2013年11月23日土曜日

私の還暦過去帳(449)

これまでの私の愛犬の話し・・・、

今日は少し冷えていました。
晴天でしたが風が冷たく、気温も低めでした。

いつもの散歩して朝食が終わると今日は畑のトマトの芽かきと、キユーリの
支柱などを立てていました。
休み時間にふと表に出てみると、犬を連れた老人が歩いていました。
家の前の歩道を毎日定期的に散歩に来る人が、3組ばかり居ますが、可愛
い犬も居ますし、大型犬でベビーカーを押しながら、犬を連れて走っている
女性もいます。

私が自分で犬を飼い始めたのは、小学三年生の頃でした。
当時は戦後間も無くて、専用のドック・フードなどは皆無で、殆どが家族の残
りご飯などを与えていた時代でした。

小学校の給食もその頃には始まり、アメリカ政府の余剰農産物のララ物資
が給食に回って来ていた様です。 コッペパンにマーガリンかジャムが付いて、
それに脱脂粉ミルクが付いていま した。それにドライ・フルーツや、缶フード
のハムやスパームなども出ていましたが、殆どの給食の食べ物はアメリカ政
府からの援助物資だったようです。

犬を飼いだして、給食のおばさんが友達のお母さんでしたので、良く帰りに
残り物のパンや、子供の食べ残しの残飯なども貰い、持ち帰っていました。

育ち盛りの子犬ですから良く食べて、いつもアルミの皿がカラカラと音を立
てるくらいに食べてしまい、もっと欲しそうな顔で私を見ていましたので、残
り物があった時は急いで帰宅していました。
それを犬に食べさせてから、犬を連れて裏の河の土手道を歩くのが好きで
した。 そこにはウズラや時には鴨も飛び出す事もありました。
犬は縁側の下に藁を敷いてそこの上にボロの毛布を広げてやり、犬小屋と
していました。
私が縁側に行くと直ぐに飛び出して来て、尻尾を振って散歩に行こうと誘っ
ていました。

賢い犬で、人の足音で誰かと分かり、良い番犬にもなっていました。
私がカバンを背負って走って学校から帰って来ると、遠くから吠えて大騒ぎ
で待っていました。
カバンを放り出して、トイレに犬を連れて土手に行き、放してやると喜んで
草叢を走り回っていました。そんな元気な犬でしたが、ある日、鎖から放し
たらしばらく帰ってこなく、夕方帰って来ました。

父が帰宅していつもの犬の歓迎が無いので、父が見に行くと何か吐いてぐ
ったりとして居るようでした。縁側の下でおとなしくしていたので、余り気も掛
けずに寝ましたが翌日です、父がポチが死んでいると教えてくれました。

私は朝食も食べずに悲しくて大泣きしていたようです。

すでに犬は冷たく硬直していました。父は犬小屋に敷いていた毛布で包む
と私を促して裏の土手の空き地にシャベルで穴を掘るとポチを横たえて埋
葬しました。母も小さなお握りを作り、お線香と庭の花を添えてポチの側に
置き、父が短く読経をして土を被せてしまいました。
私はその間、ずっと泣いていたようです。

それからはアメリカに来るまで犬を飼った事はありませんが、アメリカに来
て2匹の犬を子供達の為に飼いましたが、それも16年ほど生きて犬達は
前後して亡くなりました。

今では良く旅行に出ますので生き物は飼えませんが、何処にも出歩く事も
なくなって家に居るようになったら、また愛犬を飼うつもりでいます。

近所のお馴染みさんの犬ですが、尻尾をちぎれる様に振って、挨拶する姿
はいつも可愛いなー!と感じます。

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