2023年5月31日水曜日

私の還暦過去帳(777)

 移住の昔話

戦前の昔にブラジルに移民した日本人移住者が蔑称「なーぼ」と言われていましたが、現地の方言で大根と言う意味でした。日本人が大根を栽培して、食べて、保存食にしたからでした。
それは移住者達が味噌、醤油と並ぶ生活で大切な食物の一つで、沢庵があります。
これは便利な保存食で、各種の大根を乾して漬け込んだ沢庵があります。

大学時代に下宿に居た学生は長野県からの来た学生で、田舎の家に帰ると漬物を沢山、各種持って来て居ました。その中で山ごぼうの自家味噌漬けが一番美味しいと今でも覚えています。
日本人の昔の田舎の農家では一年分の沢庵を漬け込む風習がありました。
ブラジルに移住しても、大根を栽培して、漬物も沢庵や、切り干し大根にして、乾燥させて保存食としていました。
これも千切りや、大根の丸切りをして、糸に吊るして乾したものや、色々な乾物がありました。
私もブラジルで、大きめに乾した千切りにした大根と豚肉をジャガイモも入れて煮込んでありましたが、味付けは醤油味でしたが、これが美味しくてブラジルの国民食フェジョンより、日本人の口には合いました。
昔にサンパウロ郊外の日本人移住地に行くと大根が棚に吊るされて乾してありました。
これは市内の朝市で日本人に売る漬物用の干し大根だと教えてくれました。
アメリカでも、カリフォルニア州のフレスノの行くと、戦前の昔から日本人達がレーズンの干しブドウを生産していましたが、そこの沢庵漬けには、大根に干しブドウを入れて、色付けと甘みを出すので利用していました。
私も食べた事がありますが、ほのかな甘みと、色で通称、フレスノ沢庵を言われていました。
アメリカでは沢庵を切った様に、耐熱ガラス瓶に影干しした大根を刻んで入れて、甘酢を入れて沢庵と称して食べていました。色付けに少し乾燥レーズンを入れていました。
アメリカにヨーロッパから移民して来た、冬の厳しい人々の保存食が、瓶詰めの食品類でした。
ドイツ人の家庭に行ったときに、地下の貯蔵庫に瓶詰めがびっしり並んでいたのには驚いたことがあります。
ピクルスのキユーリやニンジン、カリフラワーなども色彩豊かに並んでいたのには驚きました。所変われば、品変わるの様に住んでいる地域と国により保存食は違うと思います。