2013年12月28日土曜日

私の還暦過去帳(463)

電話の変遷、

私の家の電話は、掛かって来た電話の相手の名前を音声で言います。
先日も2ヶ月前頃から、何度も電話会社の宣伝の電話が来ていました
が、音声で言うので、勧誘の電話ですから出ないでそのままにしてい
ます。
通称、コールIDとか言いますが、ナンバーも表示されますので、これ
も誰から掛かって来たかと直ぐに分かりますので、これも便利です。

その掛かって来た電話の音声も微妙に違うので、今では携帯電話か
らとか、スカイプ利用で掛かって来たとか音声で教えてくれますが、同
じ携帯電話でも私の子供から掛かってくる電話の音声の変化が今で
は分かりますので、それで便利に使いこなしています。

何んと言っても一番ありがたいのは、私が契約している会社は、どれ
だけ通話してもアメリカ中は一律金額で同じ料金には、昔を考えると
本当に便利になったと感じます。

パソコンで使うデジタル通信のスカイプはこれはビデオ画像を見なが
ら話す事が出来ますので、昔のテレビ電話よりもっと便利で簡単で
格安だと思います。

かれこれ4年ほど前ですが、旅先のペルーのプーノという町で、宿で
カリフォルニア州に居る娘とスカイプで話していましたが、ベッドに寝
ころがって、画像を見ながらそれもスカイプ同士で無料で長々と話し
ていました。

この時、つくずく便利になったナーと感じていました。それと同じ様に、
パラグワイでも、アルゼンチンでも何処でもスカイプで話す事が出来
ましたが、ペルーを旅した時に、マチュピチュ遺跡訪問の時に、アグ
ワカリエンテの町で滞在していた時にはインターネット回線が遅くて
スカイプが出来なかった事があります。

それはチバイ峡谷を訪ねた時にも、そこの町もインターネット回線が
遅く普通のメールは送る事が出来るのですが、画像通信などは無理
でした。それにしても世界が狭くなったと思います。

50年も前ですが、東京からパラグワイの首都に電報を打った所が、
当時のサラリーマン給料の半月分が吹き飛んだ感じでした。当時の
電話はアナグロで雑音とエコーで中々聞き取りにくい、話も途切れ
る電話通信でした。

急用でも手紙などは航空便で20日ばかりも掛かり、奥地の移住地
などは40日も掛かって来る事もありました。

36年ほど前にアマゾン河の河口にあるべレムの町の郊外から、
日本に電話した事がありますが、小さな電話局に行き、掛ける相手
の番号を書いて、保証金を先払いしてから、小さなボックスに座って
待っていると、お話下さいと言う事で、通話開始でしたが、3分程度
で20ドル程度払った覚えがあります。

保証金を払うのは、通話が終ってから、金が無いという人が居るか
らだと聞いて驚いていました。

先日も用事があってパラグワイのイグワス移住地に住んでいる方
に、電子メールを送ったら瞬時でメールが送れて、直ぐに返事が来
ていました。
本当に地球の裏側となりますが、何んと便利な世の中になったかと
感じていました。

現在、私の家はケーブルが来て、テレビ、定額料金電話、高速イン
ターネットなど、全部一本のケーブルで賄われているのですから、
何か凄いと感じる事があります。

また請求書も1枚で来ますが、それもインターネット・バンキングで
瞬時で口座から送っていますが、昔からしたら雲泥の差と感じてい
ます。
今日も天気が良くて春の植え付け準備の外仕事で、裏の畑に居ま
したが、音声で誰から掛かって来たか、スピーカーが教えてくれま
した。
それは近頃良くかかってくる、宣伝のコマーシャルでした。

私も窓を開けていましたので外でもよく聞こえていましたので、
『用事があれば何か言え・・!』とか言って知らんふりでした。

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