2013年11月3日日曜日

私の還暦過去帳(441)

 母の誕生日

私の母は今年で98歳になりました。元気ですが今では記憶も薄れて電話
での会話は無理になりましたが、3年ほど前の95歳頃は会話が成り立っ
ていました。
お祝いの電話をすると、息子の名前を思い出せず口の中で、もごもごと
何か言っていました。
耳はかなり遠くなり、大きな声ではっきりと言わないと聞こえないようでした。
でも母の声を聞くと、懐かしさがこの歳でもこみ上げてきます。

また日本に訪ねて行くからね・・、と言うと、いつ来るのかと聞いていました。
なるべく早く行くから、と言うと、待っているからね・・、と言ってくれました。

側に居る人にアメリカに居る息子だと教えている声が聞こえていました。
また電話するからと言うと、待っているよと言って電話を切りましたが、何
かホッとする気持ちになりました。

太平洋を挟んで鮮明に聞こえる電話の声に昔の事を考えると、今昔の思
いが致します。
昔は雑音とエコーに響くアナログで現在のデジタル通信の鮮明さを考え
ると雲泥の差で、それと格安な電話代で、これも昔を考えるとタダ同然に
感じます。

パソコンでスカイプを使い、画像のビデオ画面を見ながら話すことが出来
る時代で、何か夢のように感じますが、これも時代の進歩に感謝をする
気持ちです。

そろそろ47年目ですがアルゼンチンのサルタ州で農業をしていた時に、
テープレコーダーのテープを日本から送って来た事があります。
電話が無いので、母がテープに録音して声の便りを送ってくれたのです。

再生する機械が無いので誰か持っていないか、小さな町で探しました。
農産物仲買のオーナーが、テープレコーダーを持っているという事を聞
き込んでテープを再生して母の声を聞いた事があります。

家の中庭のテーブルの上に置かれたテープレコーダーが回り、リールの
テープが回転してテープの少し音質の悪い声で母の声が聞こえて来た時
は、心の中でジーンとする感激がありました。

当時、ブエノスまで長距離電話を掛けると、かなりの料金を取られていま
した。音質も悪く、嵐の後など2~3日は繋がらない時もありました。
大抵のブエノス市場との野菜相場情報は電報でやり取りしていました。
その当時、電話を持っているのは町の役場と大きな商店だけでした。

テープレコーダーも農産物仲買のオーナーが持っているだけで、夫妻も
側で私を見て、黙って私を見守っていました。
何を話しているかは分らないが、母が私に語りかける声は誰が聞いても
感激する声でした。父の声もテープには録音されていましたが、それは
手短く身体には注意するようにと言う事だけでした。

あの時からしたら、回りに居た人は全て亡くなり、私も古希の年齢になり、
そのお祝いも済んで、私の母だけが元気で生きています。

3年前に昔、私が住んでいたアルゼンチンのサルタ州、エンバルカショ
ンの町を訪ねた時に、街の様子から様変わりして、そこの仲買の倉庫も
跡形も無くなり、農場からトラックで出て来た道も、新しく町の外に建設
された国道の工事で、何処にあるのかも分かりませんでした。

町外れの墓地を訪ねると、狭い墓地の中に昔の知り合い達があそこに
も、ここにもと眠っていました。
全てが過去に消えて、ただ墓地に埋もれているという感じでした。

人はこの世に生まれて来たら、いつかは御世の国に戻らなければなり
ませんが、ただそれが早いか、遅いかの違いと思いますが、この宇宙
の時間からしたら、ほんの一秒の時間と思います。

ペルーのコルカ峡谷を訪ねた時に、4920mの峠を越える時にその頂
上で見た、濃紺の空が、47年前のサルタ州で見た空と同じ色を感じて
一瞬恍惚の思いが胸を過ぎ去る感じが致しました。

ふと・・、今でも目をつぶり、あの空の色を思い出すと、皆があの空の
濃紺の色の彼方に消えて、天上の何処かに居ると思う事があります。

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