕事をしても手にする事は出来ない金で、
たった一日の仕事で、一瞬の引き金を狙って狙撃する事で、それが貰え
る事は、ルーカスにとっては生涯のチャンスと私には感じていた。

私は『OK!』のサインを出してからの条件は、もし標的が逃げて行方
不明になって失敗しても、3000ドルはルーカスに払ってくれと申し
出た。

射手の失敗で無い限りは『了解』と主人が答えた。
それから一台、車を貸して欲しいとつけ加えた。

それも了解してくれ、私は四輪駆動の車を頼んだ。主人は弾をケースに
入れて20発出して来た。

そしてトランシーバーを一組渡してくれ、また高性能倍率の双眼鏡も皮
のケースに入れて渡してくれた。これで全部の装備が揃ったと感じた。

『明日は偵察で、チャンスを捜す・・、』と話すと、マリオが
『なるべくなら近くで見て居たい・・、』と、そして運転手として手助
けになればとも言ってくれた。私はそれは断った。

彼等は狙撃の確認をして、監視して居たいと感じた。

私は『ルーカスの狙撃の成功を祈って乾杯をしよう・・、』と言った。

陳氏が奥から、グラスとウイスキーを出してくると、机に置き、グラス
に注いでくれた。
皆でグラスを『カチーン~!』と合わすと飲み干した。

2012年8月4日土曜日

私の還暦過去帳(279)

だいぶ前の話です・・、

かれこれ60年近い前です、終戦後でまだ物資が無かった時代でした。
稲刈りが終わり、田圃に落穂拾いに行ったことが有りますが、中々落穂
を拾う事は難しい事でした。
途中で出会ったおばさん連中は、かなりの量の落穂を拾い背中のカゴに
入れていました。手には小さな箒とちり取りを持って、僅かな落穂の米を
拾う事は骨が折れる仕事と感じました。

田圃では稲刈りが終わり、深まった秋の冷たい風が吹いていた時期でした。
直ぐにその後は土を起こして、麦の植え付けがされていたと思います。
僅かな、誰も居ない田圃の中で、黙々と腰を曲げて落穂を拾う人の背中を
見ていて、落ちた一粒の米も『もったいない・・!』と言って、つまんで
拾っていた姿を子供心に覚えています。

子供達が拾う落穂の米など、たかが知れた量です、何日も掛かって集めた
落穂の米を、ござに広げて乾燥させて枡で計ったら、一升半ぐらい有りま
した。近所の精米所に、ニワトリの餌に混ぜる米ぬかを買いに行っていた
ので、お米の籾と精米した米と交換してくれました。

今ではどのくらいの量を交換してくれたかは覚えていませんが、母が
『ホー!』と驚いていたのを覚えています。
当時は必ず、押し麦を混ぜたご飯でしたが、特別に新米の白米ばかりで
1升釜で炊きました。薪を割って新聞紙をひねって付け火として、
『初めチョロチョロ・・、中パッパ・・、赤子が泣いても蓋取るなー!』
とか言われて炊き方を覚えましたが、かなり上手に子供でもご飯を炊いた
経験が有ります。

新米のピカピカ光る米粒の立った炊き立てのご飯の湯気と、その香りが今
だ忘れる事は出来ません。当時にしては贅沢なご馳走でした。
今では電気釜でしか炊飯致しませんが、昔は一升釜でご飯が炊けたら、そ
のまま藁で作った冷えない様にする『囲い』と言う中に入れていました。

昔の先人が考えた保温機でした。当時はちゃぶ台と言う周りに家族で座って
ご飯となり、秋のサンマをコンロで焼いて、こんがりと色よく焼けたサンマ
が食卓に並ぶと、白米のご飯と、塩焼きサンマに、お味噌汁と白菜の漬物
でしたが、子供心に豪華に感じた覚えが有ります。

白菜も母が一斗樽に漬けていました。大根も併せて漬けて居たようでした
が、唐辛子が樽の中に赤く浮いて居るのが色鮮やかに赤く染まって、採り
立ての柚子を少し磨り卸して食べる白菜の漬物が、昔の忘れられない思い
出として心に残っています。
時代は代われど、昔に自分の口で食べて覚えた味覚は、70歳も過ぎた今
でも『3つ子の魂、百までも・・』と言う、母の味として忘れる事は出来
ません・・、
その母も96歳となりましたが、今でも元気に過ごしています。

2012年8月3日金曜日

死の天使を撃て!

第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』

(30)狙撃の承諾、

ルーカスと犬が走って来た後ろで、誰かが銃で彼等を狙っているのが見
えた。

家の横角に立っていた男は、ライフルで狙いを付けてルーカスを撃とう
としていると感じて、とっさに私はあぶないと感じ、膝の上に乗せてい
た拳銃を窓から突き出すと、その男めがけて暗い中、慎重に狙い拳銃を
3発連射していた。

同時にルーカスが道にパッと伏せた。
男は一瞬に消えて見えなくなった。ルーカスが犬と車に飛び込んで来た。

『ハーハー!』と息をしながら、フォードの座席に座ると私が急発進し
た車で、後部ガラスを覗いて、誰も追ってこないのを確認して、
『犬が居なかったら、やられていたーー!』と話したが、口ぶりは安堵
の声であった。
ルーカスが説明してくれたが・・、
『角を曲がると、犬が足を止め、一瞬すくんで警告のポーズをしたから、
 それと同時に相手が撃ってきて、即座に撃ち返して走って逃げた』と
話してくれたが、危ういところで有った。

ルーカスは『馬に乗って店から出た男は、私の犬に足を噛まれた男に間
違いなく、待ち伏せしていた男は、多分拳銃で足を撃たれた現地人に違
いがない』と話してくれた。
『彼等は対岸のアルゼンチンに逃げる様だ』と教えてくれた。

待ち伏せした男は手にライフルを持っていた様だ、と話していたがボート
を漕ぐカイも壁に立てかけて有ったので、弾を買ってから逃げる予定でい
たと感じた。

私はルーカスに、これから店の主人と話す事を、解り易く説明しておいた。
これ以上に隠す事はないと感じたからで、彼の手助が必要と感じていた。
私一人ではこれからの話しを受ける事は無理と感じていた。

ルーカスは黙って聞いていたが、彼は・・、
『何か難しい、いわくの有る事と感じていた』と話してくれ、
『私は金を稼ぎたいーー!』とも言った。

目標はヨハンスの農場に現在居ると教えた。
私は用心の為に乗っていたフォードの車を店の裏の車庫に入れた。
そこから歩いて店の裏の居住部分に行ったが、マリオがすでに待っていた。

彼は『どこか遠くで銃声が連続して聞えた!』と言ったが、私は知らん顔
をしていた。

関連を知られたく無かったので、とぼけ顔をして席についた。
マリオはルーカスの顔を見て、また横に居る犬も見て、渋い顔をしていた
が、私は『私の助手だから、それとルーカスは軍隊時代は部隊一の射手で、
狙撃手としての訓練を受けていた』と主人とマリオに説明した。

主人は顔色を変えて聞いていたが、
『サルタ州では現在も狩猟で生活しているから、
 追跡などは絶対に他の人では真似が出来ない』と話して、今回は同席し
て最終の交渉と、その判断をするとマリオに説明して了解を取った。

話しはテーブルを挟んで、コーヒーのカップを前に始まった。

店の主人は穏やかな口調で、
『標的は間違い無く、我々が捜していた人物だ・・!
 標的に近ずいて倒す事は貴方にしか出来ない』
と言うと、マリオに隣りの部屋から狙撃ライフルを持ってこさせた。

私は一瞬、ドキーン!とした。それは私が射撃競技で使ったマウザーの
ライフルであったからで、スコープも固定して取りつけて有った。
マリオは『スコープは完全に調整してある』と言った。

手に取り、ルーカスに見せた。ルーカスは全てのライフルの機能をテス
トすると、一言『完全な狙撃ライフルだ・・!』と言った。
テーブルの上に置いて、話しを再開した。

店主は『これで標的を倒してくれ・・・!』と言って、私の顔を覗き
込んだ。

私は狩猟で獲物を倒すのとは違い、人を抹殺する事には抵抗が有った。
私はコーヒーのカップを手にして、考えていた。

決断は中々つかなかった。そこにルーカスが私の耳もとで
『外で話しが有る・・!』と言った。私は席を立つと、店の主人に向
かって、『ルーカスと二人で話したい・・!』と言った。

主人は直ぐに了解してくれ、私ら二人は部屋の外に出た。
陳氏が部屋のドアを開けてくれ、私達は中庭で話し始めた。

ルーカスが小声で『俺は金が欲しい・・!、これまで頑張ったが金と
は無縁の生活で、歳を重ねるだけで何一つ無い・・!、
せめてここいらで金を握って、農場でも買って家族と落ちついた生活
がしたい』と話して、私の手を握って頼んで来た。

私は決心して決めた。

『決行する・・!』と、そして『ルーカス・・・!お前が撃て・!』
と言った。彼は黙ってうなずいた。

席に戻り私は口を開いた、そして『標的の抹殺』を承諾した。

2012年8月2日木曜日

私の還暦過去帳(278)

『私のお勧め映画』

今日の私のお勧め映画は、『Into the Wild』(荒野へ)と言う、実話を
テーマ にした映画ですが、かなりドキュメンタリー映画の手法を取り入れて、
テーマの 主人公の生き様を画面が前後しながら、事実をむき出しに晒して行
きます。

原作は、Jon Krakauerの全米ベストセラー「Into the Wild」からです。
Sean Pennの監督作品ですが、2時間30分近い映画の画面を最後の最後
まで心の緊張を持って見詰めさせる画面に編集されている事は、その撮影手
法 と編集の素晴らしさが分かります。

すでに今年のこのクラスの映画では、一番の秀作との声が出ています。
粗筋としてのストーリーは・・、

『かなり恵まれた環境の大学卒業の若者が自分の全てを捨て、身分証明証
や 運転免許書、所持する現金も焼き捨て、運転していた車も放棄して一切
の 過去を切り捨て、ヒッチハイクでアメリカを横断、最後は徒歩でアラス
カの荒野 へと分け入り、最後は僅かなミスで、飢餓の為に食した毒の有る
植物に倒れて、 身体の自由を失ない、4ヶ月後には餓死した遺体でハンタ
ーに発見されるまで 心の心理状態と、彼の若い揺れ動く心の軌道を追う物
語である。』

主人公のクリストファーの身に何が起こったのか・・、その旅路で出会った
人々に 取材し、クリストファーの心の軌跡を探り、その画面から時代の流
れを見せ付ける 事が、彼がどのような心の軌道を残したかを知る手掛かり
となって、それを画面 に残していると思います。

スクリーンのバック・サウンドの音楽も、アラスカの雄大な自然を見せな
がら流れる 様は、心打つものが有ります。
若者の必見の映画と感じますが、『子供の頃に何処か遠くに行ってしまい
たい・・』 と感じたことは誰にでも有ると思います。

それを実行できるか、夢で終わるか? ただそれだけの差と感じますが、
映画の画面 から学ぶ事は人様々と感じます。

彼が多くの人と出会い、助けられ、放浪する姿に、その映像に重なる妹
の回想が この映画から彼の心の傷みが感じられ、放浪を生の姿で感じられ
る事と思います。

彼が死ぬ前に打ち捨てられたバスに残した落書きがある。
彼はそこで4ヶ月生きて、そこで餓死するのであるが・・、

『二年間、彼は地球を歩いている。電話もなく、プールも、ペットも、
タバコもない。 窮極の自由。極端な人間。路上が住居の美の旅人。アトラ
ンタから逃れてきた のだ。汝、引きかえすことなかれ。「西が最高である」
からだ。二年の放浪の後、 今度は最後で最大の冒険となる。心のなかで
偽りの人生を否定する決戦に 勝利して、精神の遍歴に終止符をうつのだ。』
後は省略、

彼が、「土地があたえてくれるものを食べて生活する」という冒険を目指し
てアラスカ の原生林に分け入り、自然が彼に与えたのは『餓死』という答え
でした。

演技派俳優として知られるペンが1997年に出版され、ベストセラーになった
ジョン・クラカワーの同名ノンフィクション(邦題『荒野へ』)を下地に、
ショーン・ペンが脚本・監督して完成させたこの映画は、雄大な米国の大自
然を 背景に、若者の魂の放浪を生き生きと描き出して、共感と感銘させる
監督として 力量を充分見せつけた、感動作と思います。

バール・ジャムのエディ・ヴェダーの主題曲も映画のスピリットを音として
我々の心 を打ち、心響かせ、感銘の心を感動と昇華させるものであります。

心打つ感動を感じさせる映画度:100%

上映時間:2時間33分。
監督・脚本:ショーン・ペン
出演: エミール・ハーシュ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ウィリアム・ハート、
    キャサリン・キーナー、ジェナ・マローン

英語公式サイト:http://www.intothewild.com/

2012年8月1日水曜日

死の天使を撃て!

第2話、『ブエノスに遠い国から来た狼達』


(29)射ち合いの銃声、

吉田氏に今夜は遅くなると話して出かけた。

ルーカスの犬は置いて来たが、縛ってはいなかったので後を付いて来ていた。
マリオが運転する車で店に着いた。雑貨店は閉まっていたが、質屋の方は
開いていた。
夜遅くても客が来ていた様で、店の裏に廻って中に入った。
しかし店の主人にお客があるから、しばら待ってくれる様に主人から伝言が
有った。
時間で40分ぐらいと伝えて、コーヒーを置いて行った。

私はマリオに近所の日本人の店に行ってくるから、車のカギを貸してくれと
言った。マリオは直ぐにキーを渡してくれ、『遅くならない様に・・!』と
注意してくれた。
ルーカスと外に出ると、なんとそこには犬が『へーへー!付いて来ましたよ~!』
と言う感じで座っていた。
憎めない犬で、呼ぶと喜んで尻尾を振って付いて来た。

車のドアを開けて、乗り込もうとした時、質屋のドアから現地人が出て来た。
少し足を引きずり、近くの立木に縛ってあった馬に乗馬すると、どこかに立ち
去って行った。
私は直ぐに質屋に戻り何しに来たのか聞いた。使用人はライフルの弾を買い
に来ていたと話した。
今時遅い時間ではこの店しか開いてはいないから、何か『ピーン!』と来た。

何発買ったか聞いた。『15発・・』と教えてくれ、44口径のブラジルのCBC
の弾と言った。 
私はウインチェスター.ライフルの口径と思った。
旧式なレバーアクションのライフルで、せいぜい100mぐらいが有効射程で
ある。

それだけ聞いて、私は急いで外に出て、ルーカスに犬と共に店から消えた男を
追跡する様に話した。ルーカスも気が付いていた。

『あいつに間違い無い・・!』と言うと、犬に命令すると小走りで追い始めた。

私は車で後を追った。時計を見ていたが、後30分しかないが、それまで追跡す
る事にした。
パラナ河の方に降りて行き、石畳の道をかなり早い足で歩いていた。
私は用心の為に拳銃をホルスターから抜いて膝に置いていた。

ルーカスと犬の後をゆっくりと付いて、時々車を止めながら追いかけていた
が、馬が角を曲がり見えなくなった時に、ルーカスが街頭の微かな明かりの中
から、『来るな~!』と合図を送って来た。

彼の手にも拳銃が見えた。人通りの無い寂しい道で緊張が走った。

突然・・!『パン・パン』と拳銃の銃声がして、『ポーン』とライフルの発射
音が響いた。
一瞬、撃ち合いになったと感じた。ルーカスが犬を連れて走って来た。