2014年3月20日木曜日

私の還暦過去帳(500)

南米移民過去帳物語、(5)

琉球泡盛女の物語、


当時のブエノスアイレスの首都にはかなりの日本人達が住んで
いましたが、それもかなりの沖縄県人達でした。その頃は第2次
世界大戦後の日本から生活困窮とご主人を戦争で亡くして、親
戚や親兄弟の紹介や勧めで、アルゼンチンに呼び寄せ移住者
として来ていた方がかなり居ました。

その当時のアルゼンチンには戦争で祖国日本から女性を呼び
寄せる事も出来ず、婚期を逃がした独身男性がかなり居た事で
す。その頃のブエノス市内では戦前から、大邸宅に住み込み
の下働きとして、日本人の男性や、夫婦者が働いていたのでし
たが、中には欧州からの移民女性と同じ職場で結婚していた人
も何人か見ました。

彼女が旅に出たのはまず知り合いが居たロサリオの町でした。
遠い親戚で彼女のご主人の葬儀にも来ていた人の様で、落ち
着いたら遊びにおいでと声を掛けてくれていたので、まずは
そこで同じ洗濯屋を開業していた親戚の家を訪ねた様でした
が、歓迎してくれ、子供達も育ってしまい従業員が2名、通い
で店に働きに来ていた様でした。

そこでしばらくブエノスでの疲れを癒していた様ですが、ブラ
ジルのサンパウロにも親戚が居るという事をそこで聞いて、
イグワスの滝見物をして、サンパウロに行くことを決めた様
でした。

彼女はバスでミッショネス州のポサダを経由して、イグワスの
滝見物をしてフォス・ド・イグワスからサンパウロ行きのバス
に乗車したと話していました。

サンパウロのバスターミナルまで親戚が迎えに来ていたの
で迷う事無く、親戚の家に落ち着いて滞在した様でした。
沖縄県人達が沢山住んでいた地域の様で、そこの親戚が
商店を持ち、そこにはカフェー屋も併せて営業していたので、
忙しい時は自分から店に手伝いに出ていた様でした。
結婚前は沖縄では米兵相手の酒場も開いていたので、慣れ
た仕事で、彼女向きの場所であったと感じます。
彼女は若い沖縄美人で背も高く、アメリカ製の衣装を着て
英語も上手に話す彼女は直ぐに人気者になっていた様で
した。
親戚からもブラジルで再婚して、落ち着いて生活したらと
勧められたが、亡くなったご主人の49日の法要があると
言う事でブエノスには飛行機で戻った様でした。

その法要も終わり、心の整理も済むと、彼女が考えた次の
人生の行動はやはりブラジルで肌で感じた自分の性格に
合った仕事で、水商売のカフェー屋か酒場家業でした。

その頃、彼女の元に洗濯屋の権利などの交渉で知り合
った不動産屋が、港近くの良い場所に小さな酒場の権利
を売りに出していると言う事を聞き込んで、見に行くと彼
女が考えていたこじんまりとして落ち着いた雰囲気の酒
場で、彼女は前の経営者が権利を売る値段も手ごろ
で直ぐに気に入り、過去5年ばかりの売り上げの会計記
録も満足の収入と感じて、即契約して購入したと話して
いました。

それも前のオーナーが現金で即金を要求していたので、
彼女に幸運が転がり込んできた様でした。彼女には保険
金もあり、かなりの資産も当時は持っていたので、それ
が彼女が掴んだ運命の歯車の始動だった様でした。

それとブエノスで知り合った呼び寄せ移民の女性達も誘
って直ぐに開店準備をして、日本式の女性が相手する
バーを開いたと話していました。
その一人が同じ沖縄県から来ていた同郷人で、その女
性も沖縄では食べる為に、水商売の経験があったので、
最初から息のあった店開きではなかったかと思います。

ブエノスで彼女が水商売の世界に入ったのも、サンパウ
ロの親戚の店での経験が大きかったと感じます。

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