2014年2月5日水曜日

私の還暦過去帳(480)


パラグワイ国盗り計画(4)


これがだいたいの粗筋で、これから検討を重ねてプランを練り直し、現実に即応して行動出来る態勢は何かと考えて行きました。 1960年代のパラグワイは貧困の差が激しくて、一部の地主と高級官僚、首都や都市部で事業をしている中産階級の上部がビジネスを独占して、それに当てはまらない階級の差が大きくて貧困レベルにいる多くのパラグワイ人は隣国のアルゼンチンや、ブラジルに出稼ぎに出ていました。

 アルゼンチンのブエノスの首都の工事現場などで働く労働者の一部はパラグワイからの出稼ぎが多くを占めていました。1960年代のキューバの革命いらい、多くの社会主義者の活動が起きて、ボリビアなどはすでに、ゲバラの革命主義者の活動がすでに起きていました。 カストロ政権の目標とする社会主義は、かなり難しくて、ボリビアやパラグワイなどでは、ほんの一部の人間が賛成して耳を貸すぐらいで、革命的社会主義など、否定的な考えの人が多数を占めていました。

それは貧しくても食べる事に困るほどの貧困ではなかったからでした。 キューバの様に砂糖きび産業とアメリカ相手の歓楽観光の大きな2つの産業しか無かった時代、どこかで革命的社会主義が受け入れられた余地があったと思います、パラグワイでの政権交替を考える時、まったく新しい底辺から積み上げて行く、生活改善 と向上がもたらす、社会の裕福な環境を目指せば必ず、広い土地と豊かな肥えた大地で、将来の基盤が出来上がり、新しい政権を支持して、賛同する人々がパラグワイ人の中から多数出てくると感じました。

当時日本が東京オリンピックを開催して、国の 躍進を計り、成功して、国民総資産が倍増して、道路、公共設備鉄道整備、湾口整備などの多くの事業が動いて、日本と言う国が躍進して、向上し、改善され、新しい国に生まれ変わって行きました。当時私達が議論して、目標としたのは、その当時日本が 取った政策でした。そのような政策活動で一つの国が日本と言う国と連携して動く様になれば多きな収穫と感じました。

アルベルト、フジモリ前大統領が、ペルーの国を改善して、向上した事は多くの実績が功績となって一国を動かした事を見れば分ります、実現可能な事などですーー! 
ではまた、次回をお楽しみに!

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