2013年2月28日木曜日

私の還暦過去帳(351)

  

  訪日雑感(7)

六本木ヒルズを出て渋谷までタクシーに同乗させてもらい、ガード下で降り
ました。
今夜の会合主催者の好意に感謝して歩き出しました。
昔の面影など何も微塵も残っては居ない周りです、何か漂う匂いさえ変化
していると感じました。それはハンバーグの臭いと思いました。

昔は夜の10時過ぎにガード下など歩くと、焼き鳥屋の臭いと、焼き芋屋の
リヤカーが必ず有りました。屋台のおでん屋が赤提灯をぶら下げて、酒と
大書きした字が夜風に揺れていました、道路は今では若者達の通路と化
して、私のような歳の人間は僅かな人が歩いているだけです。

頭上の巨大なスクリーン広告が色鮮やかに点滅して、交差点一杯に広が
って歩く歩行者達の群れを、色鮮やかに染めていました。

きょろきょろした観光客の外人さんが、カメラを構えてその人の流れを写し
ていました。
一人は広い道の中の安全地帯に立ってビデオを構えて写しまくっている
ようでした。

車の騒音と頭上の雑音に近いラップ・ミユージックの重なりが、不協和音
として、これまた渋谷の新しい擬音としての、ダンスミユージック・リズムと
感じました。

若い白人の女の子と黒人の同じ年齢ぐらいの二人が、腰を振り、腕を絡ま
せて歩道で調子をとって遊んでいる姿を見ると、サンフランシスコのユニオ
ン・スクエアなどの繁華街の中心地が田舎に見えると思いました。

ホテルに戻る道すがら、ネオンと色鮮やかな看板に惑わされて、フラフラと
歩き回っていました。そこには私が知らない夜の11時の姿が夜光虫の様
に光りきらめくネオンの瞬きと、まぶしさに惹かれた昆虫の様に、私は歩い
ていました。

路地の奥から、ビートの効いたリズムが響き、パンプスタイルの若いカップ
ルが歩きながらキスを交わして出て来ました。

足取りはそのジャズのビートに乗った感じで、若い女がホットパンツの小さ
な尻を振って、長いブーツの足でステップを踏んでいました。その様な光景
を外人さんの若者が目を輝かしてカメラで写そうとしていましたが、その若
い女の『なにやっているのよー!』との罵声で外人さんが慌てて、追い払わ
れていました。

客引きの声と、酔客の素っ頓狂の、わめき声が混じり、渋谷の12時の真夜
中が幕開けしようとしていました。
歩道は土曜日の狂騒の疲れからか、駅目指して歩く人達の流れも心なしか
眠たそうでした。
渋谷の新しいさを体感して、肌で感じ、この目で見定めて心に留めて、狂っ
た様に光り、点滅するネオンの色に、サイケ調に飾り立てた若者が側に居
るのも感じなくなりました。

細い通りの酒屋の前で、消火栓の上に焼酎酒瓶を立て、ビールで割って
飲んでいる得体の知れない外人達に、はて・・!、ここは何処かと、わが目
を疑いました。

歩き疲れて、24時間営業の牛丼屋の暖簾を押しました。

威勢の良い『いらっしゃいませー!』と言う声で、ここはまだ日本だと言う実
感と安心が沸いて来ました。
『お客さん、何を召しあがりますか?』と言う声で『牛丼の並一丁お願い・・!』
と言うだけで麦茶が出てきて、『味噌汁かトン汁は?』と言う声に、
『味噌汁でね・・!』と答えて、50年近く前の学生時代を思い出していました。

そして、時代は遠くなりにけり・・、と言う事をわが身で感じて、牛丼を食べ
ていました。
ホテルに帰ると、大浴場に直ぐに飛び込み、『ア・・!』と手足を伸ばしてジ
ェット噴射で軽くマッサージをしていました。湯上りのほてった身体で、静か
なホテルのロビーで、パソコンを開き、メールを見ていました。キーボードを
叩く音だけが響くのみです。

ポーン!と午前1時を知らせる音が今夜の終わりを告げる音でした。

2013年2月26日火曜日

第3話、伝説の黄金物語、(57)


 リオの刺客を追え・・、

ダイアモンド商会の社長達が感謝の言葉を残して帰って行った。
黒人の助手も刺客の遺体を運び出すと、何処かに消えて行ったが戻っては
来なかった。

皆がしばらくは空腹を充たす為に、黒人の助手が持ち込んだバスケットの食
べ物を口にしていた。サンドイッチや鳥のから揚げなどと、チーズなどもあり、
空腹を充たすには十分であった。

ウイスキーのアルコールが身体に回り、昨夜からの寝不足と、緊張から解
放され、ぐったりとソファに座り込む者、タバコを取り出して吸い始める者など
が居たが、富蔵は自宅に電話を入れて、間もなく帰宅すると雪子に告げてい
た。
富蔵は座り込んだイスの前に置かれたテーブルの上を見て、刺客が身に付け
ていた拳銃のホルスターを開けて中の拳銃を取り出して見ていた。
自動拳銃のワルサーPPKの小型拳銃であった。皮のケースからは消音器も
出て来た。

簡単に消音器を拳銃から脱着出来る様になっていて、鈍いガンブルーの輝き
に魅せられていた。予備の弾倉も4個も出て来た。
急にこの拳銃が欲しくなり、スマートな型で当時のレボルバー式拳銃からした
ら小型で携帯にも便利と感じていた。富蔵がこの事を皆に話すと、誰も異存な
く了承してくれた。

あと一つの刺客が持っていた拳銃はサントスの情報提供者が、『俺が仕事に
使えるから・・』と言うとカバンに入れてしまった。

その時、電話が鳴り、情報提供者が受話器を取ると慌てて聞きなおしていた。
『リオの刺客が車で動き出し、二台の車で追いかけたが、サンパウロ行きの
   リオ街道の国道に入るのを確認して一台の車が連絡して来た』と言う事であ
った。

リオの刺客はサンパウロに向かった事が判明した。一台が追跡している様だ・・、
しかし、今の時間からすると、リオ街道を夜通して走ったとしても、最低で7
時間近く掛かる距離だから誰も慌てなかった。サンパウロ到着は朝の9時過ぎ
と推定した。

刺客の正確な容姿、頭髪、服装、車の種類、車両ナンバー、カバンの大きさ
色まで 知らせが来ていた。追跡している車には2名が乗車しているので、途中
のガソリンスタンドから電話をすると連絡が来ていた。

そこまで情報を皆が知ると安堵して、仮眠をするとモレーノやペドロが言うと、
上着を脱いでソファーに寝てしまった。
サムは自分の飛行場にある事務所に一度戻ってくると言うと、『富蔵も自宅に
一度帰るか?』と聞いて来た。富蔵もそれを了承してサムの車に同乗した。

朝方の空いた道路を飛ばして自宅にサムの車で帰宅した。サムは今日の事
務の手配と飛行計画を指示したら4時間ばかりで戻ってくると話して帰って
行った。

電話をしていたので雪子だけが裏口から迎え入れてくれた。秘書のアミーも
リカも同じ部屋で良く眠っていると言うと、寝室の浴室にお湯を溜めているの
で、入浴を勧めてくれた。
富蔵は雪子を抱きしめると唇を合わ無言でベッドに倒れ込んでいた。
事が終り、そのまましばらく、先ほどの疲れからか寝入っていたが、どのくら
い寝たかは分からなかったがコーヒーの香りで目が覚めた。

冷えた風呂に入ると下着を全部交換して、服も着替えていた。
子供を膝に、ゆっくりと雪子が入れたコーヒーを飲んで、朝のラジオに聞き入
っていた。
サントスでの倉庫火災の状況もラジオが話していたが、完全鎮火までに16時
間以上も掛かり、現場での長時間の高熱火災で、殆どの物が炭化して、鋼鉄
なども焼け爛れた状態で状況証拠が僅かしか取れなかったと話していた。
捜査はかなり時間が掛かるようだと付け加えていた。

コーヒーの後のフルーツを食べている時に、サムが迎えに来ていた。
サムもコーヒーを貰うと、飲みながら富蔵の子供としばらく遊んでいたが、腕
時計を見て富蔵を促すと裏口から皆を起さないように静かに出て行った。

ガレージに到着するとすでにモレーノもぺドロも起きて、燃料を補給して車を
点検していた。昨夜の事件で、公園の立ち木にタクシーが激突した現場から
60mぐらい坂の上に、ひっそりと駐車していたので、誰も気が付かなかった
様だが、警察では大木の衝突火災を事故とかたずたので、サントスの情報
提供者が昨夜、女が乗っていた車を現場から密かに持って来ていたが、車
のトランクが開けられ、荷物を検査して中身を見ていた。

富蔵は昨夜の光景を思い出して運転席を覗いていた、小さな散弾のへこみ
が3個ばかりドアに見えていたが、割れた窓ガラスもかたずけられ、後は何
も変わりない普通のフォードの車であった。
情報提供者が書類の中にあった手紙の住所から、死んだ女のアパートを見
つけていた。

手紙の差し出し先はリオから投函されて、その名前はエーリッヒ・へブナー
と読めた。手紙の内容からその死亡した女が恋人のようであった。
その時、電話のベルが鳴り、刺客がリオ街道の半分を過ぎた所を走ってい
ると途中のガソリン給油所から電話が来た。

全ての準備が整い、リオから急いでサンパウロに急行する男を迎え撃つ
事になった。サムとモレーノに分かれて二台の車に分かれて分乗した。
情報提供者達も、二台の車を出す事にして、すでに一台には2名が乗車し
て、リオ街道に先に出かけて30km地点で待ち伏せしていた。

サンパウロ市内に入る前にリオ街道の一本道を走っている時に狙うという
事が決まった。味方の目印は安物の白いパナマ帽子が配られ、運転する
も者がそれを頭に載せていた。リオの刺客を逃してサンパウロ市内に逃げ
込んだら、後は探すのが非常に難しいという事は誰でも感じていた。
チヤンスはその前しかなかった。

リオ街道の30km前から刺客を倒すチャンスを狙う事にした。
一番最後に富蔵とサムが乗った車がガレージを出て行った。出る時、使
用人が戻って来たら、軽くクラックションを1回鳴らしてくれと言った。

走り出してサムが『今回はプロの刺客を、こちらから狙うのであるから 用
心に越した事は無い・・』と話して後部座席に手を伸ばして、防弾チョッキ
を富蔵に見せた。

最初に出た車はリオ街道の30km地点の、電話がある休憩所ですでに
見張っていた。
20km地点近くのガソリン給油所辺りで、モレーノと情報提供者が出した
車二台で、連帯して襲うという手筈をしていた。

その少し走った所の大きなカーブ地点でサムと富蔵達が最後に待ち構
えていた。
モレーノが信号拳銃を用意して20kmのその地点を逃がしたら上空に
信号を打ち上げると話が決まっていた。

そこから数分も掛からない地点なので、いざと言う時の信号を見逃さな
い様に富蔵達は注意していた。
周りはジャングルが残る農村地帯で、微か遠くに農家が見えていた。
時間は容赦なく過ぎて行き、、刻々とリオの刺客が近よって来ていた。

富蔵とサムは防弾チョッキを付け、持って来た飛行場の事務所に置い
てあった、シュマイザーに弾倉を装填して、各自の銃器の弾を確認し
ていた。
サムがシュマイザーを軽々と片手で握り、マシーン・ピストルの感覚を
試していた。富蔵は今回も愛用の拳銃に猛毒を仕込んだ散弾の弾を
2発最初に詰めていた。

その時、いきなり信号弾が微かに晴れた空に打ち上げられた事を確
認した。

2013年2月24日日曜日

私の還暦過去帳(350)

訪日雑感(6) 

世界を見ず、日本を語るなかれ・・、と言う事を聞いた事があります。
意味深い言葉と思います。

日本人は己の存在を世界の鏡に写してから、その姿を見るという事をし
なくては、これからの世界では生きていけないと思いますが、六本木ヒ
ルズを訪ねてからは、その言葉を体感と言う、現実の自分の身体で身
に染みて感じました。

その日、会合で招待された六本木ヒルズの最上階の展望レストランで
の話と会食も、エレベーターを降りて一歩内部に足を踏み込んだ時から
ショックな事が体感として感じました。
それはアメリカの現代社会では法律として禁止されている、喫煙の嫌な
臭いです。
私は一瞬、アレー!と感じました。

日本ではこんな高級感のある展望レストランの逃げられない密閉空間で
喫煙か??と言う疑問でした。
それは内部に足を踏み入れて即・・、現実に目にする事が出来ました。

あるグループがテーブルを挟んで何か話をしていましたが、そこで数人
の男性がタバコを喫煙しているのでした。

一瞬私は自分の目を疑いました。

それはアメリカの社会的な感覚からすると、まったく信じられない、驚き
の行為だったからです。
私が住んでいます市では、喫煙者の割合は人口の9%以下となってい
ます、禁煙条例が厳しく、学校、家庭、職場、公共施設など全て厳重に
守られているからです。

最近では車の運転中に幼児が乗車している中で、親か他の人間が喫煙
したら、犯罪となる厳しい取締りが出来ました。タバコ類は全て鍵が掛か
る陳列ケースでしか販売する事が出来ず、タバコ自動販売機も1台も在
りません。勿論の事に広告もダメです。

かなり前ですが私が買い物でヒスパニック系が多いスーパーの前で、紙
袋に入れた酒瓶を手に、タバコを吸っていた男がポリスに検挙されていた
のを見ました。ポリスはタバコを吸っている男の前に来ると、喫煙をやめ
るように警告しました。
男は酔っているのか止め様とはしませんでした。

ポリスは、当市では条例で街頭、公共施設の周りでは禁煙だと警告して
行動を開始しました。
ポリスは腕を掴んで男からタバコを取り上げようとしたら、抵抗した途端
に直ぐに腰のバンドにつけた胡椒の催涙スプレーを、『ちゅー!』と一吹
きでした。

男はタバコも酒瓶が入った紙袋も放り出し、ポリスは棒立ちになった男の
足のスネを警棒で軽く叩くと、倒れた男をアッと言う間に、手錠を掛けて
連行して行きました。
時間にして2~3分の短い時間でしたが、手馴れて商売上手と言う感じ
でした。

それからしたら日本でも有名な、世界でも知られたこの六本木ヒルズの
高級ラウンジがタバコの煙で喉が痛くなるという事は理解出来ませんでし
た。

分煙で限られた区域の空気浄化装置を付けた部屋など、日本の技術で
は簡単と思いましたが、そんな装置も無い感じでした。
しばらく話し込んでいた場所も、喫煙の煙の酷さで席を交換する事に致
しました。

日本のビジネス習慣か日本人の悪習と感じました。

アメリカなどに行って、ホテルの高級ラウンジで喫煙したらどうなるかな
ど、ビジネスを知った人間でしたら、あたり前に守るマナーと思いました。
その様なマナーも無いビジネスを語り合う人間達の背広姿に幻滅を感じ
ました。

私は家で晩酌しかしないので、酒も飲まず水のコップを前に話していま
した。私など滅多に来る事も無い場所ですが、良い経験と成ったと思い
ます。
私が知っているアメリカ人が嘆いていたのは、日本でのビジネスは
『酒とタバコ』にはホトホト参る事があると話していました。そして・・、
彼はアメリカにビジネスで来た日本人に喫煙場所を探して、州ごとに喫
煙の取締りが違う事を教える事に骨が折れる仕事だと話していました。

その夜、話が終わり会食となりましたが、久しぶりでの喫煙の煙と副流
煙の喉に来るアレルギー反応に、味は分からずじまいでした。
それにしても、日本の驚きの体験と貴重な経験でした。

誰かが話していたが、この森ビル経営者は『仏像作って魂入れず』と
同じだと・・!

2013年2月21日木曜日

第3話、伝説の黄金物語、(56)


 非情の戦い、

富蔵達がサンパウロ南部の高級住宅地域に着いた時は、日も暮れていた。
刺客が居るアパート側の公園に着いてから、モレーノ達が居るレストランに同
席して、これからの皆の分担行動を手短に話していた。

モレーノが受け取った小口径ライフルでアパートの出口から出て来た刺客を
狙うと言う事が決まり、それをペドロが掩護して周りを見張るという事になった。

サムがモレーノ達が乗ってきた車を運転して、富蔵がモレーノ達が狙撃して逃
げるのを拾うという手はずに決めたが、チャンスがあれば刺客達を車内で狙撃
して倒し、その車で遺体を乗せて逃げるという選択もしていた。

サムは追跡されたりした場合は富蔵の車を逃がす為に妨害と護衛も兼ねて
いた。モレーノが双眼鏡をケースから取り出すと、テストしていたが、これは使
える物だと話していた。

全ての打ち合わせが済んで、皆がコーヒーで乾杯すると一人ずつ分かれて持
ち場に消えた。
富蔵は車を運転すると、アパートの入り口の前にある緩い下り坂の60mぐら
い離れた道端に停車した。モレーノが狙撃して駆け下りてくるのには丁度良い
距離と配置であった。
すでにモレーノは茂みに隠れて伏せていると感じた。

アパートの入り口を見張らせる良い場所にペドロが身を隠すように大木の陰
に隠れていた。背広の下に隠したマシンピストルのシュマイザーの膨らみも
目立たなかった。

アパートの入り口横の駐車場には車が二台しか駐車していないので、どちら
かに乗り込むと感じていた。サムはペドロの近くの道路端に駐車していた。
これで逃げ道を用意して、それも二重に用意が出来たと感じていた。

何かの時はペドロはサムの車に飛び込むと決めていたが、用心にサムはコル
ト45口径の自動拳銃に30発の長い弾倉を取り付けて膝の上に置いていた。

富蔵は手馴れた愛用の38口径の拳銃に、サントス港の襲撃の時と同じ散弾
を2発最初に装填していた。
富蔵は余り得意でもない射撃をカバーする為に、蛇撃ち様の散弾に猛毒を仕
込んでいた。殺すか殺されるかの瀬戸際では意外と緊急に対処できる弾であ
った。

皆が配置について、時間がゆっくりと流れていたが、時折道路を疾走して行く
車があるだけで通行人の姿も見られなかった。
一番上の場所で見張りと護衛でシュマイザーを抱えて隠れているペドロが、
微かに合図して来たのを確認した。 刺客の二人が動き出したようだと感じた。

狙撃するモレーノ の姿は何処からも見る事は出来なかったが、微かに薮が動
いた様に感じた。
男二人が両手にカバンを持つと入り口から出て来たのが見えた。緊張が走り、
富蔵も膝の上に置いた拳銃を握りしめた。

刺客の男二人は、カバンを車のトランクを開けて荷物を入れていたが、一人
が先に運転席に乗り込みエンジンをスタートさせたその瞬間、運転席に居た
男がハンドルにうつぶせになり、動かなくなった。

トランクに荷物を入れていた男は異常を察知して身構えたその瞬間、ゆっくり
と仰向けに倒れて行った。
ライフルの消音効果が良いのか殆ど富蔵の車の中までは銃声は聞こえなか
った。

ペドロがモレーノに走り寄り、渡されたライフルを掴むとサムの車に走り込んだ。
それと同時にモレーノが刺客達の車に走り寄り、運転席に横たわる男を助手
席に引きずると、車のトランクの側に倒れた男を後部座席に抱えて投げ込む
と、車のエンジンを吹かして発進させた。

モレーノが逃げる様に合図して来たが、その時、サムの車がヘッドライトを点
滅させたのを見た瞬間、光りの中に、向かい側の道にひっそりと無人で駐車
していたと思っていた車の中から、若い女が窓を開けて、自動拳銃を突き出
してモレーノを狙っているのを見た。

富蔵はハッとして無意識で拳銃を窓から突き出すと連続して2発、女を撃っ
ていた。

パン・パンと連続して銃声がすると散弾で窓ガラスが割れ、ギョッとする光景
が見られた。顔を血だらけにした女が拳銃を両手で握りしめ、フラフラと道路
に降り立つと富蔵を狙って道路を横切る様に歩き出した瞬間、丸いヘッドライ
トが疾走してくるとブレーキを掛ける間も無く女を跳ねた。

女をボンネットに跳ね上げ、そのまま公園側道路の縁石を乗り上げると大き
な立ち木に激突した。
ボンネット上の女は大木に挟まれ無残な姿を晒していたが、瞬間ボーン!と
言う音と同時に火炎が車体下のガソリンタンク辺りから噴出すと一瞬で車を
包み込んだ。

富蔵が気をとり戻してモレーノの運転する刺客の車を見ると、駐車場から出
て、道路を走り出す所であった。それと同時にサムの車が、横をペドロを
乗せて走り抜けて行きながら、逃げろと合図をして来た。

富蔵は車を発進させ様と窓から横の道路を見ると、車から手の届く様な近さ
に自動拳銃が転がっていた。ドアを開けて手を出して拳銃を拾うと同時に急
発進させた。開けた窓から立ち木に激突して炎上する車の火炎の熱が感じ
られたが、まだ時間的には2分も経過はしていなかった。

その夜、ダイアモンド商会が指定する場所に車を停めると、ガレージのドア
が締め切られ、狭いオフイスのソファに情報提供者が皆に座るように勧め
て、ウイスキーを出して来た。
それから電話を2ヶ所ばかり掛けると、皆で乾杯するとグッと飲み干した。

彼は先ほどラジオを聞いたと話して、『女を跳ねたタクシーは運転手も乗客
も両方とも死亡した』と話した。
黒人の助手が無言でガレージに入ってくると、先ずカゴを差し出して色々な
食べ物を出してくれた。
それが済むと、ガレージの脇に停車していた車から刺客の遺体を引きずり出
して、服装を調べて財布から、ホルスターに入れられた拳銃まで、全ての
物をテーブルに並べて、直ぐに服を剥ぎ取るとキャンバスの包みに入れてし
まった。慣れた手つきで無駄がなく、短時間で終った。

情報提供者は直ぐ荷物を調べ、カバンを開けるとスタンドの光りの下で書類
を見ていたが、急に電話に飛びつくと、『リオの刺客の居所が分かった・・』
と声を出すと、何処かに連絡して指令していた。ガレージのベルが鳴り、誰
か訪ねて来た。入り口のドアが開き、ダイアモンド商会の社長と保安係りの
幹部が現れた。

富蔵たちを見回すと一人一人握手して、肩を叩き、感謝の言葉を掛けていた。
彼は『これで生き延びられた・・、これで殺される心配は無くなったが、用心は
しなくてはならない・・』と言うと、保安係りの幹部が持つカバンをテーブルに置
くと、『これは会社の保安、警護の裏金だから』と言うと、分厚い札束を富
蔵達に手渡してくれた。
モレーノには自分の飾り指輪を外すとモレーノに手渡し、『2カラットのダイア
がはめ込まれている』と言うとウイスキーをもう一度皆のグラスに注ぐと、
『我々のビジネスの繁栄と連帯に・・』と言うとグラスを鳴らして乾杯した。

電話が鳴り、情報提供者が受話器をとると、『リオの刺客の居所が分かり、
見張っている』と報告が来た。
社長は『リオの刺客に死を・・』と低い声で言うと、キャンバスに包まれた遺体
にグラスの酒を垂らしていた。

2013年2月20日水曜日

私の還暦過去帳(349)

今日の私のお勧め映画は007-慰めの報酬、『Quantum of Solace』
の最新作です。

今回の映画はいつものスクリーン冒頭に登場する、お馴染みのテーマ音
楽にのって007がシルエットとして字幕と音楽が鳴り響くのですが、意
外とラップ・ミュージックの感じがする主題歌と共にスクリーンの幕が開き
ます。

私には何か拍子抜けの感じでした。永年続映と続く映画ですから、007
に扮する俳優も、タイトルの出だしも、それは変化改革があるのはあたり
前です。
毎回、40年近く見ている007の映画ですが、今回のアクションは正
統派で、ゲーム感覚を排除した感じで、目を見開く様な連続のアクション
が国境を超えて展開されます。

最近のニュースで、このアクションばかりの映画を、Cクラスとか酷評して
いるのも見受けられますが、私はそこまで肩の力を入れて見るほどではな
いと心得ていますので、チョコなど、たまには持ち込んで食べながら、こ
の歳でも50年前に見た活劇時代劇で鞍馬天狗の登場を『それー!』と
声援した気持ちと同じ感じで見ていました。

それが正解と思います、何か意味ありげな粗筋もない、現代活劇のア
クション映画です。

何もかも手に汗を握る感じで、007がスカッー!と格闘技などを決めて、
ドドド・・、と撃ち合う様に、それ行け、それやれ・・、ぶっ飛ばせ・・とか、
つぶやきながら見ている方が何か様になる映画と思います。

と言う事で、理屈ぽい、何となくドラマ映画が好きな方にはお勧めは致し
ません。

それと・・、今回の映画でボンド・ガールと言う新人の、綺麗どころの絡み
合いなどの濃厚なシーンが少なかったのには少し残念でした。

また・・、
アクションの凄まじさは、近頃見た中でピカイチの出来栄えと思います。
映画の冒頭、カーチエースの凄まじさは、どぎまぎと手に汗を握るとい
う言葉が当てはまると思います。
イタリアで撮影されたカーチエースの撮影で、スタントマンが事故で重症を
受けたと言う報道も有りました。

DC3の双発プロペラ機などを何処から探してきたか知りませんが、その
空中追っ駆けごっこには、チヨイー!とハラハラさせられました。

私が49年前にパラグワイで搭乗したDC3と同じ飛行機で同じ様に通路に
荷物が搭載された状態で、スクリーンに飛行機が出てきた時には、何か
ワクワク致しました。

今回の007シリーズ最新作『クォンタム・オブ・ソラス』(原題)はSony
 Picturesによって公開されました。
アメリカでは11月14日頃からカリフォルニア州、サンフランシスコ周
辺では封切りされています。

 この映画の粗筋は・・・、
恋人ヴェスパーに裏切られた007(ダニエル・クレイグ)は個人的な未
練を持ったまま、再び任務に就くが、その真相究明のために、ボンドと
M(ジュディ・デンチ)はミスター・ホワイト(イェスパー・クリステンセン)
を尋問するが、ヴェスパーを脅したのは世界中に情報網を張る、複雑
怪奇な想像を絶する様な危険な組織だった。

ボンドは MI6 の裏切り者とハイチの銀行口座とが結びつけられたりする
が、人違いがきっかけとなり、ハイチでボンドは美しくタフな女カミーユ
(オルガ・キュリレンコ)に出会う事に成るが、その彼女も自分の家族の
復讐を計画していた。

カミーユによってボンドは冷酷な事業家で謎の組織の幹部、ドミニク・グ
リーン(マチュー・アマルリック)に近づいていくのであるが、そこで場面
が変わり、 任務でオーストリア、イタリア南アメリカへ向かったボンドは、
グリーンが世界で最も重要な天然資源の完全支配を狙っていることに気

が付き、それを追って問題解決に向かうが、グリーンは追放されたメドラ
ノ将軍(ホアキン・コシオ)との取引を画策して、組織の協力者と CIA や
英国政府の内通者を操るグリーンは、メドラノに南米某国の現政権を失
脚させて将軍が支配者になれるように約束し、その見返りとして何故か
荒れた土地を求めていた。

裏切り、殺し、そして偽りが渦巻く世界で、ボンドは旧友の協力を得て
真実の解明の為に戦うのであった。ヴェスパーの裏切りを招いた黒幕の
男へ近づくにつれ、007は CIA、テロリスト、M よりも先回りして、グリ
ーンの陰謀と組織を阻止しようとするのである・・・、

詳しくはこの映画をご覧になり、納得して下さい。

とか・・、書くと何か凄いストーリが在ると感じますが、アクションなどを見
ていると、筋書きなどは必要なく、私などは、それ行けー!それやっつ
けろー!とまさに単純な動機で見ていました。

と言う事で、ご覧下さればとお勧めいたします。

アクション活劇映画度:100
日本公開予定:09年1月
映画:アメリカSony Pictures

映画公式サイト:http://www.sonypictures.jp/movies/quantumofsolace/

『007/慰めの報酬』 テーマ歌手はアリシア・キーズとジャック・ホワ
イト デュエットで主題歌を担当するのは、46年間続く007シリーズ史上初
となります。
曲のタイトルは "Another Way to Die" で、10月28日にサントラCDがア
メリカで発売されます。

この『007 カジノロワイヤル』の原作はイアン・フレミングの原作『カジ
ノ・ロワイヤル』が原作の007シリーズの原点としても注目される作品の
一つで、映画監督は、『マスク・オブ・ゾロ』や007シリーズ17作目の
『007 ゴールデンアイ』でも監督としてメガホンを握ったマーティン・キャ
ンベルが務めています。

2013年2月19日火曜日

第3話、伝説の黄金物語、(55)


 殺すか殺されるか・・!

情報提供者はドイツ語も堪能と見えて、かなりの速さでページをめくりな
がら、書類の束を見ていたが、倉庫の中は静かに皆が注目して情報提
供者の動きを見ていた。

彼はしばらく書類を丹念に見ていたが、『これは金銭には計れない重要
なニユースが含まれているので、ダイヤモンド商会の社長と幹部に直ぐ
に会い、この書類を見せたいので、これで失礼する』と言うと握手を皆と
交わすと、『後で連絡します・・』と言い残すと、車で去って行った。

倉庫の従業員が、まだ暖かいパンの袋を抱えて戻って来た。
コーヒーが入れられ、バナナとパパイヤが盆に出されて簡単な朝食を提
供してくれた。

モレーノと富蔵はアマンダの兄弟と食卓を囲むと今後の行動を話してい
たが、サンパウロに帰る前に、今日の現場火災の様子を見て来るとモレ
ーノが言った。

彼は倉庫に置いてあったバイクを借りると、倉庫を抜け出して朝早い道
路に走り出していた。
30分もしない内にモレーノが戻って来た。帰ってくるなり声を弾ませて
『酷い火災だ、あれでは何も残らず完全に灰になると思う・・』と言うと、倉
庫の鉄骨まで高温で焼けて、アメの様に曲がり崩れ落ちて、まだ消防車
も周りの倉庫延焼を防ぐ防火放水だけで、火災は放置されている・・』と
話した。

もう一杯のコーヒーを飲むと、倉庫の従業員に礼を言って皆が乗り込む
と車をスタートさせた。
早朝のサントス街道はまだ空いて、サンパウロのサムの飛行場まで一時
間チョいで到着した。
サムとペドロは事務所に戻って来ていた。
秘書のアミーは富蔵の自宅で、リカと雪子に囲まれて安心して眠っている
とサムが教えてくれた。

全てが平常に戻り、こちらは何も損害も無く、怪我人も出なかったことを
皆が喜んでいた。全て、車の中身のかたずけも終って一休みしている時
にダイヤモンド商会の社長から電話が来た。
『今日のお昼に、ランチを挟んで内密な話をしたい・・』と言う誘いの電話
であった。

皆が事務所のテーブルを囲んで休み時間に先ほどの書類の件を話して
いたが、重要な話しになると感じて、サムとモレーノに、それに富蔵も参加
して三名で行く事にした。

アマンダの兄弟二人はリオ・ベールデ行きの朝の定期便に同乗して、持
参して来た銃器と戦利品の銃器一部を積み込むと帰って行った。

モレーノはペドロを連れて飛行場の片隅の倉庫の陰で戦利品の自動小銃
通称、マシーン・ピストルと言われていた、シュマイザーを試射していた。
モレーノが、使える銃器だと話して戻って来たが、ペドロも試して撃ったの
か二人で何か話していた。

時間になりダイヤモンド商会のオフイスにペドロが運転する車で、皆で出
かけて行った。ダイヤモンド商会の事務所に行くと、すでにテーブルが用
意され、レストランから持ち込まれていたランチが用意された。

その前にワインを開けて、チーズとオリーブの肴で話しながら食前酒とし
ていた。先に来ていた情報提供者も皆とワイングラスを持って話しの輪に
入って居た。
社長が ワイングラスを軽く叩いて注目を集めると、今回の事件の件で話
を始めたが、皆が緊張をして聞いていた。

最初に口を開いて『我々は狙われている、押収して来た書類から、彼等
が邪魔者を抹殺、暗殺して勢力拡張とビジネスの対抗勢力を蹴落とす魂
胆だった。』とはっきり言った。
その時、秘書がスミス商会の幹部達と社長が揃って今、到着したと告げた。
ドアが開き中に招き入れられ、社長同士が固く握手していた。

直ぐに二人は部屋の隅に行くと、何か小声で話し込んでいた。それが済
んでから、グラスを片手に書類を見ていたが、緊張してその書類を見てい
るのが、誰からでも分かるような感じであった。

その後、ダイアモンド商会の社長が、『我々は団結して、新興勢力からビ
ジネスを守らなければならない、ドイツ系の組織された新興勢力は、ブラ
ジルへの情報網設置も兼ねて動いているので、国家がバックに居る事を
頭に入れて行動しないと、直ぐに抹殺され、主だった経営陣は暗殺される
危険性が出て来た』とそこまで言うと、書類のページを見せて『ここに書い
てある事が事実であれば、すでに刺客が放たれ、先週から活動を開始し
ている・・』と言った。

この書類に書かれている名前の刺客の目標は、スミス商会とダイアモン
ド商会、我々二人の名前も入って居るので、狙ってくる事は間違いない事
だ・・、』と言った。

スミス氏は『私はユダヤ系の経営者だから彼等のナンバーワンの目標
となっていると感じる』と話していた。

サンドイッチとサラダなどの軽いランチが終わり、コーヒーが出される頃
には、食事の時間にあらかたの話が決まっていた。
情報提供者が総括して、食事時間に大体まとまっていた話を皆にして
いた。

『サンパウロには3名の刺客が放たれていたが、一人は今回のサントス
港の倉庫での事件で死亡したと推定され、後の一名がリオデジャネイロ
に活動していると確認されるので、事件が起きる前に刺客達を消さねば
ならない』と皆の前で話した。

『すでに私の部下が2名も彼等に殺されていた』と言うと、悔しさをかみ
殺しているのが誰の目にも分かった。

サムとモレーノが富蔵を交えて書類の名簿にあった3名の名前を見て
いた。リオで活動しているとされる人物は、エーリッヒ・へブナーと読めた。

サンパウロはフランツ・ハルダーとハンス・オスターと書いてあったが、早
速知り合いの電話局の係りに電話して、サンパウロに滞在して居ると言
う、この二人の名前で電話が登録されていないか調べてもらう事にした。

モレーノがペドロを呼んで金が入った封筒とフランツ・ハルダーとハンス・
オスターと名前を書いた紙切れを持たせていた。ペドロが急ぎ足で電話
局に急いだ。
サントス港近くの倉庫が事件での火災と判明する前に急がせていたが、
それは間に合った様だった。

電話局の知り合いは過去3ケ月の新規登録者から、ハンス・オスターと
言う名前を探し出してくれた。
場所はサンパウロでも高級アパートがある、南部地域の住所であった。
リオで活動していると予測される人物は、情報提供者が早速、電話に取
り付いて手配していた。

ダイアモンド商会とスミス商会の幹部や社長が、自分達の配下の中から
会社の警備と保安を担当する者を選んで直ぐに対策本部を事務所の一
角に開いた。

モレーノとペドロ達がすぐさま行動に移した。ダイアモンド商会の社長が
『この対策事務所は24時間開いているので、緊急の時はいつでも連絡
をしてくれば手助けを出す・・』とモレーノに話していた。

モレーノとペドロが夕方の混雑し始めた道を、車でアパートを偵察に出か
けて行った。
サムと富蔵は幹部と今後どう対処するかの話をしていた。暗くなり2杯目
のコーヒーを飲み干した頃に、電話があり、双眼鏡とスコープが付いた
小口径ライフルをモレーノが持ってくる様に頼んで来た。

警備と保安係りの幹部が、奥からブローニングの22口径に消音器を取
り付られるライフルと皮のケースには入った双眼鏡を持って来た。
そしてライフルは100m以内だったら完全にスコープは調整してあると
富蔵に教えてくれた。
サムが運転する車で富蔵とサンパウロ南部地域の指定された場所に行
った。

公園側のレストランでモレーノ達が待っていた。
フランツ・ハルダーとハンス・オスター達が アパートにいる事が確認され
、『彼等が急いで移動の荷作りを始めている・・』と、モレーノが教えてくれ、
彼等がアパートを出て動いたら直ぐに襲撃すると言った。

富蔵は『先手必勝』の言葉を思い出していたが、緊迫した時間に皆の身
体から殺気が出ていた。

2013年2月17日日曜日

私の還暦過去帳(348)


   訪日雑感(5)

バスの中から見上げるビルの威容はいつもサンフランシスコの下町で高層
ビルの下を車で走る私にとっては、日本もやるなー!と言う実感が有りまし
た。バスは平日は渋谷からの通勤バスのようでした。

玄関口の車寄せまで入り、停止いたしましたが、そこが終点で、また渋谷に
折り返す様でしたが、すでに長い乗客の列が出来ていました。

私はまだ待ち合わせの時間が有りましたので、早速に野次馬根性丸出し
で、風体は田舎からの、おのぼりさんの格好で歩いていました。
映画祭のイベントが行われ、沢山の観客が来ていました。
直ぐ横では何か別のイベントが開催され、テーブルにはお客が来ていました。

賑やかです・・、ハロウイーン仮装の子供達がゾロゾロ歩いています。
昔は日本では見たこともない行事ですが、アメリカからの風俗輸入で商魂逞
しい人間のビジネスと思いました。

誰かが話していたが、見栄、虚勢、猿真似、アメリカかぶれ?の若者達が
国電の山手線の中で、仮装姿で外人と混じって大騒ぎをしていたと皮肉っ
ていました。

私の家の周りに来る仮装の子供達は、可愛くて愛らしい白雪姫服装や、ま
た時にはスーパーマンの姿で驚かしてくれますが、日本で見ると少し違和感
がありました。
まさに時代が変化して時が過ぎ去った事が肌で思い知らされました。

その様な子供達をベンチで座って見ていたら、隣りに英語を話す子供達が
座りました。聞くと英国から修学旅行で日本観光に私立学校から皆で来たと
話してくれました。
英国も修学旅行があるのです、高校生と話していましたが、ジーンズのズボ
ンや短パンの格好で元気で騒いでいました。

早速、英語を話す私を捉まえて質問攻めでした。
私も彼等に質問を返していましたが、彼等が感じる同じ世代の日本人を見
た感想は私が感じる事と同じものを持っている思考がありました。

違和感と言うより、なぜと言う文化の違いです、彼等が最初に見たのは京都
と奈良の昔の日本の文化と、その遺産的に裏打ちされた日本人と言うもの
を見た印象でした。

私と年齢的には3倍の差が有りますが、思考的にはゼロと言う時間的な差
です。彼等が『なぜー!』と言う疑問が、私と共通した背景には時代と言う
より日本人がなぜもこうも変化したかと言う事でした。

英国人の保守的な裕福層のプライベート学校の生徒達です。
彼等の考えと思考が、もっと日本の同じ若者達の姿を鋭く批判して見てい
ます。時代とか、民族とか、年齢とか、言語的、思考的な異差です。

側のベンチで若い日本人の女性がメイド喫茶風俗の格好で2人居ましたが、
英国の学生達の見る目はまったく理解が出来ない目で見ていました。

私は英国から来た修学旅行生達に学ばせられました。
それは彼等が受けた国家感のある、教育思考から来る価値観と思いました。

しばらく愕然として彼等の話を聞いていました。

日本の教育観念をもう一度見詰めなおす事にも成る様な差です、教育は国
家の土台と言う事を認識させられた一瞬でした。

その時に私の心に横切ったものは、これからの日本を背負う若者達の教育
概念の事でした。果たして日本はこれからどうなるか?

一人の英国人学生が話した言葉が私の心をグサリと刺しました。

彼は『この様な素晴らしいカメラを製造するが、資源も無く、農業自給もなく
した国家が人的資源の枯渇と教育理念の破壊を放置して、日本はこれから
どうするのだろう?』と言う言葉でした。

この六本木ヒルズの森ビルの入り口に立ち、見上げたビルの建物が何か
むなしい象徴の様に感じて、この中には日本の要を握る人間達が居ると言
うのに、私の目には空ろに写った感じでした。

2013年2月16日土曜日

第3話、伝説の黄金物語、(54)


人質奪還の戦い、

銃声が瞬時に一発に聞こえるように鈍く響いた。

開け放されたドアから、腰に拳銃を差した金髪の大男が顔面を撃ち抜かれ
て無言でスローモーションの様に倒れこんだ様子が見えた。
他の二人の男達はモレーノが撃った弾で、椅子に寄りかかるように即死し
ていた。
ペドロと富蔵が拳銃を構え、モレーノが用心深く両手に2丁拳銃を構えて
部屋に入ると、消音拳銃で用心に三人の男達に止めの銃弾を撃ち込んで
いた。
直ぐにアミーの縛られた肢体を解放すと、毛布に包み込み富蔵とペドロで
外に担ぎ出した。外灯の光りを透かしてサムに合図すると、車が急発進し
て倉庫の敷地に近寄って来た。
後部座席にアミーを寝かすと、ダイヤモンド商会の情報提供者が紹介して
くれた場所にサムが車を飛ばして消えて行った。
それと入れ違いに情報提供者が運転する富蔵達の乗用車が近寄った。

無言で黒人の助手に合図すると、車から石油缶を両手に抱えて倉庫に入っ
て来た。中に入っても驚く様子もなく、黒人の助手を使い、モレーノや富蔵を
達を指図して事務所内の机や、キャビネットを捜索をしていた。

幾つかの書類の束をカバンに詰め込み、外を見張っているアマンダの兄弟
に一人に倉庫の側の水路の岸壁に繋がれているモーターボートの中を捜
索する様に頼んでいた。

テキパキと手分けして倉庫と事務所内を探していた。
2百キロは有りそうな小型金庫は倉庫内に駐車していた小型トラックの荷
台に全員の力で投げ込まれた。長方形の頑丈な木箱もバールでこじ開け
られ、中からモーゼルのライフルとマシンピストルと言われる自動小銃も出
て来た。それもトラックに投げ込まれた。

その時、モーターボートを捜索していたアマンダの兄弟の一人が走り込ん
で来た。遺体がキャンバスに包まれて2体乗せられていると話した。

富蔵とモレーノが見に行ったが、後を付いて来たダイアモンド商会の情報
提供者がチラリと死顔を見ると、キャンバスを被せて『こんな所で死んでい
たのか・・』と言うと胸の前で十字を切り膝を付いて祈っていた。

黒人の助手に何か命令すると、黒人の男はボートのエンジンを始動させ
ると岸壁のロープを外し、水路を静かに出て行った。
情報提供者が倉庫のシャッターを開けてトラックを出すと、この倉庫を焼
き払うと言って持ち込まれた燃料缶を用意すると、富蔵達に外に出る様
に指示した。

倉庫の外の道路では薄暗い外灯の下でエンジンが掛かったままの小型
トラックと乗用車がひっそりと停車していた。
深夜誰も居ない倉庫群の侘びしい地域で、モレーノとぺドロに射殺された
死体も犬も倉庫内に運び込まれ、事務所内に適当に横たえられた。

倉庫の片隅に積まれた燃料のドラム缶が目標にされ、燃料缶からドラム
缶に石油を撒かれて、小型の包みがセットされた。

もう一度周りを見回すとセットされた包みを情報提供者が軽く叩くと、急ぎ
足でトラックに乗車して、皆を急がせた。
富蔵達は倉庫の入り口とゲートを閉めて鍵を掛けると5人が車に飛び乗
った。
トラックの後を付いて走り、後ろを振り向くと鈍いブオーンと言う音が聞こ
えると、紅蓮の火柱が立ち上り、瞬時に火炎が倉庫を包んだ。それを見
届けるとスピードを上げて現場を走り去った。

情報提供者が紹介した隠れ家は同じく倉庫で、それは街中にひっそりと
小さな入り口だけがあり、その奥にこじんまりとした平屋の倉庫があった。

中に車を入れるとすでにサムの車があり、アミーが気絶から覚めて服も
着て、肩から毛布を被り椅子に座っていた。手には暖かいミルクコーヒー
が握られ、安堵の表情をしていた。

外の道路を消防車が何台も走り抜けて行く音がしていた。

アミーがミルクコーヒーを飲み干すと、モレーノが抱きかかえて抱擁して、
『もう心配要らない・・』と言うと、車のドアを開けて乗車させるとペドロを
側に座らせ、サムがハンドルを握ると、先にサンパウロ郊外の飛行場に
戻らせた。

小型トラックから下ろされた金庫の裏が、簡単にガスバーナーで焼き切
られて富蔵達の前に中が開かれた。
英国ポンドとドル紙幣の束が出て来た。それと皮袋に入ったダイアモンド
の原石が少量と拳銃が8丁ほど出て来た。
武器が入った箱も開けられ、床に並べられたが、ライフルが10丁と自動
小銃が6丁出て来た。

情報提供者は先ほどのボートキャビンの遺体は『我々の仲間だった!』
と話してくれた。
紙幣の束を数えると、均等に2分して『この半分を遺体になった仲間の身
内に与える・・』と話した。
誰も異存はなかった。他の銃器類は二等分に分けてしまった。

分けられたライフル5丁、自動小銃3丁、拳銃4丁の戦利品が車のトラン
クに積み込まれると安心したのか、皆がホットしていた。

一仕事終えるとビールが良いか、スコッチウイスキーかと情報提供者が
聞いて来た。
富蔵は喉が乾いていたのでビールを頼んだ、他も皆がビールにした。

軽く皆とグラスを合わせると飲み干した。モレーノが『だいぶお土産まで
貰って来た』と声を出して皆を見た。
闇に情報を張り巡らしてうごめく者達と、それに対抗する太陽の下で行動
する男達の戦いであった。

当時の司法は力が弱く、末端の警察機構などは、誘拐などの組織だった
事件を完全に解決出来る力はなく、出来ても長期の時間と、忍耐と犠牲
の上に解決されると言う矛盾があった。

まして国家をバックに情報機関としての活動する構成員は、訓練と経験
ある行動で、資金と頭脳をフルに活用しているので、最終的には殺すか
殺されるかの戦いであった。
彼等、仲間2名の遺体は、黒人の助手が船で遠く離れた岸壁から密か
に持ち帰ったと話してくれた。
もしも、あのまま知られることなく居たら、密かに大西洋の海の中に重
石を付けて遺体は沈められて居た様だと話していた。

事務所のラジオを入れると、早朝のラジオニユースが速報を流していた。

『今朝の倉庫火災は貯蔵されていた燃料とドイツから輸入されていた染
 料の可燃物に引火して、消火困難で化学消防車がない現状では、燃
 えるにまかして、延焼だけしないように隣接の倉庫に放水している』と
報じていた。

カバンから書類を出して情報提供者が灯りの下で読んでいたが、大きく
唸ると、『これは重要な情報だ』と声を出した。

2013年2月15日金曜日

私の還暦過去帳(347)

訪日雑感(4)

今夜は六本木ヒルズでの待ち合わせがありました。
無事に渋谷に到着してホテルの宿泊も決まり、私の好きな天ぷらソバで、
お腹も満腹となり、元気はつらつとしていました。

しかしお天気はすぐれず、時折、ぽっん!と雨が落ちてくる感じでした。
相変わらず蒸し暑く、九州に宅配便で送る荷物から着替えのシャツは沢
山出していました。まだ時間が有りましたので、少し偵察に渋谷の街中を
歩いて見ることに致しました。

まさに学校出てから49年、様変わりとはこの事で、昔の渋谷食堂など
は皆目分かりませんでした。私が学生で上京して来た53年年ほど前の
時代は、渋谷食堂などは我々の素寒貧の学生では手頃の、丁度財布に
マッチした食堂でした。

履いていた靴は今年の6月、7月に南米を歩き回ったハイキング・シュー
ズでしたので、歩くのには何も問題は在りませんでした。
トコトコと歩き回りましたが、すれ違う若い男女のひょわなー!との感じに
は驚きました。

何か若い男性がが女性化した感じで、動物実験で有害物質を含んだ食物
連鎖では、微生物が女性化してメスになると言う事を聞いて、また読んで
いましたので、いよいよ日本ではその現象が起き始めたかと疑いました。

眉を剃ってピアスを鼻にして、まったくファッション雑誌から抜け出てきた
様な若者達も居ます、まるで猿真似の典型的な写しで、まさに私から見た
ら個性も、その人物から出るオーラーも在りません。

履いている靴としたらブーツ系が多くて、それにホット・パンツに変わり色の
ストッキングと言う姿でゾロゾロと歩いています中で、清楚なスカートで薄い
セーター姿の若い女性も居ました。
それが黒いツヤのある長い髪で普通の小型のハンドバックを手に歩いて居
る姿がもっと強烈な個性と、日本女性の美しさがあると私の目には感じました。

昔の様に学生服で歩いている姿は一人も見る事は在りませんでしたが、制
服らしいネクタイ姿の学生と会いましたが、その全員が携帯電話を持ち、
色鮮やかなバックで学生のイメージとは少しかけ離れていました。
一人だけ歩いていたら、どこかのレストランのウエイトレスかと思う姿でした。

渋谷の繁華街も広く、高層になり昔のバラックの飲み屋街など何処を探して
も在りません、狭い路地から焼き鳥の臭いが漂い、梅割の焼酎片手にサラ
リーマンが焼き鳥を食べている姿など何処にも見ることは在りませんでした。

テレクラとか、漫画喫茶などと並んで、カラオケがあり、24時間オープンの
ハンバーグ屋に並ぶ若者達の姿は、ハンバーグを食べ過ぎて、体質まで変
化したかと思うくらいの若者達がゾロー!と並ぶのを見て、まさに自分が遠く
離れた異国に住んで、今浦島と感じる良い機会でした。

時間になり、渋谷のバスターミナルから六本木ヒルズまで行くバスに乗り込
みましたが、優先席に座るか・・、考えましたがまだまだと普通席に座りました。

隣に若いアメリカ人の女性が子供を連れて乗車していました。どこかの水泳
クラブからの帰りのようでしたが、着く2駅前まで、子供のバイリンガルの話
で、二人で盛り上がっていましたが、それと言うのも、私が3人の子供を2
ヶ国語で育て、成功していたのですから、若い白人の母親が自分の子供に
もと考えて話し込んでいたのでした。

アメリカン・スクールに通学していると話していましたが、外では日本語の世
界で、かなりの言葉の狭間のギャップに子供が苦労している様でした。
それからしたら、アメリカに移住し、移り住んでから、私のパラグワイで見た
メノニータの人々が、メノー派からの分離したアーミッシュの一宗派でしたが、

その信念の硬さと、言葉と言う民族理念と家族と家庭教育の全てを合わせ
持った教育で、子供を育てている事を見て、それを私も実行した事を話すと
感心して聞いてくれました。
読み書き話すと言う家庭教育の基本を話したのですが、みじかな時間に、
これほど子供の教育の件で話した事は在りませんでした。

そのアメリカン人親子がバスから降りて、直ぐに見上げるような六本木ヒルズ
のビルが見えて来ました。
デカイビルだなー!と言う感じが先ず初めに感じた事でした。

2013年2月13日水曜日

第3話、伝説の黄金物語、(53)


 冷酷な報復、

電話が鳴り響き、モレーノがその受話器を取り上げ、その廻りに耳を澄ま
せた男達が取り囲んだ。

『人質を預かった、少し相談したい事がある・・、』と切り出してきた。
『明日、ナポリと言うイタリアン・レストランで昼過ぎ2時に待っている』と言
うと向こうから電話を切った。
場所はサンパウロの中心から外れた、イタリア人達が多く住む地域の下
町であった。

その時、誰かが車を飛ばして来るのが窓から見えた。
直ぐにダイヤモンド商会の顔見知りの従業員と言う事が分かった。

ダイヤモンド商会の社長に、人質にされた秘書のアミーの件で、尽力を電
話で頼んでいたので、何か情報を持って来たと感じていた。
やはりその通りであった。

貴重な情報であった。ダイヤモンド商会では『情報は金なり・・』と言う信条
で、各地に情報網を構築して、ビジネスに役立てて居たが、そこからの情
報でドイツ系の組織がサントス海岸近くで、港の倉庫に根城を作り、サント
ス港に入港するドイツ系の貨物船などで人員や物質など、ブラジルの活動
に必要な物と人材を行き来させていると、言う事が判明した。

場所や住所は一枚の用紙に全部書き出してあり、その倉庫の略図と、彼
等が使用する車の種類とライセンスナンバーも書いてあった。

サムが早速お礼の電話を社長に入れていたが、サントス港近くの情報提
供者の極秘の電話番号も社長が教えてくれた。

皆がホッとして、簡単なサンドイッチの夕食を食べると、今夜の内に行動
開始を皆が了承した。
先ずリオ・ベールデから持ち込まれた銃器を出して整理していた。

モレーノが早速今夜にでも偵察に行くので、用心に消音拳銃を組み立て
用意していた。防弾ベストも4個あるので、胸当て防弾のチヨッキも彼が
試着していた。

相手は訓練され、経験のある集団で、少しのミスも命とりになる可能性が
あった。ペドロがモレーノの助手として今回はペアを組む事になった。

ペドロの小柄な身体に抜群の運動性と機敏な動作を秘めて、モレーノと
彼等の隠れ家の図面を見ながら偵察の計画を練っていた。

モレーノはペドロを事務所から離れた倉庫の陰に連れて行くと、消音拳
銃の射撃を教えていた。弾倉を4個ばかり撃ち尽くすと、軽々と20mばか
り離れた標的の中央を打ち抜いていたが、消音され、押し殺した音は遠
くには響かなかった。

アマンダの兄弟の一人がトンプソン・マシンガンを持ち、他は散弾銃に鹿
弾を入れて用意していた。各自が護身用の手馴れた拳銃を持ち、富蔵は
スコープの付いた狙撃ライフルを持っていた。
サムが自動車を用意してガソリンを補給していた。 それが済むとロープ
や簡易折りたたみのハシゴなどもトランクに入れていた。
緊急薬品などのバックも積み込まれていた。

目立たない普段着で二台の車に皆が分散して乗り込むと闇にまぎれて
出発した。
サンパウロからサントス街道をひた走りに突っ走り、サントス港の近くの
倉庫群の近くまで来た。
場末のカフェー屋に車を停めると、モレーノとペドロが二人で目的の周り
を偵察に車で廻って来た。
前もってダイヤモンド商会の社長から紹介された情報提供者がひっそり
とカフェーのテーブルに座り、皆を待っていた。

サントス街道の下り坂を下りて、港に入る前の町外れの場末であったが、
港の汽笛や遠くで船舶エンジンの音の響きも聞こえていた。

モレーノが戻ってくると倉庫の中はまだ電灯が燈っている事が窓のカー
テンの隙間から見えると話していた。
場末のカフェーで、コーヒーとコニャックを注文して、さりげなく皆が話して
いた。

モレーノが金網のフエンスの中に犬が居るのを見付けて来た。大型のシ
エパード犬の様だと言った。
モレーノが『先ず犬を処分しなければ何も出来ない・・』と言った。

情報提供者は名前は明かさなかったが、犬は1匹だけで周りにも番犬は
居ないと教えてくれた。
倉庫の裏から50mばかり歩くと、港に繋がる水路があると教えてくれ、
そこには荷揚げの岸壁も作られて、停泊する船まで連絡船が出せるよう
になっていた。

行動にその男から助言を貰い、倉庫の図面を見ながらもう一度詳しく説
明を受けた。

直ぐに行動が起こされ、富蔵がハンドルを握り、モレーノが助手席に、
ペドロが後部座席に座り窓を開け、金網のフェンスの横を通過した。
確かに内側に犬が寝そべっているのが見えた。

もう一度ゆっくり通り過ぎようとしたら、大型トラックが3台ゆっくりと荷物を
満載してこちらに来るのが見えた。エンジンを響かせながら並んだトラッ
クを横目に、モレーノとペドロが窓から消音拳銃を構えて犬を狙っていた。

トラックが轟音を響かせて横を通過するのと同時に、鈍い音がエンジン
の轟音と紛れて響いた。
犬は即死したのかピクリともしないでフェンスの内側で横たわっていた。
まるで寝ている様な感じであった。

素早くペドロが簡易ハシゴを組み立てると物陰から軽々と塀の中に飛び
込んだ。先ず犬の死骸を引きずって薮の中に隠していた。ゲートの鍵を
裏から開けると手招きをして合図をして来た。
離れた所に車を停めた富蔵達は銃器を手に倉庫の敷地内に入った。

サムが車の中で倉庫の外を見張りをしていた。危険な時の合図は懐中
電灯の点滅か、猫の鳴き声としていた。サムが猫の得意な鳴き声で真似
すれば、猫が寄って来ると言うくらいであった。
アマンダの兄弟はそれぞれの武器を構えて倉庫の角と一人は裏に廻っ
て待ち構えた。

防弾チョッキを付けたモレーノとペドロがお互いに助け合う様に暗闇に
紛れて倉庫の入り口に近寄った。ドアの前まで来た時にドイツ語の声が
すると同時にドアが開いた。

二人の男達がドアから出て来た。壁に張り付くように構えていたモレーノ
とペドロの消音拳銃が微かに音を響かせて二人の男を、一人は心臓を
他はこめかみを撃ち抜かれていた。
声も出さずに即死していた。
血が流れ出さない内に、直ぐに物陰に死体を引きずり込んでいた。

倉庫内の事務所から、微かに光が漏れ、中に誰かが居る気配がして
いた。モレーノは用心に弾倉に弾を補充すると、猫の様に事務所に近
寄った。カーテンの隙間から見えた物は一瞬声を失くす光景であった。

富蔵もモレーノの手招きで近寄り、中を見ると血が逆流するほどの怒り
を覚えた。カーテンの僅かな隙間から見えたのは、全裸にされたアミー
が鉄の枠だけの寝台に縛られて拷問されていた。
中には三人の男達がその電気ショックの拷問の様子を見ながら酒を飲
んでいた。

富蔵はムラムラと怒りと憎悪の感情が湧いて来た。リカが誘拐されて
いたら同じ事をされて、彼等は情報を無理に聞き出して居たかも知れ
ないと感じていた。

アミーは失神しているのか身動き一つしなかった。
下のコンクリートが小水で濡れているのが分かり、電気ショックを何度
か与えられて居ると感じた。
声を出さずに手で合図してモレーノとペドロ、富蔵が倒す三名の相手
を決めた。

もう一度拳銃を調べて毒を仕込んだ散弾を確認した。スコープの付い
たライフルは壁に立てかけ、永年手馴れた拳銃を手にすると、胸の防
弾チョッキを絞めなおして、深く深呼吸した。
モレーノが2丁の拳銃を構え、ペドロが両手で腰に拳銃を差している
男を狙撃するように構えた。
富蔵がドアを勢いよく開け放した。

瞬時に数発の銃声が一発の銃声のように響いた。

2013年2月12日火曜日

私の還暦過去帳(346)


 訪日雑感(3)

渋谷に到着して驚きました。
バスターミナルが5階のかなりビルの高層にあるのです、下はオフイス上
はホテルと言うかなりデカイ高層ビルでした。

昔の玉電が、ゴトゴトと走っていた時代しか知りませんので、かなり方向
には迷う事も無かった私でしたが、ゾロゾロ降りる外人さんの後から私も
降りまして、おのぼりさんの如く、きょろきょろとしていました。
幸いに日本語は東京弁、九州弁も上手に話せますので安心です・・、

それと言うのも、実家の福岡に成田や羽田から乗り継ぎで飛んでしまう事
が多かったので、渋谷などはアメリカに渡って33年目になりますが、
まだ一度も渋谷などで泊まった事も在りませんから、そんな事で一番良い
方向感覚を取り戻す方法は『ハチ公前はどちらですか?』と言う質問でした。

そしたら何とー!
『エレベーターで1階まで降りてそこから歩いて行けば直ぐだ・・』と教
えてくれました。
ここは5階だと言う事で、地下鉄に乗る若い女性が親切に、
『ご一緒しませんか?』と言う事で、喜んで付いていく事にしました。

それにしても人の流れが河のように流れて、横切るのも一苦労です、それと
言うのもガラガラの手引きトランクを持っているからです。

いやはや、ムッとする熱気と、かなり高い湿度で、体細胞の汗線が非常事態
を宣言した様で、汗がダラダラです。

サンフランシスコ周辺では乾燥して雨が6ヶ月近く降らないので、渇水注意
の放送などが賑やかでした。
それにしたら東京はもはや、『亜熱帯となった』と言う気象学者が居るくら
いですから、それは身体して知るべしです。
驚きの渋谷現象を目の当たりにして、早速にTシャツだけになりました。

道行く人が見ています・・、
『かわいそうに何処からか、田舎の鹿児島か沖縄あたりから来たおのぼりさん
 が、大きなトランクを引っ張って半袖のシャツできょろきょろして歩いてい
 るわい・・!』
と言う目付きでした。

東京は10月も終わりです、道行く人で外人さん以外で半袖シャツで歩いてい
る日本人・・?らしきオヤジさんなど、おそらく私一人と感じました。

それにしても黒ずくめの背広を着たサラリーマン達が早足で歩いています。
私からしたら異様に感じますが、これが日本の会社勤めの制服ならば、これ
仕方がないと感じました。

それにしても私の汗線はカリフォルニア・ナイズして、もう日本適用出来なく、
変化したかと、つい・・!、頭をひねりました。

頭の上では巨大なスクリーンがどえらい音響で、素っ頓狂の音楽など鳴らして
歓迎してくれます、いささかげんなりして歩いていました。

今夜の宿泊はかの有名な、外国のTVや雑誌にも紹介された『カプセル
・ホテル』です、私の日程は夜は寝るだけですから、一度泊まってみたいと考
えていました。

インターネットで検索したら、何ぼでも出て来ます。
最適、最上のロケーションで、格安です、直ぐに目的地を探して検索をして、
自宅のパソコンで予約していました。

ハチ公前の交番で聞いたら、若いお巡りさんが小さな紙を渡してくれ、
『そこにマルを付けてある場所が、貴方の目的地のホテルです・・』と来ました。
沢山の人が聞きに来ると思いました。ちやんと赤の印で矢印で道順まで付
けてありました。
まさに歩いて5分で、簡単にたどり着いてホッと致しました。

繁華街の直ぐ裏です、そば屋まで1分、スターバックコーヒー屋まで1分30秒、
CITIバンクまで2分と、牛丼の吉野家まで3分ですから堪えられません、でも・・
チョイと先に歩いて行くと同伴ホテルが並んでいましたが、一度で気に入りま
した。隣がビジネスホテルで、団体の学生達が出入りしていました。

今年に南米各地を歩いて、安宿のペンションなど、自炊施設がある所に宿泊
した事を思えば天国です。
シャワーも出なくて、出てもちよろ、ちよろで、冷たい酷い思いをしたことを
思うと、ここでは、パジャマと洗面用具一式、タオル大小2枚、お風呂は大き
な湯船で24時間、シャワーも同じで、サウナも遅くまで使えます。

カプセル内はTVもあり、ラジオと目覚まし時計、有線音楽も聞く事が出来まし
た。娯楽室では自動販売機でビールも清涼飲料水もコーヒーも飲めるので、
コインさえあればカップヌードルも200円で、夜食のヌードルが食べる事が
出来ました。私の様に、この歳でも便利で気楽なホテルと感じました。

ホテル内の掃除も綺麗にしてあり、トイレも清潔でいつも係りが廻って来て、
掃除をしていました。
インターネットは無料で使う事が出来まして、外に出る事は在りませんでした。

私が夕方ごろ、六本木ヒルズでの会合で出かける時に、白人のビジネスマン
がネクタイ背広姿で小型バックを持って泊まりに来ていました。

インターネットの使い方を聞いていましたので教えると、
『便利で安いですね・・』と話していました。

2013年2月10日日曜日

第3話、伝説の黄金物語、(52)


ブラジル資源の争奪戦、

過去のブラジルの豊かな地下資源、農業資源は他国から見たら大きな魅
力でした。

1976年当時、サンパウロからミナスジェライス州まで車で長距離ドライ
ブをして廻った事が有りました。
多くのヨーロッパの企業、投資家、個人の農家などが農地や土地に投資し
ているのを見た事が有ります。広大な地域でしたが、多くの北欧系企業な
どが土地に投資して多くの農場を経営していたのを見た事があります。

すでに1935年代の第二次大戦勃発前には、それを見越して多くの当事
国が国を背景に、投資や、関連企業に融資して、その貴重な資源を抑える
か、支配力を強めていました。
植民地支配も含めて、アフリカ、南米、アジア大陸、南太平洋 地域などで
はそれが顕著でした。
1933年にはドイツではヒットラー政権が誕生して、欧州に大きな勢力と
影響を与えて居ましたが、その当時からロシアやフランス、英国などと、ブ
ラジルに裏表に影響力を広げていたのでした。

スミス商会も勢力的にはアメリカが当時政治的な中立を維持して居たので、
二ユーヨークとロンドンを中心に政治的な関係など目立たないようにビジネス
を展開していたが、しかし、ブラジルの貴金属を取り扱う事業や、希少価値
の資源など、多くの国から目を付けられていた。

その当時、リカは富蔵の達の会社の看板として、その美貌と才覚が花開き、
重要な交渉やビジネス上の手配までこなしていた。誰もリカ以上の仕事は無
理と感じていた。

リオ・ベールデの事務所で働いていた、もと靴磨きのペドロが暇さえあれば
モレーノに付いてあらゆる知識と生きるという知恵を学び、富蔵も柔道や空
手などの手ほどきをして教えていた。抜群の運動神経と感のよさは、若いな
がら使える男になっていた。

モレーノに習っていた射撃の腕は、モレーノが舌を巻くほど上達していた。
ペドロの真面目な向学心とハングリー精神が、大きく作用をしていると富蔵は
感じていた。
事務所で習ったタイプも皆が驚く早さで叩く事が出来て、モレーノに習った、
無線送信の技術や修理のテクニックも夜学に通い、基礎を習って一人前にな
っていた。

飛行機の操縦もモレーノに初歩の教授を受けて、自分で単独飛行が出来る
程になっていた。ペドロも富蔵に拾われて、可愛がられ、勉強の機会を与え
られ、成長して富蔵がリオ・ベールデに来た当時に、宿舎として購入していた
事務所近くの家に住まい、事務所の何でも屋として今では運転手から、リカ
のカバン持ちとして、護衛として付いて歩き、忠実で有能な使用人と育って
いた。

リカがサンパウロやリオなどに会社の仕事で出かける時は、秘書の女性と、
護衛兼運転手、カバン持ちとして3人で歩いていた。

リカがリオデ・ジャネイロのスミス商会の事務所でダイアモンドの商談を話して
いた時に、気になる事があったと、サンパウロに立ち寄った時に富蔵に話して
いた。
ある見かけないベルギー人が、スミス商会の商談にかこ付けて、内々に取り
入って来たと話していた。
リカは前からスミス商会の幹部から忠告を受けていたので、用心して多くの事
は話さず、簡単な挨拶程度を交わしていたと富蔵に話していた。

これが後で、国をバックに巨大な資源獲得の尖兵として派遣されて来ていた
ドイツ人だと判明するまで時間は余りかからなかった。
彼等の狙いは工業用ダイアモンドだった。
これがなければ工作機械や精密機械の重要な部品として不可欠だったから
だ・・、
それはリオ・ベールデ運輸倉庫会社がブラジル奥地に持っている貴金属、宝
石などの原石買い付け、集荷のルートを狙って交渉して来たと感じられた。
地道に、堅実に育てて来た会社の力を彼等がこれからブラジルで有効に使え
ると判断して、取り入って来たと思った。

すでにスミス商会、ダイアモンド商会などとの取引を中心として、そこの運送
の仕事も貰っているので、とても彼らと交渉の条件となる物もなかったので、
遠まわしに断っていた。
それが彼等の感に触ったのか、食手を伸ばして来た手を、彼等がそう簡単に
諦める事はなかった。
リカと秘書がサンパウロでの仕事でペドロと3名で滞在していた時であった。

秘書は先にオフイスに行く為にペドロが運転する車でレストランを出て、ビル
のスミス商会の一角を借りていたオフイスに入るのをペドロが見届けて、レス
トランでビジネスの商談をしていたリカを迎えに戻り、それが終りオフイスに戻
ると、事務所の中は誰も居なくて、タイプ用紙が散らばり、秘書のハンドバッ
クが机の脇に転がっていた。
ペドロから血相変えてた電話が富蔵に掛かって来た。その後にリカが冷静な
判断でその説明をして来た。

『秘書は私と間違われて誘拐されたと思います、私が着ていた服を、お下
がりであげたので、それを今日から着ていたこと、髪型を秘書が私に真似て
同じ様にしていたこと、私が座るデスクでタイプを打っていた事などから、周
りの状況と私の人相を知らない人物が襲ったと思います。』と話してきた。

市中の事務所を引き払い、サムの飛行場にあるオフイスにペドロがリカを乗
せて車を飛ばして戻って来た。富蔵も事務所に居たので直ぐに直接詳しく話
を聞く事が出来た。

夕方にはリオ・ベールデから、モレーノの操縦する飛行機にアマンダの兄弟
二人も同乗していた。
早速、テーブルを囲んで皆で事態を協議していたが、秘書のアミーはブラジ
ル奥地からの集荷の形態は知らず、またお得意などの詳しい情報も何も知
らないので、今頃はそれが知れてどうなっているか心配事であった。

話し合っていた時に、連絡していたスミス商会の重役が飛んで来た。
彼はスミス商会の中でも、対外的な交渉と会社の保安を担当していたプロで
あった。
彼はベルギー人のビジネスマンに成りすました男の正体を粗筋で教えてくれた。
ナチス・ドイツの情報機関に属する男で、ブラジルの貴重な資源や貴金属な
どの入手と集荷を画策して実行していた。
また隣国のパラグワイやウルグワイ、アルゼンチンにも活動を広げて触手を
拡大していると話してくれた。

手段選ばぬ活動は強引な勢力拡大と共に、陰で邪魔者は殺し、抹殺、暗
殺などは彼等が得意とするところであった。それだけブラジルはまだ法律的な
力が弱かった所があった。

話を進めて、対策を練っていた時にオフイスの電話が鳴った。
しばらく鳴りっぱなしてしていた。しかし、一度電話が切れてまた掛かって来た。

誘拐された秘書を助ける事に皆の全員意見が一致した。

しつこく電話は鳴り響き、誰れもが犯人達からの電話と思った。
モレーノが立ち上がると受話器を取り上げた。

いよいよ生き残りを賭けた戦いの火蓋が切られた。

2013年2月9日土曜日

私の還暦過去帳(345)

 
  訪日雑感(2)

成田のホテルでは時差の関係で朝の4時に目が覚めてしまった。
朝の生理的現象で起きてトイレに行ったら、何かトイレの壁紙にシミが在
るのが目に付いた。

ビニール製のクリーニングが出来る上質の壁紙でしたが、気になって手拭
のタオルで私の商売柄、お湯を出して手拭のタオルを使いソープをタオル
の先に付けて、ごしごしと拭いてみた。

何と・・、私の予想どうりに全部綺麗に消えてしまいました。
多分、コーヒーか何かの液体がこぼれて付いたシミと思いました。
綺麗な部屋ですが、注意して見るとかなりのシミがあります。

それから目が覚めてしまい、ごそごそと部屋のあちこちのシミを消し出し
ました。
簡単に落ちたシミも有りましたが、頑固にこびりついた様な食べかすも在り、
入り口付近と、バスルームは完全に無くなりました。

サービス品の歯ブラシを使い、上手に落としてしまいました。
これは私が得意とする技術で、レントハウスなどでテナントが出た後に部屋
を綺麗にする時に使うのですが、沢山、私のお客にも教えて喜ばれていまし
た。
気が付いたら5時半でしたので、湯船にお湯を溜めてのんびりと首まで、
ぬるめの湯に浸かっていましたが、いつもはシャワーだけのお風呂ですから、
何か眠くなる様な感じでした。
さっぱりとお風呂上りの身体で散歩で少し歩きました。

周りは青々とした緑地帯が広がり、カリフォルニアのガラガラと乾燥した所
から来た者にとっては、まさに爽やかな感じですが、湿気が多いのか汗が
沢山出るのには驚きました。
そろそろ11月の季節ですが、東京周辺が亜熱帯化して蚊も活動している
のですから驚きでした。

ホテルの朝食はバイキングで8時ごろに食堂に行くと、沢山のお客が食べ
ていました。中国人や韓国人も居まして、各国語が乱れ飛び、団体客の
中国人達が賑やかにテーブルを囲む姿に、私も見とれて居ました。

朝からごってりと欲張りまして、御飯からお味噌汁、各種の漬物や、佃煮
もお皿に取り、御飯には例の納豆です、卵を混ぜて、カラカラとかき混ぜ
暖かい御飯に載せて頂く朝食は、まさに祖国日本でしか味合えない朝食
と思います。

日頃はシリオとウオナッツに豆乳をかけてバナナを刻んで入れて食べるシ
ンプルな朝食です。
それに果物と、プレーンヨーグルトにブルーベリーを加えた物を食べている
毎日ですから、お腹が少しびっくりしていました。

それにしても綺麗に並べて置いてある和食のお皿や、飾りにも細かな神経
が感じられます。
部屋に戻り、荷物を整理してトランクを宅配便で送るように用意して9時半
頃のシャトルバスでもう一度ホテルより飛行場に戻り、そこから渋谷行きの
バスに乗りました。
それにしても成田空港が夜の9時半を過ぎると、半ばゴーストタウン化す
ると話を聞いた事が有りましたが、実際にそれは本当の事のようでした。

最終の飛行機が殆ど9時半までには飛び立ち、到着便も無く、タクシーも
少なく、成田エキスプレスも10時半には終わりで、都内に行くシャトルバ
スも殆どが9時が最終とか、国際飛行場と言っても24時間ではないので、
夜は静かに眠った様な飛行場となると聞いた時には少し驚きました。

サンフランシスコ空港では夜1時頃に出発する飛行機もあり、朝方5時に
到着便も在る事を考えると、アメリカ人が私に話していた事は『何と無駄な
施設』かと言う事でした。
そして彼が高速道路で事故渋滞に巻き込まれて、あわや飛行機に乗り遅れ
る所だったと話していたが、それにしても離れた所に建設された飛行場と驚
いていました。
シャトルバスは定刻に成田を出て、定刻に渋谷のバスターミナルに到着しま
したが、高速道路を走るバスからの眺めは、何かひしめき合うビルの建物
に飲み込まれて、緑少ないコンクリート・ジャングルの思いが致しました。

2013年2月8日金曜日

第3話、伝説の黄金物語、(51)


ブラジル政局の変化、

翌日は予定どうりに10時に、未亡人宅で弁護士を挟んで書類が作成さ
れた。不動産の名義にはリカとその娘、マリーが併記されていたが、雪
子は異存なかった。

サンパウロを離れて、小さな地方都市の金持ちの邸宅と言っても、たか
が知れた価格であった。当時のサンパウロやリオなどの大都市からしたら、
比べる事も出来ない安い値段であった。
不動産購入の契約書は簡単に済んでしまった。

購入価格の半分が前金として支払われ、残り半分の小切手は弁護士に
委託され、未亡人が亡くなった時点で、相続人に渡されることに事が決ま
り、邸宅管理なども全て富蔵の負担となったが、たかが知れた金額であっ
た。

未亡人は以前と同じ様にリカの親子と住む事になり、リカも仕事の不在な
どで家を留守にする時は、好都合であった。

サンパウロに戻ってから、富蔵は普通の生活に戻り、新しく加わった仕事
を忙しくこなしていた。
政府郵便公袋は連邦政府機関の書類も含まれていた。

飛行機の定期便が到着すると、そのまま運送トラックに積み込まれるか、
時間がある時は金庫に収納されていた。連邦警察の警備が付いた運送ト
ラックが通って来ていた。

サンパウロ郊外から市内の集配所までは、その頃は舗装道路も完備して
一時間も掛かる事はなかった。
富蔵は基幹ルートの、すでに航空会社の定期便が飛んでいる路線は、と
ても参入する事は出来なかったが、田舎の辺境からの便は、まだまだ安
心だと感じていた。

サンパウロの仕事も雪子との家庭を守りながら、時々訪れるリオ・ベール
デにも雪子は何も言わず、『無理な日帰りをしないで、泊まってきなさ
い・・』と気を利かしてくれて、リカがサンパウロに仕事に来ても自宅に泊
まらせていた。
リカはその時、娘を連れて来てマリーを雪子に頼んで、安心して仕事をこ
なしていた。

リカは決して雪子の家庭に深入りする事無く、年下の雪子をたて、かばい
慎ましく振舞っていた。仲良く台所に立ち、リカは日本食の調理を習い、
リカの言葉を借りるとすれば、『幸せを少しばかり雪子からお裾分けして
もらう・・』という間柄の様であった。
その様なリカの態度と、雪子の心大きな態度が旨く機能してかみ合い、
平穏な生活が出来たと富蔵は感じていた。

当時のブラジル経済と世相はヨーロッパの黒雲が広がり始めた影響で、
動きが出始めていた。
1920年代から台頭して来たアメリカの産業に裏打ちされた経済資本は、
イギリス資本を押しやり、ブラジルにも大きな力を広げて来た。

サムはアメリカで育ち、教育を受け、軍隊に入隊して第一次大戦では参戦
して士官まで成ってブラジルに来た男であるから、祖国アメリカの様子は手
に取るように知っていた。
サンパウロで発効される英語新聞も毎日、目を通しているので、用事で皆
がオフイスなどに集まり、話の後にサムが世界状況を説明してくれていた。

欧州のきな臭いドイツやロシア、イギリス、フランスなどと、ポーランド辺り
まで巻き込んで戦雲が広がって来ていた。
当然の事ながら戦略物資の備蓄、買い付けなども限られた資源を各国が
手を伸ばしていた。

その中の先手として、投資家達と巨大な企業が絡んで南米やアフリカの資
源獲得に動き出していたが、 ブラジルは鉱物資源、農業資源は豊富で、
非鉄金属などは重要なシエアを占めていた。
アメリカとイギリス、それに対してドイツ、イタリア、裏にはロシアが画策し
ていた。

この動きはブラジル内で資源と希少金属、エネルギーに関連して活動する
者には直ぐに肌で感じる事ができた。
ブラジルは今では石油資源を自給できる生産をしているが、戦前は輸入に
頼っていた。

富蔵達のグループはサムがユダヤ系なので、それと大きな取引をしている
スミス商会がユダヤ資本で関係して、富蔵達の後押ししている企業はユダ
ヤ系資本と言う事であった。
これは自然で今までの経緯から無理も無いことであった。

ダイアモンド商会も英国資本の企業であったが、そちらは農産物からエネル
ギー関係まで、手を出してもっと幅広くビジネスを開いていた。戦略物質の
ゴムなども貴重な存在となっていた。
ある日、リカがサンパウロに出てきた時に話をした事が気になった。

それは、『このブラジル、アルゼンチン、ウルグワイなどに関連する貴金
属の取引に裏で割り込む勢力が居るとは話していた。』 その闇で動く勢
力は限られた発掘しかない、貴重な工作機械に使う工業用ダイアモンドを
欲しがっていると話していた。

すでにアフリカで産出する工業用ダイアモンドの殆どは南アフリカに根を生や
す、オランダやベルギーなどの勢力と大英帝国時代からの土着の英国人達
がコントロールしていた。

ブラジルでは、まだ割り込む余裕があると感じられていた様だ、その事が
危険な争奪戦を巻き起こしていた。
国をバックに諜報戦と陰謀と、時には暴力を使い、対抗する者を抹殺、密
かに暗殺までして、それを手に入れようとしていた。

スミス商会の会社幹部からも注意するようにサムを通じて話が来ていた。
すでに陰の戦いは始まっていた。

2013年2月6日水曜日

私の還暦過去帳(344)

訪日雑感(1)

この訪日は4年ほど前に日本に行った時の話です。
今回の訪日は母が92歳の誕生日と、かなり記憶の喪失が起きている事を
考えて訪ねて行ったのでしたが、それと今回はオフ会に参加する事が楽しみ
でした。

先ずインターネットでのEーチケットで日本行きを探しても、かなりの航空運賃
の金額になります。
これには参りました。これでは4割は高い金額で、日系の航空会社では成
田往復が、1250ドル以下では見つからないという事を思い知りました。

それにしたら米系では、まだ900ドル以下の往復運賃が在るのです。早
速に代理店に申し込むと、何とサービス期間で、そこから幾らか引いて、お
まけにピザの無料購入券をプレゼントしてくれるという事で、航空券を申し込
みました。

それにしてもこの原油高には参ります。燃料費の加算が凄いのですが、日
系の会社と、アメリカ系では何と、同じ成田往復が400ドルも差があるの
で驚きでした。乗務員も噂のとうり、かなりの年齢と見られる人が乗務してい
ます。

それからしたら、今年の南米旅行で使用したラン航空などは、乗務員が若く
て、綺麗で、サービスなどは日系にも劣らぬと感じました。 食事の時には
ワインなど無料で貰えて、追加もニコニコとして持って来てくれた事を考える
と、米系ではエコノミークラスは5ドルの料金で飲まなければならない事を
考えて、世界で数ある航空会社も大きな差があることを痛感させられました。

しかし、今回のフライトは出鼻からストンー!と落ちてしまい、1時半サンフ
ランシスコ発が機体整備の為に4時になり、それから直ぐに6時40分に
遅れました。
5時間遅れでランチ券が出て、その他、次回ご利用に100ドル割引サー
ビスとかのクーポンも付いていました。 最終的に成田行きの乗客だけが、
シアトルから回送して来た機体に乗る事になり、成田経由で他の国に行く乗
客は他の航空会社に振り分けて搭乗した事で、いざサンフランシスコ出発時
点では機内乗客は半分も居ませんでした。

座席に寝て行けましたが、成田到着が10時半を過ぎて全ての都内行きの
シャトルバスも終わり、成田エキスプレスも最終が出た後でした。
だいぶ頭に来た乗客達が居たのですが、直ぐに成田周辺のホテル紹介とホ
テルに行くバスに乗り込む際には、暖かい弁当とボトル水が配られ、都内の
ホテルまで行く乗客は、航空会社のバスが出ました。

ぶつくさ言っていた人達も、これでつむじを曲げる事無く無事にホテルにチェッ
クイン出来ました。かなり良いホテルで私が予定していた渋谷のカプセル・
ホテルとは雲泥の差でした。

何とか11時半には荷物も広げてくつろぎ、まだ暖かい弁当で夜食として湯
船にお湯を溜めて、どっぷりと首まで浸かり、日本第一日の夜が更けて行き
ました。
ベッドに入り昔の船旅の時代を思い出していましたが、世界一周の船賃と太
平洋を渡る格安航空運賃が、ほぼ同じ金額だと考えていました。

昔は遠くなりにけり・・、と言う実感がチラチラと頭によぎっていましたが、
いつの間にかグー!と寝入っていました。

2013年2月5日火曜日

第3話、伝説の黄金物語、(50)


 リカと雪子の顔合わせ・・、

しばらくは平穏な日を過ごしていたが、モレーノが招待してくれ、リオ・ベール
デに家族で飛ぶ事になった。

リオ・ベールデの飛行場ではリカが待ち構えて雪子を歓迎してくれた。
それまでに何度か手紙がお互いの間でやり取りされ、入念な下準備がされ
ていたと感じた。
元靴磨きで、現在は事務所で働いているペドロがハンドルを握って出迎え
ていた。
リオ・ベールデ郊外の砂金採掘現場近くの町まで、道路も整備され舗装道
路が走り町も発展して、農村地帯と言う環境も少し変化していた。

金持ちの未亡人宅に、今ではその主人の様にして住んでいる家に、リカが
案内してくれた。雪子とリカはすっかり打ち解けて、お互いに子供を膝に乗
せて子育ての苦労を話していた。
富蔵はその有様を見て安心すると、事務所に夕食には戻ると出かけて行
った。

リカが会社の営業係りの一員として動くようになれば、最高の営業開拓が
出来ると皆が考えていた。実際にそのとうりに動き出していた。

彼女が正装して、お付にカバンを持たせて交渉の場に出ると、先ずその
笑顔と、気品と美貌に圧倒され、話もそつなくこなす様子に、交渉の円滑
さが光っていた。
マットグロッソの州長官にも、すでに挨拶にリカが出かけていた。
飾りカゴにワインや高級ウイスキーを入れ、花で飾りオフイスを訪ねて丁
重に今度、仕事を始める事に感謝の言葉を述べると、長官も上機嫌で受
けてくれ、色々と便宜も図ってくれた。
何処に行く時も、指にはダイアモンドの結婚指輪が光り、ペンダントには
子供の写真を入れているので、マダムと言う事で皆が残念そうにしていた。

その夜はリカの招待で未亡人宅の広間で晩餐が開かれた。
ペドロの母親が来て料理の腕を振るい、何種類かのご馳走がテーブルに
並べられ、ワインの栓を開けて、雪子が招待された事に感謝の言葉を述
べた。

そして雪子が『我が家族の為に乾杯・・!』とグラスを上げた。

モレーノもアマンダの兄弟達もパブロも駆けつけていた。
グラスが鳴り響き、これからの事業の発展を同じく祝った。

小さな砂金堀りから伸びてきた事業で、富蔵もこれまでに運命の別れと、
また運命の出会いをして、人生模様の絡み合いを感じていた。
二人の女性の出会いも、富蔵との出会いも、運命と言う細い力に絡まって
いると感じていた。
富蔵の正式な家族となったリカとその娘マリーは翌日教会で洗礼を受ける
事になり、皆が教会に揃い、モレーノがゴッド・ファーザーとなり、洗礼式が
行われた。

その夜、リカの住む未亡人の家で、ささやかな洗礼式のお祝いが行われ、
皆が贈り物を持って集まった。
マリーは富蔵の血の繋がりの娘と言う事で、黒髪の可愛い子供であった。

その夜、皆が帰って、子供も寝かせてリカと雪子と富蔵が未亡人を囲んで
今日のお礼を話していた。
その時、未亡人が『リカを家に住まわせたおかげで楽しい思いが出来て、
日々の暮らしも何も不自由しなくて住んでいるので、私が亡くなったらこの
邸宅をあなた達に譲りたい・・』と申し出があった。

富蔵は喜んでその申し出を受ける事を未亡人に話すと、即座に了承された。
明日の朝、弁護士を呼んで手続の書類を作成すると話がまとまり、その夜
はお開きとなった。
その夜、雪子が富蔵を呼んで『この邸宅の購入名義を誰にするか、リカと
相談して話して決めておいて下さい』と話すと、『先にホテルに帰っていま
すから・・』と、富蔵に話すと、ペドロを呼んで眠った子供を抱いて先にホテ
ルに帰ってしまった。

富蔵は心に痛いほど雪子の思いやりを感じた。

リカは言葉にならない様な感動をして雪子を見送っていたが、我に返った
様に、富蔵の手を取ると自分の寝室に連れて行くと、子供が歓喜の声を出
すように富蔵に飛び付いて来た。
しばらくはお互いに過去の最初の愛の交換時の様に抱き合い、狂おしい様
に抱きしめて唇を重ねていた。

そしてお互いにどちらからともなく、子供部屋のドアを開けベッドにスヤスヤ
と眠る娘を見て、抱き上げると、富蔵は抱きしめた腕の中で安らかに寝息を
たてて眠る娘の寝顔を見ていた。

それが終ると、子供をベッドに寝かせてやさしく軽くキスをすると、リカに向
き直り、軽々しく抱きかかえ、ベッドに連れて行った。

リカが全てを脱ぎ去った後の身体は少し肉が付いたが、福与かな見事な
均整のとれた身体をベッドに晒していた。

後は声を気にするほどの激しい抱き合いの時間を過ごしていた。

それは約束の時間に、微かにペドロの運転する車のエンジンの音が聞こえ
るまで続いていた。

2013年2月3日日曜日

私の還暦過去帳(343)


田舎時間、
アメリカに来てから、かれこれ35年を経て、歩いてきた道を振り返ると、その
歩いた道が永い様で、また見方によっては何と短かいのだろうと感じます。

今では引退の花道を歩いていますが、毎日が充実しているのか、毎日、仕
事に出て居た頃より、日々の時間が早く通り過ぎて行く感じが致します。

予定を組んで規則正しい生活をしていますが、先日、ふと昔を思い出して考
え込んでいました。
アルゼンチンのサルタ州で田舎の農場で働いていた頃に、仕事に来ていた
インジオ達が時計一つ身に付けていませんでしたが、時刻を感じる事は非
常に正確でした。

時々、農場で働いて居るインジオに、『今何時かー?』と聞きますと、太陽を
見て、ジャングルの木のこずえの先を見て『今は12時30分頃だー!』と言
いますので私の時計で測る正確な時間と、10分も差が有ることは無かった。
まさに体内のリズム時計です。

テレビもラジオも無く、夜暗くなれば寝てしまうという、単調な生活のリズム
の中で、夕食が終わり焚き火の周りに集まり、マテ茶を回し飲みをして静か
な夜の中に、月が出て満月から新月までの動きを、彼等が暦として感じて
いました。

満月には魚釣りは向かないが、新月の時はこんな魚が釣れると言う様な事
が彼等には肌で感じていたようでした。
当時の南米で、ジャングル内の農場ではTVも無く、自家発電装置は小さな
機械で、収穫物の選別作業などで、ベルトコンベアーなどを短時間動かす
動力に使うのみで、中々家中の電源としては小さな発電機でした。

時計もねじ回しで、週に2回、『ギー!』と大きな音でゼンマイを廻していま
した。
夜になると、カタカタと大きな音で、振り子が音を立てている様子が、ベッド
の中からでも感じる響きでした。

その時計に合わせて、農場中に響く音は、鉄道レールを1mぐらいに切った
物をぶら下げてあり、それをハンマーで叩いて『カーン!カーン!』と時刻の
合図を出していました。
何処と無く澄んだ音色が出ていた覚えが有ります。ハンマーの使い方で音
の音色も変化していたようです。ゼンマイ駆動の時計も、時々はラジオの
時刻で調整していました。
農場で働くロバも朝のカネで動き出して、昼のカネが鳴ると、幾ら後わずか
に草取り作業が残っていても、尻を叩かれても、餌がある馬の囲いに、さ
っさと自分で戻っていました。
その後ろをロバ使いがいつも急ぎ足で追いかけて来ていました。

朝早く朝日が、かすかにジャングルの暗さを吹き飛ばす様に、輝きを一瞬
増す様な光がジャングルのこずえから、いつも差し込んで来ていました。
レールが叩かれて、その音が『カーン、カーン!』と響くと、農場出稼ぎ労務
者達が食堂に集まってくる姿を朝もやの中に見ました。

多くの労務者達が独身で、食事を農場の食堂で済ませていましたので、
レールを使ったカネを鳴らすのが先ず一日の幕開けでした。
仕事で町に出て、街中の時刻は教会の鐘が広場一帯に鳴り響いて知らせ
ていました。
私が昼頃に町に出ると町の警察留置所に入っている人間を使って、道路
の清掃をさせていましたので、彼等の何人かが、教会の鐘が鳴ると警官に
見張られながら警察の留置所に並んで戻っていました。

彼等、留置人とすれ違う時に、農場の労務者で、過去に働いていたインジ
オ達でしたら、タバコや菓子などを持っていたら与えていました。
大抵は飲み過ぎて暴れたり、喧嘩したりで留置されている人間が多かった
様です。
一度などは見張りの警官が木陰でチョッとの合間に居眠りして、数名の留
置人達が全員逃げてしまい、何日か道路清掃が出来なかったと聞いた事
が有ります。

警官が肩に下げているライフルも西部劇時代の旧式なウインチエスター・
レバーアクションのライフルで、50mも離れたら絶対命中しないと言う代物
でした。

のんびりとした人口2500名程度の町でしたが、教会の鐘の響きだけは
何処からでも聞こえていました。

48年経って、訪問した時も同じカネが教会の尖塔の上で鳴り響いていました

2013年2月2日土曜日

第3話、伝説の黄金物語、(49)


 ブラジルのコネ社会、

ダイヤモンド商会の社長から手紙が来た。
サンパウロのサム飛行学校の事務所で、富蔵達が仲間と運営方針を話し
ていた時であった。
事務員がサムに宛てた手紙を届けて来たので、その場で開封され皆の前
でサムが読み上げた。

ダイヤモンド商会社長の誕生日招待と、商談の話であった。
それには短く、『ブラジル政府郵便の委託運送関連の事項』と記載され
ていた。
これまで何度か話が出ていたが、委託郵便公用袋の定期運搬の話と皆は
思った。どえらい話が転がり込んだと感じた。

サムが興奮して皆に説明したが、それは業務委託運送でも、一番の安定
荷物として、信用と実績がなければ委託されない荷物であった。
公用袋は連邦政府の管轄で動かされ、連邦警察の警護が付いていた。

早速、サムが代表でダイヤモンド商会の社長に誕生祝いの招待受諾とその
お礼を兼ねて、政府の郵便委託運送の話を聞いてきた。

簡単に言うと、前回の営業飛行機墜落のトラブルの件で、社長の顔を立て、
上手く話をまとめて、納めてしまったお礼も兼ねていた事が分かった。
彼の友人である郵政公社の幹部から話を聞いて、その話を廻してくれたの
であった。

月、水、金の3回をマットグロッソの奥地からサンパウロに荷物を運ぶ事
で、現在の業務からしたら飛行回数を1回増やせば問題なく運送が出来る
事が分かった。
安定した営業ビジネスと、信用を獲得する事になり、これまで以上に会社経
営が安定すると皆が感じていた。

荷物が、有る無いに関係なく年間契約で国庫から政府小切手で支払いが
受けられるという条件であった。
砂金や貴金属の宝石などより安定した運搬業務であった。

ブラジルのコネ社会では学校関係、会社組織、人種、ビジネス社会などの
繋がりの中で出来たコネが大きな力を持つ事なので、この話は最高のビジネ
スチャンスとなった。
全ての現在の組織と運営で、その政府委託業務が出来ると言う事は、収入
がいきなり40%程度増える事にもなった。

この事は交際費を増やし、会社としての営業も考えなくてはならないと皆が
考えて、富蔵の提案でリオ・ベールデ近くの砂金採掘現場に近い町に置いて
来たリカを使い、対外交渉と営業交渉の係りにする事を提案して皆が了承した。

営業本拠地のリオ・ベールデからは各地に連絡網が出来ており好都合であり、
サンパウロのサム飛行場は飛行学校と事務の統括本部としてまとまっていた
ので、これからの政府委託業務は何も問題は無かった。

その様な話が皆と合意してまとまり休憩となり、つまみと酒が出され、皆が久
しぶりに打ち解けて話をしていた。
政府郵便委託業務も上手く行きそうに話がまとまり、富蔵も妻子を亡くした心
の痛手も、雪子と結婚して残った次男と平穏な生活を取り戻して元の生活リ
ズムを取り戻していた時であった。

酒が身体に回り、話が弾み、皆の色々な話が出て笑ったり、驚いたりして
いた。するとサムとモレーノた立ち上がり、コップをスプーンで叩いて皆の注
意を引くと、大声でいきなり『富蔵おめでとう・・!』と言った。

きょとん!としたと富蔵に『何か分かるか・・?』とサムが聞いた。
富蔵は首をかしげて、考えて居たが『何の話かー?』と怪訝な顔で聞いて
いた。サムが神妙な顔で『リカがお前の子供を生んだ・・!』と言った。

富蔵は一瞬、ポカーンとした顔で聞いていたが、しばらく会っていないリカを
思い出していた。
電話では何度も話して会話があり、心も通じていた。

しかし、妊娠しているとか・・、出産するとか一言も言わなかったし、また誰も
教えてくれないし、話が無かった。

モレーノが神妙な顔で、『リカに頼まれて今まで秘密にしていた、貴方の妻
子が事故で亡くなり、また色々な事が重なり、彼女が絶対に出産すると言う
強固な意志と希望を止める事など出来ないし、出産して子供を手で抱くまで
誰にも言わないでくれと頼まれていた』

とそれだけ言うと写真をポケットから取り出すと、先週で丁度3ヶ月に成る可
愛い女の子だと言って富蔵に見せた。

呆然と立ちすくむ富蔵を皆が囲むと、肩を抱き、握手して祝福した。
アマンダの兄弟が『貴方の亡くなった子供の生まれ代わりと思う』と言って
写真を見せた。
富蔵は写真を手に、へたへたとイスに座り込んだ。
写真を見ると微笑を浮かべたリカに抱かれた可愛い黒髪の赤子が写っていた。
サムが『母子とも健康でリオ・ベールデ近くの同じ家に住んでいる』と教えて
くれた。
サムは言葉を続けて、『ブラジルはカトリックの世界、その教義は厳しい掟
があり、それと本人の固い意志で子供を生んだのであるから、我々がとやか
く言う事は出来ない、神に祝福されて生まれて来たので貴方の友人として、
この事業の仲間として大いに歓迎する』と言った。

皆が拍手をして賛意を表して、何処からかシャンペンとグラスが用意されモ
レーノが景気よくシャンペンの栓を抜くと、富蔵にグラスを握らせ乾杯した。
富蔵はシャンペンを飲み干し、少しアルコールが身体に回ると、心も落ち着
いて皆を見回して、感謝の言葉を言った。

『ここ1年以上は色々な出来事があり、何も知らなかった事が心悩ます事も
なく精神的なストレスも受ける事無く過ごせたのかもしれない・・』と皆に言っ
た。
その夜写真を手に帰宅すると、夕食が終わりコーヒーが出て食卓の前で神
妙に雪子に向かい会うと、写真を彼女の前に見せ、手短にリカの出会いか
らの事を告白して話した。

雪子は動じる事もなく、富蔵が話し終わると机の引き出しから手紙を取り出
すと写真を取り出し、『私にリカからの挨拶状が来ています、妊娠して出産
を決意して、貴方と富蔵が結婚した経歴を考えても是非とも産みたい事の意
志を持っていたので産んだと言う事が記されていた手紙です、写真も同封さ
れていました。
私が逆の立場でしたら私もどんな事があっても産みます。』と富蔵に答えた。

『モレーノの飛行機に搭乗を頼んでリカと子供に会いに行きますから・・・、』
と雪子が言った。