2012年8月13日月曜日

私の還暦過去帳(283)

私が47年前、アルゼンチン奥地の農場で仕事をしていた時でした。

ブエノスの首都の仲買人との交渉で汽車で出かけて行った時でしたが、
私が住んでいましたサルタ州、エンバルカションの町からブエノスまで
1658kmは有ります、昔の汽車ですから速度は遅いもので、2日間
の汽車の旅は長旅です。
当時、3等は板イスのベンチも有りましたが、長距離はシートが付いて
いました。 今ではアルゼンチン国鉄は長距離運行は有りません、ブエ
ノスからはツクマンまでが残っていると聞きました。

当時はブエノスからボリビアまでの長距離列車が有りました。 また、
隣国のパラグワイ行きも運行されていました。アルゼンチンのポサダか
ら渡しでパラグワイ側のエンカナシオンまで、汽車がフエリーで濁った
パラナ河を渡って行きました。

私がブエノスに仕事で行く時は大抵はトラック便に同乗して行きますが、
その時期外れでトラックが運行していなくて、汽車を利用していた時で
した。今では駅名も覚えては居ませんが、何処か田舎かの辺鄙な場所で
した。駅といっても、駅舎と周りに小さな町があるだけの田舎町でわび
しい感じが 溢れている駅で、しばらく停車していると、どこと無く物売
りの住人が現れて列車の下に来て何か売り始めました。

駅の構内は警備員が居て直ぐに追い払われていて、線路外の柵の外から
声を掛けて売っていました。 私も列車の中から見ていましたが、売り子
はバスケットを乗客に見せて何が 有るのか直ぐに分かるようにしてくれ
ましたが、中に足の不自由な若い女性が子供を連れて何か声を出して販売
していました。
バスケットの中にはトウモロコシの皮で包んだ日本のチマキの様な物と、
カツサンドを持っている様でした。ありきたりの軽食です、列車内でも
販売に来ますので余り売れは芳しく無いようでした。私は長時間のイスに
座ることに疲れて、列車から構内に降りて歩いていました。

側にバスケットを下げた売り子が声を掛けますが、食べたい物は無くて、
丁度足の悪い女性が居る所まで来たら、立ち上がって『まだ暖かい・・!』
と言って、チマキに似た物を見せてくれましたので1個買い試食しました。

適当な暖かさで食感もよく、中に入っているトウモロコシの粉と挽肉と野菜
の混ざりも良くてすっかり気に入りまして、2個ばかり追加して食べている
と乗客が窓から『美味しいか?』と聞きますので、私は『これはうめ~!
食い物だよー!』と言うと、知り合った乗客が『こちらにカゴを持って来
い・・』と言うので車内にバスケットを借りて持ち込みました。

私がふざけて『美味いよ・・!これは最高だよー!』とおどけて言うと、
アッと言う間に売れてしまいました。カツサンドも美味しいニンニク香り
のソースで私も2個ばかり夕食に取りましたので、何も残らず売れてしま
い、かごの中は投げ込まれた金が代わりに入っていました。

その女性にバスケットのカゴを渡す時に、私はポケットからまた幾らかの
金を足して渡しました。 子供は彼女の手の中で眠っている様でしたが、
感謝に溢れた眼差しで見詰められた事を覚えています。汽車の出発の警笛
が鳴り、列車の外に下りていた乗客が乗り込み、車掌の笛が鳴った時に、
柵の上に載せていた私の手を一瞬彼女が触った感じでした。
列車が動き出して、窓の外を見ると、そこには彼女の姿は有りませんでした。

夕方が来て、パンパ草原の夕焼け空を見ながらカツサンドを開いて、ワイン
の栓を抜いて食べていましたが、ふと若い彼女の熱い眼差し思い出していま
した。

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