2014年4月19日土曜日

私の還暦過去帳(509)

第4話、南米移民過去帳物語、(14) ‏

 
南米の「フーテンの寅」さん(2)

彼と知り合ってからは、田舎町でも楽しいことが沢山出来ました。
お互いに独身で、気ままな生活を出来る立場でしたので、遊びに狩猟、
魚釣り、ダンスパーテイなども知り合いが増えて、ますます賑やかに
なり、楽しさも増していました。

彼は天性の朗らかな性格と、くよくよしない性分で、どこでも生きて行
ける生活力がありました。
訪ねると彼が料理してランチや、時には夕食も作って食べさせてくれ
ましたが、彼が住んでいた農場の周りにはビスカッチャと言う、兎と
タヌキの中間と感じる獲物を罠で捕まえて、それを食料にしていました。

週に3匹も罠に掛かるとそれで肉は十分に間に合うと話していましたが、
よく台所の流し場の上に、皮を剥いでぶら下げてありました。
彼が得意だったのは肉うどんで、少し感じが煮込みうどんと言う感じで
した。ネギを刻んで沢山入れてあり、その上に必ず卵を一個載せてあり
ました。
乾麺が無い時は、自分で機用に手打ちうどんを作り、それで作っていまし
たが、私も今でも思い出す味です。彼がビスカッチャの肉をそぎ落とした
骨でスープの出汁を作っていましたが、彼は昔、田舎の食堂で手伝いを
していたので、ラーメンもチヤーシユーなど作った時に、味噌がある時は
味噌ラーメンも作ってくれた事を覚えています。

彼は時々、我々が農場を開いていたインべルナーダという所に遊びに来て
釣りをしていましたが、彼が泊まっているのは、前に世話になっていた
夫婦の農場に居たので、仕事を終ってからワインのボトルでも持って、遊
びに行っていました。
その時に彼から聞いたのですが、農場に住み込みで働いている若い夫婦が
お互いに現在の言葉で言えば『援助交際』と言う様な感じの事をしていた
様でした。
それは旦那がワイフと話し合って、他の男に時間でワイフを貸し出すという
事で、殆どが一日単位での貸し借りだったようでした。

それはワイフが同意する相手で無いと契約が成立しないと言う事でしたが、
それにしても、自分のワイフを他の男に貸し出すと言う事は、その間に
セックスでも洗濯でも何でも構わないと言う事には私も聞いた時は、驚いて
いました。
一日、人のワイフを借りる金額は、若い奇麗なワイフなど,かなり高額だと
聞いた事がありますが、彼が狙っていたのは子供が居ない、若くてまだ20
歳前後の女性だった様でした。

それが運よく彼の希望どうりに当り、ワイフも同意し、交渉も成立して、一日
旦那が町に遊びに泊りがけで出かけた時に、彼がその小屋に泊まって居たと
言う事です。彼が払う金額は殆どその夫婦達が折半していた様で、その日は
ランチを作って貰い、一緒に若いワイフとワインでも飲んで、セックスもした
と話していましたが、もしも何も話し合いも無く、合意も無く、ワイフに手を
出していたら、間違いなく殺されると彼が言っていました。

それにしても何んとも大らかな感じが致しましたが、何も無いジャングルでは、
そんな遊びも有ったと感じます。その当時の結婚は平均が20歳前で、25歳
ほどになれば、どこか悪いのかと言われていました。農場使用人の若いワイ
フから、旦那がOKと言っているので、週末に私を借りて町まで遊びに連れて
行ってくれと誘われましたが、残念ながら忙し過ぎて無理でした。

私の友人はそんな事などしなくても、沢山の若い女の子達から誘われて遊ん
でいましたが、チヤワンコ族のインジオ達は、黒髪のどこと無く日本人に似た
顔立ちで、私の中学時代の同級生と同じ顔付きの女の子も居ました。

私がエンバルカションの町にいる間は、彼の彼女はアマンダと言う名前の
インジオの血を引く現地人でした。
次回に続く、

 
                                                                                            

                       
                             


          



















 

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム