2012年8月22日水曜日

私の還暦過去帳(287)


かなり前になります・・、

アメリカ人と日本の食糧問題で言い争った事が有りました。
彼は日本にも、ベトナム戦争時代に滞在した経験がある人でした。
両親も農場を所持して、かなり大規模なトウモロコシと大豆の生産を
していた様でした。
その論争の中心は日本は世界から食料を輸入しているのに、その船の
シー・ラインの安全確保と、維持はどうするのか・・、と言われれた
事が発端でした。

また激論の中に彼が言う事が増えて、オイルはどこからタンカーで運
んで来るのか、鉄鉱石や関連資材も全部輸入だから・・、と詰め寄られ、
返答に困った事が有ります。
正直言ってその事は本当であり、現実として我々日本人が認めなくては
ならない事などです。

アメリカ人が感心して言う事は、日本は原油生産はゼロに近く、石炭生
産も中止して、天然ガスも殆どが輸入で、産業活動に必要な鉱物資源も
殆どが輸入に頼っている国が、おまけに食料生産も実質28%程度の自
給率に落ちている事は、どこを見ても 良い所は無い感じですが、それで
も人口1億人以上の人口を支えて、この地球の生存競争から生き残り、

世界の生産商業活動の中で立派な地位を確保している事は、日本人の知
的水準の高さという事だと判断していました。
それがアメリカ人が考える正解かもしれません。

しかし、日本がバブルの景気に浮かれている時に、ゆとり教育と言う旗印
で、教育改革がなされ、学力低下が顕著となりました。
当時、アメリカは教育水準の低下で、学力テストの大幅上昇した学校や
クラスの先生にはボーナスを出す様な奨励策を採っていた時代です、日米
相反する教育方針の差が国民の思考の差になったのかもしれません。

アメリカに住み着いてアメリカ人と論争すると、まったく視野の違った角度
で物を見ています、それが物の見方の違いと言い切ることは出来ませんが、
しかし、現実を見せ付けられる事は余り気持ちの良い物では有りません。

日本人の血が騒ぐと言うか、アメリカ市民として帰化して、選挙権もカリ
フォルニア州民として義務を負う人間となり、顔だけのアジアンとして、
また日本人として、まだ日系アメリカ人とは自分でも言う事は中々言えな
い気持ちがしますが、まだ心の心底には祖国ニッポンと言うアイデンティ
ティー(Identity)同一性 、心理学でいう 自己同一性に振り回されている
のかも知れません。

歳が明ければ36年目のアメリカ・・、やっとアメリカをかみ締めて味が
出て来たこの頃と感じるしだいです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム