2014年5月2日金曜日

私の還暦過去帳(514)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(2)

40年ほど前の事です。
私が一番初めにベトナム人達に直接会ったのは、日本に帰国する
時に、シンガポールから乗り込んできた人達の中に、沢山乗船してい
たからです、私達が通称、華僑という広東系のベトナム人でした。

彼等は香港まで乗船していましたが、驚いた事に鍋・カマ、コンロなど
も持ちこみ甲板で炊飯して居た事です。三等船客もまだ下の、四等
船客達です、オランダ船はケチと聞いていましたが、まさに肌で感じま
したが、見れば甲板でアンペラひいてごろ寝している御仁も居ます。

我々日本人からしたら、各段の生活力がタフと言う感じです。おばサン
達がお昼となると甲板で商売しています、何かと見ると、お茶碗に麺を
入れて、スープを掛けて、まるで日本の『かけうどん』的な物体を食べ
さしているでは有りませんかー!

―これはなんであるか?
―これは「ホー」という麺であるー!
―いくらか?
―25セントだよー!
―ほんとかね~!
―うまいよー!
―ほんまかいな~!
―食べるかネ~!
―食べたいが・・・・?
―ためしてみてよー!
―じゃ~!一杯ちょうだいナ~!
・・・・・・とか何とか言って食べたのが初めてでした。

バケツの水で洗うお茶碗ではあまり衛生的では有りませんでしたが、
『何でも食ってみようー!』の特攻精神は、いっも持っていました。
それにしても、オランダ船には驚きでした。

寛容精神があるかと思えば、そうではなく『袖の下での黙認』と聞いて
もっとびっくり・・・!でした。
食後のデザートには、甘いお汁粉もどきの『あずき豆とピーナツ』が
入った甘煮ごった煮?と言う感じの物でしたが、日本人の口にも合う
感じで、満足していました。

時代は代わり、あれから幾年か・・・・アメリカに来て、またあの麺に再会
しました。
今度はれっきとした中華街のレストランでした。
次回に続く。  

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