2014年1月10日金曜日

私の還暦過去帳(468)


昔の夏の思い出、

夏になると子供の頃の田舎の様子を思い出します。
そろそろ60年も前の事です。

その頃は冷蔵庫もなく、氷で冷やす冷蔵庫はありましたが、まず氷を買
って来なくてはなりませんでした。
その氷を時にはかち割り氷にして、梅酒などに入れて飲んでいました。

冷えない冷蔵庫で、僅かな生鮮食品しか保存できませんでした。
スイカなどは井戸水に入れて冷やしていましたが、程よく冷えて美味しく
頂いていました。サイダーやラムネなどもバケツに入れて井戸に吊るして
いました。

その当時、カキ氷という氷の上の糖蜜や練乳を掛けてイチゴ味や中に小
豆の甘い餡子が入った物もありました。
アイスキャンデーもありましたが、そんな物が夏の子供達の大好きな物で
した。
夕方になると日が落ちると、庭に打ち水をして縁側に蚊取り線香などを置
いて涼んでいたものでした。
その当時はテレビも出始めの白・黒の画面も小さいもので、プロレスの試
合などがあると、わざわざ近所のテレビがある家に見せて貰いに行きまし
たが、まだまだラジオが全盛の時代でした。

当時はまだ素人喉自慢大会がNHKで日曜日の午後から放送されていま
したので、子供の頃でしたが良く聞いたものでした。
それからしたら、今ではテレビも薄型の軽くて壁掛けのテレビなども普通
になり、暑い日はクーラーの効いた部屋でテレビを見ている人が当たり前
となり、世の中が変化した事を実感致します。

その当時は夏の夜長を近所の古老が日清戦争や日露戦争の話や、太平
洋戦線の戦場などの苦労話や、悲惨なインパール作戦での撤退する時の
様子などを聞いたものでした。
その当時の状況ではその様な話は、夏の何処にでもある縁台語り部の話
でした。
日清、日露戦争の話をしてくれた人は当時でもかなりの高齢で、ロシア軍
にに銃剣突撃をして、もう少しで、ロシア軍の陣地と言う時に、機関銃で掃
射され、その恐ろしさは肝がちじむ様な感じだった話してくれました。

機関銃の弾が切れ、戦場に砲声の音も途切れ、僅かな静寂がある時に、
負傷者のうめき声が聞こえていたと話していました。
子供心に戦場の恐ろしさと、何か知らないが背筋が冷える恐怖を感じたも
のです。
今では縁台に座り、近所の年寄りから昔話しや、郷里の故事なども聞く事
も無くなりましたが、大牟田市にあった三池炭鉱の明治時代の炭鉱では、
囚人を使い採炭していた時の様子等も友人宅に泊まりにいき、そこの老人
から聞きましたが、獄舎から脱走して、地下トンネルを抜ける時に、方角を
間違い発見されて捕まった時は指の先の骨が出るほど指先で穴を掘って
いたと聞きました。
そこの近所の老婆から、稲藁で草鞋の作り方を学びながら、田原坂の激
戦で、応援の政府官軍がこの前の道を隊列を作り、玉名方面に歩いて行
ったと聞かされて、後で砂利道の田舎道路をしげしげと眺めた事があります。
軒先に下げておいた草鞋を官軍兵士が全部買っていったと話していました。

その老婆がくず米を石臼で挽き、団子を作ってくれ、黒砂糖を溶かして作っ
た糖蜜を、団子に掛けて食べさせてくれた事は今でも思い出します。

夏休みの出来事は60年も経ても思い出す出来事が沢山あります。
従姉弟の家に遊びに行き、そこの祖母が熊本城頭首、細川家に若い頃に
行儀見習いに奉公に出て、殿様が家来を連れて白川に、毎日の様に釣り
に出ていた様子を話してくれましたが、その当時でも85歳程の年齢でした。
明治初期の話を聞けた事は、今では懐かしく、貴重な話だったと思います。

私が住んでいた近くに戦時中にマレーシア半島で対英防諜の活動をしてい
た人から、特務員としてスパイ活動の様子を皆で聞いた事もあります。
今では殆どの人が亡くなられたと思いますが、夏休みの夜長の良い体験話
でした。
当時は暑い夜などは、井戸水をたらいに入れて行水をしてから、寝ゴザと
いう、い草で作ったマットをひいて寝たものです。ひんやりとして暑い夜など
はお腹にタオルケットを掛けて寝ていました。

私の実家が九州の福岡県でしたので、夏の暑い日には朝起きて寝るまで
パンツ一枚で過ごして居た事があります。真っ黒に日焼けして、それこそ日
焼け色大会などと言う夏の町内会のコンテストもあり、ラジオ体操も夏休み
の重要な行事でした。

夏休みの間を皆勤して体操に行くと、終わりには文房具などが、ご褒美に
貰う事が出来ました。その頃の町内会の活動は賑やかで、海水浴に町内で
行き、スイカ割りなどや、砂浜でパン食い競争なども開かれていました。

それだけ娯楽が少なく、町内会でまとまっていたと思います。
今ではその様な事も少なく成ったと聞きましたが、時代が変化して、大きく
世の中が変わったからだと思います。

今では何処の家でも、冷蔵庫にクーラーや洗濯機などの家電が揃い、テレ
ビなどは一軒に2台や3台もある家はざらです、子供達は涼しい室内でテレ
ビゲームなどをして遊び、昔の様に野山を駆け回り、バッタを捕まえて、砂糖
醤油に浸して焼き鳥の様にして食べたり、タニシやシジミをバケツ一杯も採
って来て、塩茹でにしてたらふく食べたりする様な事は、今の子供達には無
くなったと思います。

私達の夏の思いでは今では遠い昔話の様になりましたが、終戦直後の物が
無い、食料も不足の時代でしたので、何でも口に入れて食べていたと思います。

今でもサツマイモを見ると、川に泳ぎに行った帰りに、近所の芋畑で、お腹が
空いて芋畑の畝の間の土の中に手を入れて、丁度大きなサイズの芋を取り
出して、生で食べながら帰って来た事を思い出します。

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