2014年2月2日日曜日

私の還暦過去帳(478)



パラグワイ国盗り計画(2)


パラグワイに行くと、何せ広い事が分ります、点と線の僅かな町と道路が繋がった国です。そこの首都アスンシヨンから1時間半ぐらい車で走った所に、ラ・コルメナと言う移住地を開いたのが初めてでした。そこは第二次大戦で後続の移住者も途切れて 過酷な経済的な困窮で、脱落して今では僅かな日本人が住んで居ますが、そこで育った2世がかなりパラグワイ社会に入っていきました。

中には隣国のアルゼンチンで教育を受けて戦後の日系社会のリーダーとなった人もいます、パラグワイはガラニー族 の原住民とスペイン人の侵略者との混血が大多数を占めていますが、ヨーロッパからの移住者もかなり住んで居ます、ガラニ-族は混血していない純粋なインジオはアジア人の象徴である、蒙古斑点が幼児の時にお尻に有ると言われています。

言葉も日本語に 近い単語が有りまして、私が『雨が降り出したーー!雨雨!』と言ったら、インジオが『あまーー!あまーー!』と言っていたので聞いたら、雨の事でした。同じ様な感じの発音で、驚いた事が有ります。そんな事で、バス停で立ち話をしていたら、驚いた 事にインジオの言葉のガラニー語で話し掛けられた事が有ります、『お前はどこから来た種族かとーー!』そんな経験も有りますのでパラグワイは昔、昔にアジアの国から流れて行った民族が創った国でないかと感じます。

そんな感じで仲間が話していく内に、 誰かがここを日本人に第二の郷にしたらと言う話を切り出しました。『そだ、そだーー!』と酔った勢いで話しが進み始め、まず地図と図面を用意して来ました。かなり詳しいパラグワイの政治と軍隊の構造を記した本も買ってきて、まずその勉強会から 手始めに始め、だんだんと面白くなって来ました。そんな事で調べると興味から、実行計画にまで立案してみたら、と言う事になり、夜になると集まって話をして、検討したプランを組み立て、壊して、ますます面白くなって来ました。

 パラグワイは余り知られていませんが世界で一番物価が安い都市です、アスンシオンの首都は昨年に続いて、今年も世界で一番物価の安い、住みやすい所と認められています、そんな国ですが、50年前はもっとのんびりとした雰囲気が有り、日本からの移住者 が当時の世界情勢を見て、激動する国際社会の力関係を移住した国と照らし合わせて、余りの隙の有る内陸国の政治とその社会を肌で感じて、一つ国盗りの計画を立ててみたらと言う気持ちになつたと感じます。

内陸国ですから、海軍などは有りませんので、 当時のパラグワイの軍備は戦車が第二次大戦で使用された旧式なアメリカの余剰軍備品のタンクを僅かに所持していたぐらいで、軍の歩兵が使用していたライフルもこれまた第二次大戦の払い下げ品でした。当時、自衛隊も同じ装備でしたので、訓練を受けた 自衛隊出身の移住者がそれを見て、だいたいのパラグワイ軍の火力の推定をしていました。
答えは『自衛隊と比較にならないほど小規模なパラグワイ軍の火力だーー!』と答えを出していました。その当時、旧日本軍の実戦経験の有る、有能な下士官が沢山就職 して、自衛隊の中核を作っていたからでした。立案した原案を彼が見せてくれ、議論が始まりました。だんだんと興味と関心が湧いてきて、毎夜遅くまで話していました。 
ではまた、次回をお楽しみに!  

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