2014年2月18日火曜日

私の還暦過去帳(488)


パラグワイ国盗り計画(12)

反共、親米政策 を掲げていれば、南米諸国では余り摩擦がない平凡な内陸国としして居られ、パラグワイは他国からの経済的な交渉は受けるかもしれないが、それは資本主義の世界、常識の事ですーー。計画は細部に渡り、暇に任して練り上げて組み立てて行きました。

 私達が立案して、細部の検討に入り、仮定として政権を選挙でこれから6~7年の先に取ったとすると、逆算してどの時点でどの様な具体的な設定を築き、、それを訓練又は用意して具体化する行程を詰めました。まったくの卓上計算の想定でした が何か、パラグワイの将来を我々が担うと言う気迫までその頃持っていました。

パラグワイは女性が裏では主導権を握る国です、三国戦争で男が少なくなり、女性に優遇されて、誰かが話していましたが、『甘やかされた~!』などと言う時代も存在し たと感じます、でも当時ストロエスネル将軍の独裁政権下でしたが、独裁と言う感じは世間一般生活では余り感じませんでした。

経済は安定して、外国為替でガラニーの交換比率も悪くは無く、当時アルゼンチンより外国物資の贅沢品が市場に有りました。 ロドリゲス将軍が1982年の、35年の独裁政権打倒が成立するまでは、コロラド党(通称赤党)と言われた政党が53年以上も独裁政権を保持していましたので、1989年の39年ぶりの文民政権誕生までは、選挙での公正さは無かったと言われていました。

私達がパラグワイ選挙の一票を握る女性の政治的啓蒙を考えて若いパラグワイ女性を目に付けていました。日本に研修に送り出す時は、女性を多くと考えていました。その優秀な女性が日本人男性と結ばれれば、これは一番の得策です、住宅や生活 援助を計画して、パラグワイでの振興に関連する農業、軽工業などを、側面的な改革と合わせて、実行していく計画でした。

昔、スペインの南米侵略はインジオ部落を襲撃して、奴隷として沢山の女性を拉致して、一人のスペイン侵略者の男性が短期間に 奴隷とした多数の女性に、150人以上も沢山の子供を産ませてその子供達を家族として、成人した暁に自分の手勢と訓練してまた奥地のインジオ達の領域を、侵略して行った歴史を見れば特に南米の家族主義の連携を考えると、もっと日本人の移住を 日本で啓蒙して、推進することも計画に入れていました。

パラグワイの国盗りはこれが一番と感じ、一番の基本として、土台を固める計画を立て、立案した計画に加えて行きました。若い我々が何も思考的に制約なく、自由な発想で未来を考えていたのではないかと感じました。  

ではまた、次回をお楽しみに!

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