2014年5月31日土曜日

私の還暦過去帳(525)



 越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(13) ‏

 
越南米粉麺を食べ歩いて、かなりのお店を訪ねました。
一度、バークレー大学の近所に新規に麺の専門店が開店した
と広告が新聞に出ていました。早速に偵察に行く事にしました。

店は大学から近い場所で、かなり若い人達で混んでいました。
麺は各種ありまして、日本のうどんソバも有りました。
ベトナム風の麺もあり、勿論中華麺も有りました。

店は若い白人の夫婦ものがオーナー・シェフとして仕事をしている
感じで、ちょっと心配になりましたが、どうせ来たのですから、試食
してみる事にしました。私は興味がありました、日本のソバがあると
言う事で、その海鮮ソバを試してみる事にしました。

出てきたソバは我々が期待するものではなくて、先ず出し汁が全然
似ても居ない感じの出し汁を使い、ソバ独特の醤油味でツ―ンと
来る濃いソバの出し汁の香りが有りませんので、「あれー!」と感じて
いました。それはまったくの創作アメリカ・ソバで、我々が食べるべき麺
では有りませんでした。確かにソバを使ってありましたが・・・、

海鮮ソバと言っても、ただ鮮度が落ちた桜エビが四匹ばかり皮を剥い
て生で載せてあると言うだけで、かけソバを食べているのがまだ益しと
感じられました。値段だけは倍ぐらいしていたと思います。
ガッカリして、鮮度の落ちたエビですから、変な匂いもして、すぐに食べ
るのを止めて、突き返しました。

オナーが満足しないなら、代金は返すと言う事で、それで店を出ました。
色々な店を歩きました。しかし今まで、外れた店は 越南米粉麺では
有りませんでした。どこも美味しい麺を出して、かなり競争が激しいので
どこも味には気を付けて居ると感じました。

2014年5月29日木曜日

私の還暦過去帳(524)




越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(12) ‏

一番驚いたのは、サンフランシスコでトップを争う店でしたが、モヤシは
これ、『根っ切り』と言うホルモン処理して根を出していない、ずんぐり
モヤシではありません、根がついて昔、良く食べたモヤシです、近頃は
滅多に食べられませんので、『ムム・・!』と感じました。それからそこの店

使用する牛肉は全部アメリカで、『ブラック・アンガス』と言うオルガニックの
飼料で肥育された肉で、その認定の額も店に飾って有りました。
その牛肉で採ったスープは絶品でした。澄んで味濃くて、なるほどと感じ
まして、これまでこだわる店ですから、パパイヤ・サラダ一品でもドレッシング
の味がこれ『ア―!美味い!』と感じました。サラダの上に乗っかった肉の

味付けもこれまた『ヤルナー!この味!』と感じた味でした。
麺も固くなく、かつ柔らか過ぎず、ツルリー!とスープに箸で泳ぎました。
ボテー!と固まって、鉢の中でとぐろを巻いて居るような麺では有りません、
ふんわりと、軽く、麺も多すぎず、少な過ぎず、丁度の量で満腹できまして
これこそ満足の『 越南米粉麺』でした。

美味しい物を沢山食べて、ベトナムコーヒーでも飲んで、マンゴープリンでも
食後のデザートに食べれば、あー!言うことなしの満足という感じでした。
貴方もひとつ食べ歩きして美味しい越南米粉麺の店を探して下さい。
我が妻と手取り合い食べ歩く仲の幸せよ、

2014年5月25日日曜日

私の還暦過去帳(523)



越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(11) ‏
       
越南米粉麺を食べ歩きまして感じた事は、彼等の移民して来た
数がとても多いと言うことでした。東部のボストンで昔、娘夫妻が
ハーバート大学の招待客員研究員として滞在していた時でした。

イタリア人街に近い港の広場に沢山のベトナム人が集合してサイ
ゴン陥落の記念に何か集会を開いていました。旧ベトナム国旗
をなびかせて、マイクで祖国の共産政権の圧制を非難していま
したが、アオザイのきらびやかな女性の姿が印象的でした。

こんなボストンの町に住み付いて、祖国を案じる彼等の心を思い
また、西部のカリフォルニアにもそれ以上の数のベトナム移民達が
住み付き、生活して、活動して、伸びて行き、繁栄の象徴と言う
ショッピング・センターも造り、今ではどこでも手軽に食べられる様

な越南米粉麺のレストランをフランチャイズで見かけるようになり、
もはや日本のラーメン店などは影をひそめてしまいました。
先日も前に食べた事がある、日本のラーメン店に行ったらすでに
閉店していました。時代の流れです、東洋人達が好む食の変化

が、もはやアメリカを巻き込んで、今では寿司と、この越南米粉麺の
流れが定着したと感じます。中華レストランも近所で2ヶ所も閉店
しました。それは中華レストランのバフェー・タイプにお客を取られた
からでした。安くて早く、豪華な店で一度に沢山の家族でもテーブル

が囲める店が、メキシコ系の大家族でも彼等が好む料理を合わせて
作り、彼等に歓迎される料理を出して、集客したと感じます。
今ではヒスパニック系をカリフォルニアでは無視出来ません。
我々がベトナム麺と言うレストランは、中年過ぎのアメリカ人が沢山

食べに来ている事は、やはりベトナム戦争経験者がアメリカには沢山
居るからと感じました。先日も少し頭が禿げかかった初老の男性が
一人で麺の鉢の前で、器用に箸を使い、生春巻きを口に入れ、麺
のスープを美味そうに口にしている男性を見ていると、かなり慣れた
感じで越南米粉麺を味わっていると感じました。

アメリカに定着して、アメリカ人にも喜んで賞味される感じの麺ならば、
日本人でも病み付きとなるのはあたり前と感じました。
ご飯類も昔、学生食堂で食べた感じの盛りつけで、大皿に盛りつけた
ご飯とチキンが懐かしい感じでした。何も抵抗感がない、食べている多く

人種も東洋人が9割は居ますので、どこかの日本の都会の食堂の感じ
でテーブルに座る事が出来る事は、こんなアメリカのカリフォルニアに住んで
安らぎが出来る場所でもあります。そして麺を箸でつまみ上げて、ツルリと
口に走る感覚がこれまたたまらない心地であります。ありがたやーー!

2014年5月21日水曜日

私の還暦過去帳(522)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(10) ‏

私が越南米粉麺を食べる様になって、かなりの店を歩きました。
去年の夏でしたが、娘が住んで居るロスから2時間ほど車で
北に101線を上った所のにあるサンタ・バーバラに行きました。

そこはロスの奥座敷と感じる海岸のリゾート的雰囲気がある町
で、海岸線には高級住宅が並んでいますし、山手の太平洋が
展望出来る場所には、そこも高級住宅の大きな邸宅が有ります。

大学も有りまして、若い人が沢山町中を歩いています、週末の
繁華街は大変に混雑と言う感じで、活気がありますし、レストラン
も色々な店が並んで楽しめます。
そんな所の町中で、娘が2ヶ所もベトナム麺の店に連れて行って
くれました。初めに行った店は開店して余り時間が経ってはいなく

店内は綺麗で、どこと無くそこの店の主人の気性が出ている感じ
でした。味は娘が太鼓判を押すだけに、間違いは有りませんでした。
食器も驚くなかれ、全部が創作と感じる個性があり、レストラン用の
食器では有りませんでした。

お皿もデザインが個性的で、初めて見る感じでした。始めにパパイヤ
サラダを注文して、生春巻きを前菜として、麺が出て来るのを待って
いました。お皿の綺麗な絵を見ていて、どこと無く店の主人の気性を
感じる事が出来ましたが、麺もスープも上品な感じで、丹念に調理
して作った感じの料理でした。

麺を食べ終えて、そのあとの食後のデザートのマンゴープリンを注文
して、独特のベトナムコーヒーを自分で作り、娘は飲んでいました。
コーヒー粉を上の容器に入れて、そこから『ぽたー、ぽたー!』と落ちる
コーヒーを受けて、それをアイス入りコップに注いで、アイス・コーヒーを
自分で作ります。そのコ―ヒーを前にして娘夫妻と並んで世間話をして、

そんな事で、ゆっくり話しながらテーブルで食後の一時を楽しんで
いたら、そこの主人がエプロンを外して、私達のテーブルに来て挨拶を
しました。そして味の感想を聞いていました。品の良い感じのオ―ナー
シェフでした。午後遅く店に入り、お客も一段落して途切れていました
ので、挨拶に出て来たと感じました。

今まで初めての経験でした。私達夫婦は、かなりあちこちを食べていま
すので、良く比較しての越南米粉麺の違いが分ります。
私は『店の内装や飾りの絵、観葉植物の種類までどこと無く他の店とは
違う感じと』話しました。モダンな現代的なベトナム麺の店です、

オークランドの中華街にあるベトナム麺の店はまるで中華料理屋のごとく
商売の神様を正面に祭り、ドギー、ドギー!の飾りで私達、日本人的な
視野からすると、とてもベトナム人とは感じられない店が有りました。
そこは後で聞いたのですが、広東系のベトナム華僑の店だと聞きました。

同じベトナム麺の店でも、純粋なベトナム人の店は同じ故郷のサイゴンか
ら来ていても、店構えがずいぶんと違う事に気が付きました。
そしてスープもどこと無く微妙に違いが有る事に気が付きました。
日本でも同じうどんの出し汁でも、地域ではかなりの異差がある感じと
思います。

2014年5月19日月曜日

私の還暦過去帳(521)



越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(9) ‏ 

私達夫婦が食べ歩きをして、近所に新しく開店した店が、かなり
ベトナム人達の社会でも評判が良くて、早速に出かけて行きました。
私のワイフはパートで学校で公務員をしていますので、そこの用務員
がベトナム人で、ベトナムから1970年の半ばに移民してきた人でした。

去年初めて、サイゴンとの直行便の飛行機乗り入れで里帰りしたと
言っていましたが、家族そろっての郷里訪問はいかがな感激だったかと
想像しました。その方の紹介での店でした。
彼等の口での、味覚での評価ですから、まずまずの店と思いまして
その越南米粉麺店を訪ねました。

店は綺麗で、全部新品で設備も近代化して見ただけで清潔感があり、
対応も若いベトナム人達がきびきびとして、対応する接客態度は他の
店とは少し差がありました。先ず初めての試食ですから、そこの店の味
の基本スープを見る為に、麺も米粉のありふれたベトナム麺を頼み、
スープも普通の海鮮麺に入っているスープで試しました。

まずまずの合格で、あっさり味で癖も有りません、何種類かの出汁を
ミックスした感じでした。麺もワイフは平たい麺、私は細い麺を頼んで
食べ比べました。どちらも合格で、食感も舌触りも程よく食べる事が
できました。ゆっくりと食事を楽しんでいる隣りのテーブルに中年の男性

が座り、注文したのは生の牛肉を麺のスープに『しゃぶしゃぶ』の様に
浸して食べる麺でした。見ていると皿に薄切りされた牛肉が丸く並んで
それを箸でつまんで、スープに泳がす様にして、『レンゲ』のスプーンに
垂らした、少量のニョクナムとカラシに、チョン~!と浸すと、パクリと美
味しそうに口に入れました。

見ていると霜降りの牛肉が美味しそうです。食べている顔も幸せな感じ
を受ける、食の幸福感に浸っているような感じがしました。
それから麺を箸で摘み上げて、すする様に食べています。見ていても直
にその雰囲気が感じられ、長い麺を持ち上げて口に入れる動作も慣れ
て、すばやく感じられ、本物の麺を、本当のベトナム人が食していると
思いました。

町中のありふれたベトナム麺の店ですが、人間模様の食の世界を心に
感じる場所でした。

2014年5月17日土曜日

私の還暦過去帳(520)

 
 
越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(8) ‏ 
 
かれこれ8年近く前です。
ある日曜日、私達家族は二年ぶりに全員が再会致しました。
子供三人は全部育ってしまい、結婚した娘は当地から500km
は離れた所に住んで居ますし、他の男兄弟二名はそれぞれ違った
道を歩いていますので、中々全員での再会は有りませんでした。

昨日の日曜日も長男はロスに行っていましたが、12時の飛行機で
サンフランシスコに戻って来ました。丁度、コルマ日本人墓地に墓参
りを娘と次男を連れて、久々にお花を供える為に出かけていました。
そこに携帯に到着した事を知らせてきましたので、一同揃う事になり
ランチも簡単な軽い物を食べる事にしました。

バークレー大学に近い、かなり場末に近いところにある、日本の酒造
会社のすぐ近い所の、インド軽食の店に家族で行きましたが、そこは
倉庫を改造したような、中はかなり広い場所で、沢山の家族連れの
インド人達が来ていました。

隣りはインド食品店でかなり沢山のインド食材が並べて有る店でした。
まるでニユーデリーの首都のどこか西洋人が多く住んで居た場所と何
か雰囲気が似ています。去年、インドを訪問した時の事で覚えていま
した。インドに留学していた次男が、先月の歳も押し迫った12月29日
にアメリカに戻って来ました。

またインドに二ヵ年ぐらい行く計画でその準備をしていますが、インドの
食べ物には一年半ぐらい居たのでかなり詳しくて、色々な軽食を各種
の皿を取り、家族で少しずつ食べて試食していました。
朝が遅くてまだお腹も空いてはいなくて、丁度良いぐらいの食べ物でした。

そこで食事を済ますと、次男の発案で、サンフランシスコの美術館に行く
事になり、また橋を渡って戻りました。家族で美術館を訪れる事などは
久しぶりの事です、長男の車に全員が乗りまして、娘もそのままSFから
自宅に戻る事無く、帰ると言う事で、小さなカバンも積み込んで、出発
しました。

楽しい美術館見学も家族全員でのそぞろ歩きで話しも弾みましたが、
8時の娘の飛行機の時間に合わせて、夕食はそこから近い所にある
ベトナム料理の『越南米粉麺』を家族で食べる事にしました。
少し時間が早目で、駐車も簡単に出来ましたので、ラストランでは家族
団欒の食事が出来ました。

料理の種類はサンフランシスコでも五本指に入る、ベトナム麺を出す店
です、前菜はパパイヤ・チキンサラダ、牛肉とキャベツサラダ、揚げた春巻き
それぞれ麺は違った種類の鉢を注文して、家族で箸を伸ばして皿を囲み、
前菜を楽しんでいました。パリパリ、しゃきしゃきと歯ごたえのある、良い油

で揚げた春巻きを、レタスで包んでニョクマム味のタレに付けて食べます。
麺が出て来るまで、話しが弾み、二年ぶりの家族再会の楽しい時間と
なりました。湯気の出ている麺がテーブルの上に並べられると、それ
ぞれお互いに注文した麺の鉢を見せ合って、モヤシを入れるもの、香葉
をちぎって入れるもの、カラシを出して小皿に注ぐもの、家族中で興奮と

麺好きの子供達の笑顔が前に並んで、箸を持ってすくい揚げる麺の長さ
に驚き、笑顔でそれを口に入れる、おどけた動作、全てが楽しい夕食の
一時となり、普段二人で食べることを考えると、家族の幸せを身体に感
じる夕食となりました。ワイフと私は海鮮麺、長男は牛スープの麺、次男は
ニョクマムのソースを掛けて食べる麺、娘はチキンのスープの麺をそれぞれ

食べて、満足して、お腹一杯となり、幸せな気分で食事が終りました。
近所でコーヒーを食後に飲み、娘を飛行場までサンセットの海岸道路を
走って家族でドライブして、太平洋に沈む夕日の輝きに歓声を上げて走り、
娘を飛行場まで送り別れました。
お互いにハグして、手を振り、またの全員再会を約束して見送りました。

2014年5月13日火曜日

私の還暦過去帳(519)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(7) ‏

昔ですが、旧暦の正月に福岡県人会の新年会に出掛けて行きました。
私は戦前の台湾生まれですが、父の本籍が福岡ですから、県人会
に参加しています。

毎年参加人員が少なくなり、今年は25名ぐらいでしたので寂しい感じ
でしたが、会場のレストランがオークランドのチャイナ・タウンでしたので、
今日は混雑が最高の時で、近所にある仏教会駐車場から、そこから
歩いて中華レストランに行きました。

かなりの距離ですが賑やかな中華街を歩きますので、旧正月の真中を
歩く感じです、どこも豚の丸焼きや北京ダックやチキンのローストなどを
山と積んで販売しています。ベトナム人達も同じ旧正月を祝う様で、
特にオークランドのチャイナ・タウンでは広東系のベトナム人が沢山に来
ていた様でした。

勿論にベトナム人達も多く見かけました。沢山買物を持ち、声高く話し
ながら肩を連ねて『 越南米粉麺』の看板の店にランチタイムで入ってい
ました。中は普段着の大勢の買物途中の人達が、麺を食べていました。

どこから来たのか大勢の東洋人がゾロゾロと歩いています、また白人と
結婚した東洋人が家族で店を覗きながら歩いていて、見るとかなりの歳
から推察すると、ベトナム戦争で出征して現地で結婚したベトナム人と
感じるカップルが、ひっそりとテーブルに向き合って、けん騒の街中から遊離

したかの様に、無心の食事の空間を二人で作り出している感じがしました。
少し開いている食堂のドアから中が見えます、太平洋を隔てたベトナムから
移民して来て、カリフォルニアのこのチャイナ・タウンで『越南米粉麺』の鉢を

囲む東洋人と西洋人のカップルの姿が、現在の麺の姿ではないかと感じ
ます。福岡県人会でハーモニカの伴奏で歌う新年の歌『歳の初め』を歌う
老齢の姿を見て、中で一番若いのが私であると言われて、皆はいったい

どのくらい歳かとふと感じたしだいで、同じテーブルに座っていた知合いの女
性が驚くなかれ、90歳でまだ車を運転して、今日の新年会に来ていたとは、
県知事からの表彰状を貰う姿を見て驚きと、その若さに驚嘆しました。

いまだに戦前、アメリカに来る時に同船だった88歳の女性を誘って来る姿
は、到底は日本では見られないと感じました。今でも一年に何回もネバダ州
のリノの賭博場にカードをしに行くとは『おそれ入りましたと~!』平伏しました。

運転はして行かないがバスで出掛けるそうです。
そして、還暦などとはまだ赤子だとのことでした。
それにも恐れ入りまして、ダンスに誘うと冗談で話していました。
彼女は『ボケ無し!、耳完全に聞こえ!カードをプレイして稼ぐそうで、目も
完全で支障無し!、車を運転してチャイナ・タウンのベトナムうどんも食べに
来るそうで、   『これ・・・アー!と絶句!』

2014年5月10日土曜日

私の還暦過去帳(518)

越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(6) ‏
 
越南米粉麺を食べる様になってからは、かなり食べ歩きをしました。
ベトナム人の数が多いのと、彼等が日常食べる麺で、他の中国人
広東系、タイ人などの愛好家も沢山居る様でした。

中華麺はどこと無く重たい感じで、食感としても油ぽい感じの麺が
多くて、それからしたら、ベトナム麺は上品な感じを受けます。
スープも辛くもなくて、またしっこくも無くて、澄んだ濃くのあるスープが

日本人の口にも違和感無く味わえる事は、日本人が『うどん・ソバ』
という食文化は、昔から田舎を問わず、都会でもどこでも手軽に食べ
られると言う米飯に代わったのが麺食です。
私が子供の頃に、近所のお婆さんが石臼を片手で廻し、左手で

で臼をひきながら、少しずつくず米を上から穴に落として、粉にひいて
いました。『ゴロゴロ・・・!』と重い石が廻り、少しずつ、粉になった米
が下のゴザに落ちていました。一升の米をひくのは、かなりの時間が

掛かりそれを、カマにお湯を沸して、薄塩水で練って、お湯に落として
団子として、炒った大豆を同じく、石臼でひいて黄粉とした物に砂糖
を混ぜて、団子に掛けてくれたのを覚えています。昔の手間と根気

の居る手作りの食べ物などは、現在の社会では誰も受け入れてく
れません。越南米粉麺を前にしてテーブルに座り、瀬戸物のスプーン
でニョクナム(魚精醤油)を麺に数滴たらします、ベトナム料理には、かか
せない調味料、ニョクマム(ナンプラ-)です。
日本の秋田県などで使う「しょっつる」も同じ仲間です。

小皿にたっぷりと盛られた、モヤシを載せ、シェラント
の葉をちぎってふりかけると、熱いスープに沈めて混ぜ合わせ、レモン
を垂らすと、先ずスープをスプーンでゆっくりと味合う様にすすり飲み、
それから、やおら箸で麺を『グ―ッ!』と持ち上げて、口に入れる時に

子供の頃に食べた団子や手打ちうどんの味を『ふっと~!』思い出
します。ベトナムでも昔の田舎では、日本と同じ様に石臼でひいた
米粉で作る麺は、どのような手法が使われたか、同時に考えながら

彼等、ベトナム人と混じって食の歴史と文化を味わう感じと思いました。
別皿に注文した生春巻きとパパイヤのサラダも味わいながら、彼等、
ベトナム人が発散する生気を感じる麺の食文化です。

2014年5月8日木曜日

私の還暦過去帳(517)



越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(5)

ベトナム・ヌードル店で、ベトナム人達と越南米粉麺を熱気と共に
彼等小柄な身体で、洗面器ぐらいの大きさの器に盛られた麺を
家族で『ワイワイ・・、ぺチャーペチャ!』とお椀に取って食べている
姿を見てまた、生春巻きを口一杯にかぶり付くのを見ていると・・、
ふと昔を思い出しました。

1980年頃は、高速道路を走っていると、良く他州のナンバーの
車で、屋根の上まで荷物を積み重ね、まるでスタインベックの小説、
『怒りのブドウ』を思い出すような感じの車が、高速を『ヨタ・ヨター!』と
走っていました。ノーベル文学賞に輝いた作家が昔、見た目と、私が
感じた現代の感じは時が大きく違いますが、何か共通する心があり
ます。

『怒りのブドウ』は映画の巻頭の言葉に有る様に・・・、
―アメリカ中部に砂嵐地帯(Dust Bowl)と呼ぶ乾燥地がある。
―この乾燥と貧困が多くの農民の生活を不能にした。これは自然の
―猛威と経済変動に土地を追われ、安住の地と新しい家を求めて
―長い旅に出る農民一家の物語である。

大陸横断80の高速道路から、680に来てSanJoseに行く道でした。
どこか遠くから走って来た様で、車体もドロに汚れて、長旅を感じさせ
る風情でした。中に乗っている東洋人達はどの顔も疲れと憔悴で、

ぐったりとした表情で、『ギュ―!ギュ―!』と積め込まれた人間が、
肩幅を付き合わせる様にして、片手を窓から出して、空間を作って
いる感じで、平行して走っていて、私の小型トラックを見て同じ人種

の東洋人と感じたのか、いきなり『サンノゼ―!サンノゼ????』
と怒鳴る様に尋ねていました。
私はそのアクセントから『ベトナム人』と感じましたが、私が英語で、
『あと1時間だよー!』と声を掛けると、全員が私を見詰めていたので、

指で『1』のサインをして、ももう一度『あと1時間だよー!』と怒鳴る
様に言うと、見詰めていたやつれて疲れた顔に生気が戻り、笑顔が
こぼれ、子供がバイバイー!と手を振り、『V』のサインを指で示して
サンノゼ方面に消えて行きました。
そして、そのような車を何台も見ました。

あれから20年近く、彼等もカリフォルニアに落ちついて、小さかった
子供達は成人して、今、隣りのテーブルで麺を食べている家族と
なっているかもしれないと感じました。

2014年5月5日月曜日

私の還暦過去帳(516)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(4) ‏
 
さて・・・!カリフォルニアに腰を据えて、ここで生活する様になって、
やはり毎日の食生活は簡単には変える事は出来ません、あたり
前ですが、一番困ったのが魚でした。そろそろ38年も前です・・・、

私が住み始めた町は魚屋と言うのは一軒しかなく、当時のスーパー
などは冷凍の魚は置いて有りましたが、生は有りませんでした。
そんことで週末は良くチャイナ・タウンに出掛けていました。

サンフランシスコは駐車場が無くて、直ぐに駐車違反でやられて懲り
まして、オークランドに行く様にしました。橋代も掛からず、30分も
節約出来ますし、一番良かったのは駐車場が目の前にあったから
でした。

しかし現在では、そこの大きな駐車場はホテルが建設されて、有り
ませんので近所の店がだいぶ廃れました。
それと言うのも、香港系の大資本がそこから10分ぐらい高速で走っ
た場所に、かなり大きなショッピングセンターを作り、スーパーから商店

ドクターオフイスなど、またレストランも選り取りみどりですから、自然と
人の流れが、駐車料金も無いレストランも広東系、台湾系、北京系
ベトナム系、ごちゃまぜ中華系、などなどーー!

それにパン屋さんもこれまた、日本人もOKです、乾物屋も有り、東洋
雑貨も衣料品も小柄な東洋人向けが沢山置いて有りますから、
我々日本人でも嬉しく、先ずは韓国人、フィリピン人、インド人がぞろぞろ
歩いています。おかげで買物や食事も同時に、駐車料金も気にならないと

感じるショッピングセンターですから、どうしょうも有りません・・・・・、
スーパーは魚はドーン!とこいで、それこそ活きた蟹からナマズ、ミル貝など
生牡蠣も有り、東洋人なら、『うはうはーー!』と嬉しくなる場所です。

売れる量が桁外れですから、いつも新鮮です。そんな所にベトナム麺の
店がオープンして、それこそベトナム人が押すなー!押すな!の盛況で
立ち見ではなく、立ち待ちですーー!ドド・・・!と押し寄せたお客で人気

が分ろうと言うもので『越南米粉麺』に、はまった感じになりました。
それと言うのも、前はラーメンを食べ歩いていましたが、外ればかりで少し腹
が立っていました。手前勝手に『美味しい~!』などと宣伝して、食べてみ

れば『良く言うョね~!美味しいなどと』一度切りの店がかなりあったから
で、酷い店はラーメンにキムチ食べ放題などと、『ドッキリ店』があったから
でした。そこの味噌ラーメンは赤味噌のからい事で、『ぺぺ・・・・!』と吐き
出す様でした。学生崩れが開いた感じの店でしたが!
そんな事で余り外れも無い、『越南米粉麺』に病み付きとなりました。

西に開店したと言えば100里をとわず、あそこが美味しいと言えばワイフと
仲良く出掛けていました。

2014年5月4日日曜日

私の還暦過去帳(515)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(3)


ベトナム麺の呼び方は『フォー』か『ホー』か・・・?
答えは最後を読めば分りますー!

アメリカに来て、オークランドのチャイナ・タウンに良く買物に出かけ
ましたが、何でもござれで・・・嬉しくなって来ました。

38年前はサンフランシスコの日本町に行かないと日本食は揃いません
でしたが、オークランドのチャイナ・タウンでは野菜などは殆どが買えます
ので助かりました。魚も活きの良い品物が有り、その場で開いて切り身

にしてくれますので、日本の魚屋と同じ感じですが、残念ながら刺身は
置いてはいません、その代わり活きた魚を生け簀で泳がしていますので
それを指差して買う事が出来ました。

買物して・・・・、さー!ランチタイムとなり、何か美味しい物は無いかと
『きょろきょろーー!』と探していたら、あったー!中華麺類専門店とあり
『これこれーー!』と舌を長くしてお店に入りました。

初めは当地で『エッグ・ヌードル』という、しこしこ麺で少し色付きの、日本
で食べるラーメンの麺と同じ感じ食感と太さでした。
それに何と~!北京ダックの、色よく、こんがりとローストしたぶつ切りが
これ、  ドバー!と載っているのを私が注文して、ワイフは何か澄ましスー
プで、麺は  『そうめん』に感じが似た麺で、海鮮麺でした。 

麺の上にはエビやイカ、貝柱などが適当に載せてあり、スープも鶏がら
の  匂いもする感じで、濃くのある香りでした。 
はてーー!側にモヤシやチャイニーズパセリなど、それにレモンなどの
切り身が  付いた皿が有り、私が『じゃ―ん!』と感じたのは、これぞまさ
しく見覚え有る!  『越南米粉麺』でした。 

適当に食べた後は、交換して試食しましたが、どちらも合格でした。
『あー!美味しかったーー!』と大きくなったお腹をさすりながら・・・中華
街を  さまよう内に、あらー!なつかしや・・・・台湾生まれの私達夫婦は
戦後日本に  台湾からの引き揚げ者でした。 

たいした記憶も未練も有りませんが、お互いに両親が台湾生活が長か
ったので  中華料理にはかなりの熟練者でした。私は『ちまき』に似た
『バーチャン』と呼ん  でいた『台湾ちまき』を発見して、ニタリ~!です、
早速にお買い上げで、ワイフ  と喜んでいました。 

あちこちと買物して、米粉麺のことを聞きますと『フォー』と言います、
昔のオランダ  船でのおばサン達が『ホー』と言ったのはなぜ――?と
思いました。 
それは・・・!

―これは何と言う麺なの・・?

―『フォー』だよ!

―ほんと~!『フォーー』なの・・?
 (私の聞き間違いかも知れないと何度も繰り返して)

―ほんと!ホント!  『ホー』と言うの?????
 (これがいけなかった様ですーー!忙しい商売時間帯ですから、)

―『ホー』だよ~!
 (おばサン連中が笑いながら答えてくれました)

―ホ~!そうか・・・やはり『ホー』と言うのかー!
  (まあー!そう言う事で・・・・!私は今でも『ホー』と書いています。)
 (笑)

2014年5月2日金曜日

私の還暦過去帳(514)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(2)

40年ほど前の事です。
私が一番初めにベトナム人達に直接会ったのは、日本に帰国する
時に、シンガポールから乗り込んできた人達の中に、沢山乗船してい
たからです、私達が通称、華僑という広東系のベトナム人でした。

彼等は香港まで乗船していましたが、驚いた事に鍋・カマ、コンロなど
も持ちこみ甲板で炊飯して居た事です。三等船客もまだ下の、四等
船客達です、オランダ船はケチと聞いていましたが、まさに肌で感じま
したが、見れば甲板でアンペラひいてごろ寝している御仁も居ます。

我々日本人からしたら、各段の生活力がタフと言う感じです。おばサン
達がお昼となると甲板で商売しています、何かと見ると、お茶碗に麺を
入れて、スープを掛けて、まるで日本の『かけうどん』的な物体を食べ
さしているでは有りませんかー!

―これはなんであるか?
―これは「ホー」という麺であるー!
―いくらか?
―25セントだよー!
―ほんとかね~!
―うまいよー!
―ほんまかいな~!
―食べるかネ~!
―食べたいが・・・・?
―ためしてみてよー!
―じゃ~!一杯ちょうだいナ~!
・・・・・・とか何とか言って食べたのが初めてでした。

バケツの水で洗うお茶碗ではあまり衛生的では有りませんでしたが、
『何でも食ってみようー!』の特攻精神は、いっも持っていました。
それにしても、オランダ船には驚きでした。

寛容精神があるかと思えば、そうではなく『袖の下での黙認』と聞いて
もっとびっくり・・・!でした。
食後のデザートには、甘いお汁粉もどきの『あずき豆とピーナツ』が
入った甘煮ごった煮?と言う感じの物でしたが、日本人の口にも合う
感じで、満足していました。

時代は代わり、あれから幾年か・・・・アメリカに来て、またあの麺に再会
しました。
今度はれっきとした中華街のレストランでした。
次回に続く。