2013年10月18日金曜日

私の還暦過去帳(435)

 時は巡り、また去り行く・・、

私の年齢の多くは戦前から、戦後に掛けて幼少の時代を過ごして来ま
した。また時代の変遷とその区切り目を見たと思います。

日本が復興して、戦前より増して繁栄して世相が華美と虚勢と、日本人
の心の変化と体質まで変わってしまったと思います。

私の小学生時代、中学生の頃までは先生達も戦前の教育を受けて来て、
戦時中は兵役で従軍して、戦場を生死の狭間で戦って来た先生も居ました。

中学生時代の先生の一人が印パール作戦従軍の先生でした。
時々、ポロリと戦場の体験を漏らす時がありましたが、戦場から撤退する
時の過酷な、生きると言う、命繋ぐ食べ物の話でした。

弁当など、少しでも残すと、『バチが当たると・・』怒られていました。
一口の米も口に入れることが出来なく、雑草を茹でて食べたと先生が話
していましたが、餓死していった戦友達を思って、先生は涙声で私達に食べ
物の大切さを教えてくれました。教室中が、シーンとして聞いていました。

当時の中学校では給食はなく、弁当を持って来ていました。
まだ貧困時代の日本で、昼の弁当時間に弁当も無く学校裏の林に消えて
行く子供も居ました。先生は家から持って来たサツマイモを手に、その子供
を捜しに行っていました。
当時は麦飯と言う押麦が混ぜられたご飯でした。時にはサツマイモが食べ
られる時期はご飯の中に、栗の様にお芋が混ざっていました。
おやつには良く蒸かしたサツマイモがお袋が作ってくれ、また良く食べました。
ホクホクとした栗イモが出ると、単純に嬉しかった思い出があります。

今の世は好きな物は何でも買え、また食べることが出来ます。各国の食べ
物が溢れていて、金さえ出せば、それこそ何でも食べる事が出来ます。
その当時はまだ米の配給制度が残り、食堂でも米を持って行く時代もあり、
それでご飯と交換した時代もありました。

当時私達が中学生時代に、うどん屋が10円素ウドンと言うウドンを出して
いました。友達と10円を握り締めて食べに行きましたが、昆布ダシで、青
ネギが少しウドンの上にパラパラと載っているだけの素ウドンでした。

それも直ぐにそのウドンは無くなりましたが、インフレに値段が追い着かな
かったと思いいます。
私達の年齢はその様な時代を経て来たので、『もったいない・・』とか『あり
がたい』と言う言葉の中には、それ相当の自分が肌で体験して、心に刻み、
学んだ事も沢山あると思います。

今年もまた8月15日の終戦記念日が廻って来ます。
戦場で生き残り、8月15日を迎えて復員してきた人達が、戦場の戦いで、
怪我で、病気で、食料が無く餓死した人達を思い、ご馳走の供え物をして、
近所のお寺で供養をしていたのを思い出します。

時は過ぎ、全てが忘れ去られ、その様な話をするだけで、軍国主義とか、
嫌な顔をされる世代になり、祖国日本の礎になり、亡くなられた方々を弔う
様な教育も必要ではないかと考えるこの頃です。

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