2013年12月18日水曜日

私の還暦過去帳(458)


ヒスパニック系の生活力、

私もアメリカに来て、かなりのヒスパニック系を雇用いたしました。

総括すると、生活力が旺盛でタフです。
メキシコ系、(ユカタン半島から来たマヤ系の原住民系)グアテマラ系、
ニカラグワ系、アルゼンチン系などでしたが、一番使えない人間はア
ルゼンチン人でした。

同じスペイン語を話しても働かない人種だと感じたのは、アルゼンチ
ン軍政の迫害から 逃げて来ていた男でしたが、本国では非合法組合
運動をして政府から睨まれていたと思います。
口だけで何とか理屈を付けて働かない事を画策していたと思います
が、私が48年前に 見たペロニスタの様に労働運動で甘い汁を吸って
いた、やからだと感じていました。

生活保護を受けているようで、現金で給料をくれとか言いましたので、
即日解雇しました。 その様なヒスパニックと対照的な働き者は、ユカ
タン半島から来ていたマヤ族の血を引く小柄なメキシコ人でしたが、
これには感心するぐらい仕事をすると思いました。

よく仕事をしてくれたので、仕事が終わり帰りにビールでも飲みな・・と
言って時々、20ドル札を渡していました。

トウモロコシの植え付け時期になるとメキシコにバスで帰郷していま
したが、何時間 掛かるか分からない長旅ですが、また来るから雇っ
てくれと言っていました。

郷里の田舎では一日働いても4ドルぐらいで、少し良く働いても10ド
ルもならないと 話していました。
ランチの弁当は豆とひき肉が入ったブリートという彼等の定番のラン
チでしたが辛い胡椒のハラピーニョ(青唐辛子)をポケットから出して
それをかじっていたのには 驚きました。

アメリカでは色々な国籍の人種が移民としてカリフォルニア州に来ま
すが、やはり一番はヒスパニック系です。ベトナム系、カンボジア系、
韓国系なども雇用しましたがほんの短い期間でした。

私がスペイン語を話すので、良く電話が掛かってきては仕事がないか
聞いていました。 雑用の手間仕事か、レントハウスの修理やかたず
けでしたが、貴重な働き手でヒスパニック達には助けられました。

長い付き合いは20年近くも時々仕事で来るグアテマラ人もいます。
ペイント塗りが主ですが、レントハウスでテナントが出た後に模様替え
するペイント塗りなどに彼は活躍しています。

仕事が長く無い時は、わざわざ訪ねて来て仕事を欲しがる時は、お客
に電話したり私の仕事を早目に繰り上げて与えていました。

私もアメリカに38年も住んでいると、すっかりこの人種のルツボには
まっています。

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