2014年2月6日木曜日

私の還暦過去帳(481)



パラグワイ国盗り計画(5)

パラグワイでの移住地を考える時、当時停滞がすでに始まった移住地の経済を考えると、もし、私達が考えて、立案した国盗り計画を推進したら、一石2鳥の利点が有ると感じました。 戦前の満州国の建設当時、日本人の入植を計る為に東北地方などから多くの、次男三男などの土地を持てない人を集団で移住させ、ロシアとの国境線付近に移住地を展開させて、国防の役目も持たせていました。

しかし当時の軍部は満州の現地住民の土地を ただ同然で取り上げて土地から追い出して、入植地を作ったのでしたが、この様なやり方では成功するはずが無く、終戦時に多くの日本人入植者達が襲われて、悲劇が起きた事が証明しています。当時のパラグワイには沢山の満州からの引上げ者が再び 移住して来た人達が居ました。

詳しく話しを聞く事が出来まして国盗りの本質とは何かーー!と言う根本を感じていました。それはパラグワイ国民を主体に協力と協和を基本に移住地を開き、国民生活の向上を図り、生活基盤の安定とその持続が有れ ば必ず、パラグワイ人と日本人が力合わせて政権を取れると思いました。

まず若い優秀なパラグワイ人を日本に送り、農業や工業の原点を教えて、日本的な技術を収得させ、教育を通じて洗脳的な新しい政治の運営を学ぶ事をさせれば、一番の協力者となると 感じていました。その様な人をリーダーとして、中核として日本人入植地を基地にして、現地で軽工業の建設と農地の大規模開発を合わせて進めれば、多くの現地人の就職も作る事が出来て、基本的な運動となると感じていました。

パラグワイでの国盗りを企画する時、肝心な資金をどうするかが一番の悩みでした。この様な企画をしている、素っ頓狂の若者を当時の政治家や資本家などが資金を出してくれる事は100%無いと思っていました。政治家などは自分の選挙区に予算の分捕 りは汚い手を使っても、人気を維持する為にはあらゆる工作をして、分捕って来ている様でした。

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