2020年5月22日金曜日

私の還暦過去帳(610)

私が昔に体験したパンデミック。

かれこれ50年以上も昔の事ですが、私がアルゼンチン、サルタ州の
エンバルカションの町から12kmほどジャングルに入った農場で
支配人の仕事をしていた時代です。
良くアルゼンチン政府のマラリア対策で、農場の労務者に血液検査を
してマラリア発見と治療で成果を上げていた医療団体が、農場を突然
ジープの車で何台も乗り付けて、中には警察官も居て、労務者達の
血液検査を強制的に始めていました。
農場の労務者には、血液採取の注射が嫌いで、逃げ回る者も居たので、
警察官が逃げない様に見張っていました。
私が支配人で居た間に、ボリビアからの出稼ぎ労務者が一人だけマ
ラリアの保菌者が見つかっただけでしたが、他の農場では集団感染した
グループも見つかりました。
ある時、町の役場から緊急通達が来て、ボリビアのサンタクルース周辺
で黄熱病が発見され、流行が確認されたと言う通達でした。
これはアマゾン流域から、ボリビア国境を越えて南下して来た様でし
たが、昔の事で、医療設備も満足に無い地域で、重病人はサルタ州都
の町まで患者を送っていました。
サルタ州が予防注射を実施して流行を阻止する様にしていましたが、
労務者達を町まで連れて行き、予防注射をするのが、1日を丸々潰し
て大変な仕事でした。
労務者の中には、注射が嫌いでドロンと消えてしまう者も居て、トラ
ックに乗車させ、予防注射の証明がなければ、汽車もバスも乗車出来
ない事を教えて町に連れて行きました。
まずは駅の前に連れて行き、警察と国境警備兵が乗客を一人ずつ身分
証明と黄熱病の予防注射の証明を持っているか調べていましたが、
これで農場の労務者達も注射しないと出稼ぎが終わっても帰宅出来な
い事になり、納得してくれました。
当時、エンバルカション駅から支線も出ていて、ボリビアのサンタ
クルースまで単線でしたが汽車がブエノスから走っていましたので、
ボリビアからの出稼ぎ労務者がエンバルカション周辺の農場に来てい
ましたので、黄熱病が広がったと感じます。
昔の事で死亡率が高く、流行は経済的な打撃となり、辺地の交通も
道路遮断で移動も困難になっていました。
私も支配人家業で対策に走り回り、労務者管理で大変でしたが、一人
も黄熱病患者も出さずに終息しましたが、何年かしてサルタ州を離れ
てアルゼンチンの首都からアフリカに渡る時に、当時のオランダ船便
予約には黄熱病の予防注射証明が必要とあり、サルタ州の予防注射
証明が有効だという事で、かなりの金額と時間の節約になりましたが、
アフリカ大陸では1968年当時も黄熱病がまだ流行していたと感じ
ます。