私の還暦過去帳(493)
パラグワイ国盗り計画(17)
『時期早々ー!』との答えに我々は頭を抱えて考えていました。しかし、情勢は変わりませんので、これからどうするか協議しました。アルゼンチンのミッショネス州に僅かですが昔からの日本人移住者が落ちついていました。
中にはかなりパラグワイからの、昔の転住者がいました。それと婚姻関係でパラグワイから嫁に行った人も居ました。それらの日本人とブエノスに出て来て、パラグワイの将来を思う人達を集めて話しを進めるか、検討することにしました。
これは時間的に、距離的に難しい事です、その当時は汽車でブエノスからパラグワイ国境のポサダの町まで一日掛かり、それからバスで2~3時間は掛かる所ばかりです、話しと言っても電話などない時代、とても通信連絡が出来ません、話しを すれば必ずや理解をしてくれる人も居ました
が、所詮が無理と感じる様になって、当時のブエノス近郊でのパラグワイからの転住者は生活に追われて、かなりの人が時間的な余裕を無くして生活していましたので、両方の日本人と日系人に話しを持って 行くチャンスが無く、ここでも壁に突き当たり、しばらくは我々の頭を冷やして、冷却期間とする事にしました。
要点は一冊のノートに全部まとめて、他の検討資料は全部廃棄してしまいました。残ったのは一冊のノートと、パラグワイの 地図類でした。全てを記載して、その要点が全ての計画を組み立て、実行後のプランも練って記載されていました。その全てを私が預かり保管して、しばらくは夜の集会も中止する事にしました。
丁度その頃でした、ある人から話しが 有りまして、アルゼンチンの北部、サルタ州で農場の支配人の仕事を持って来ましたので、私も心乱れて考え、一度下見がてらサルタ州に行き、帰りにパラグワイに寄って私も現実の確認をする事にしました。
仲間にその事を話して、出発していきました。おそらくそれで、この話しの決着を付けるつもりでした。 ブエノスを出て、汽車で先ずパラグワイの隣りのミッショネス州のポサダまで行き、そこから渡しでエンカルの町に渡りました。
次回に続く、
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