2016年1月6日水曜日

私の還暦過去帳(583)

ご無沙汰いたしておりました。

11月は台湾とタイに旅に3週間も出かけていたので、それとその間の雑用も溜まり、
かなり忙しい日々でした。

やはり年齢的に時差が消えるのはかなり時間的なものが必要で、完全に時差が抜
けて平常に戻るには1週間は掛かりました。
今回の台湾周遊は、有意義な旅で私もワイフも戦前の台湾生まれで、終戦で台湾
から引き揚げて帰国した者同士でした。
私の家族は父が台湾の専売公社に働いていたので、台北に住んでいました。

ワイフの家族は精糖会社に働いていたので、嘉義で生まれて5歳近くで広島の郷里
に家族で引き揚げて帰国したのですが、ワイフと共に生まれ故郷を訪ねる事を今回の
旅のテーマとして決めていました。

11月の台湾が一番過ごしやすい気候を選び、雨量も少なく、旅で各地を歩くのには
一番良い気候を選びました。おかげで天候にも恵まれて、台中や嘉義、高雄などに
滞在していても、何も支障はなくワイフと楽しく過ごすことが出来ました。

台北に到着してから、台北駅に近い朝食付きの安宿に宿泊して、台北を歩き回って
いました。まず私の生まれ故郷の台北専売公社の工場跡と、その官舎の跡を見たい
と考えて、様変わりした場所の確認のために、台北市役所に訪ねました。
親切な受付の係りに案内されて探したのですが、50年以前は資料の保存が無く、
大体の場所が分かりました。
父が働いていた工場跡は保存されて、歴史的建造物として残してありました。
80年を経た建物とは考えられない様な、がっちりとした建物で、良い素材で造られて
いました。私が生まれた専売公社の官舎は、全て土地改良工事でオフイスビルが建ち、
大体の住所には高層ビルが建設されていました。

私は父が形見で私に残していた台湾時代に使っていた懐中時計を、工場の敷地の
何処かに埋めようと考えていました。父が活躍していた最良時代の地に考えていました。
しかしそこで会った若い女性が運営する昔の工場敷地内を改装した喫茶店と資料
館の様なお店に居た女性と話をして、そこで展示保存してくれるという言う事で、寄付
致しました。
私がどこかの敷地に埋めるより、多くの方々目にする事が『これが昔の専売公社タバコ
工場長愛用の懐中時計だ』という事がもっと記念になると考えたからです。
機械のエンジニアだった父がタバコ製造機械を設計改良して、その功績で記念に頂い
た懐中時計ですから、記念に残す事にも意義があると感じて寄付を致しました。

それを済ませてから、ワイフの生まれ故郷の嘉義に行きましたが、泊ったホテルの係り
が親切に教えてくれて、今でも稼働している精糖工場に連絡してくれたので、タクシー
で訪ねて行くと、係りが待っていました。
1軒だけ記念に残されていた戦前の精糖会社の社員住宅があり、そこを案内してくれ
たのですが、ワイフはその部屋の内部を見て、そこも、あすこもと、昔の記憶がよみがえ
り、目を真っ赤に泣きそうな顔で見ていました。
ワイフの両親も兄妹たちの内、3名も亡くなっていて、家族が歩いていた道も、並木も
近くに会った神社も、全てが過去に消えて、様変わりをしていました。ワイフの兄や姉
達が通っていた小学校が現在も残り、子供達が校庭で遊んでいました。

全てが70年以上も過ぎて、過去に消えた思い出ですが、ワイフには格別の感激と、
郷愁の一時だったと感じます。私も嘉義まで訪ねて来て本当に良かったと感じました。
過去は二度と戻りませんが、ワイフが工場に行く引き込み線のレールを見て、母親
達と側を歩いた記憶に涙していたのを見て、私も感激していました。

遠い過去に、ここの台湾の地に、人生を賭けて生きた日本人達の夢の跡を見た感
じでした。