2013年10月28日月曜日

私の還暦過去帳(439)

去り行く者の哀歌、

私も古希の年齢も過ぎて、これまでに人生ですれ違って、またお会い
して、去って行かれた方々の思い出を考える事があります。

引退して時間的に過去を振り返る余裕が出来たからかもしれませんが、
これまでに思い出して、あの方の人生は何だったか・・、と言う様な人
も居ます。

人の命は金銭には代えられません、また新しく作りなおすと言うことも
出来ませんが、自分の人生街道を突き走り、過去を振り返る事もなく、
タダひたすらに自分の今と言う時点を生きて、そして死んでいった方は
幸せかも知れませんが、残された家族や親兄弟達の虚しさはいかほ
どかと感じます。

清貧に生きて、後わずかと言う時に、日本から七名の兄姉妹達がカリ
フォルニア州まで別れに来ていた家族を覚えていますが、人生の豊か
さは誰にも勝る大きさだったと思います。

人は生まれて来て、この世に生命を受けて生きる道行は、山あり谷あ
り、険しいイバラの道中かも知れませんが、人生の別れを覚悟して少
し元気な時に、友人、知人達を呼んでお別れパーテイをして、最後の
別れの乾杯の前に、感謝のメッセージを読んでくれたのを思い出します。

友達の名前を一人ずつ呼んで、あの時の仕事は大いに助かった、親
切な事を沢山してもらったなどと、一人ずつ顔を見ながら言葉を掛ける
姿に、ジーンとして、涙が出た覚えがあります。

人はそれぞれ、人生もそれぞれ、生き方もそれぞれ・・、仕事の激務
をこなして、タバコを一日2箱も吸うような生活をして、ストレスに追い
回され、叩きのめされて、休日はひたすら寝るだけの生活をする人生
で、夫婦生活もすれ違いの多い環境で、子供も居なく、人生時計が故

障したある夜、激痛で救急車で病院に担ぎ込まれて、そこで分った事は
末期のすい臓ガンと言う事で、病院からあと3ヶ月の余命と宣告され、
自宅に帰り、本当に一日も違わず3ヶ月目に自宅で亡くなられましたが、
その方の人生は何であったか・・、と感じます。

タバコのニコチンで黄色くなった指先を隠す様にして、握手して別れた
最後を思い出します。

47年前の南米で農業をしていた時代に、時々農場で働く息子を訪ね
て来ていた父親でしたが、ある日農場で働いている息子から、農場の
売店で購入した色々の食料品を町に用事で出て行く私に託していました
が、父親が体調不良で家に居ると話していました。

ベルメッホ河の畔に小屋があり、チヤワンコ族のインジオでしたが、釣
り船も岸に上げられていました。彼等は岸辺で農業をして、魚釣りの漁
師達です。
ボリビア側の上流で大雨が降ると、激流が流れて来ますので漁に出な
いので、釣り船も岸で休んでいました。
父親はマテ茶のボンベを手に、河面を見て涼風に吹かれていましたが、
昔見た面影はなく、やせ細って、その時はコカの葉を噛んでいました。
何処か痛むと話していましたが、コカを噛むと痛みが緩むと言っていまし
た。
父親が農場を訪ねて来た時に、よく竹笛を吹いて聞かせてくれたので、
私も酒を手に聞きに行った事がありました。農場から息子に委託されて
持って来た食料を渡して帰ろうとすると、座れと言って、コカを噛んでい
た口を水でゆすぐと、竹笛を取り出すと、昔と同じメロデーの曲を聞か
せてくれました。

彼が竹笛を吹いている時に頬に涙が流れているのを見ました。
広い河面に消えて行く音が何か・・、人生の流れが消えて行く様な感じを
受けました。

小屋の周りにはトウモロコシがたわわに実り、カボチャも小屋の横に積
み上げられていました。庭には親鳥のニワトリがヒヨコを連れて歩き、
犬が木陰で寝そべっていました。
しばらくして農場で同じメロデーの曲が月夜の空に流れるので訪ねると、
その息子が竹笛を吹いていました。聞くと父親が亡くなったと教えてくれ
ました。

そして父親は良い人生を歩いて、神のもとに旅発ったと話してくれました。

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