2013年9月20日金曜日

私の還暦過去帳(425)


 春きたれば・・、

春になると思い出す事は田舎の九州、福岡の春、南米の日本と正反対
の春、アメリカの北カリフォルニア州の春、各地の思い出があります。

我が郷里の福岡の八女市の実家に春先墓参りに行く時、行く先々で八
女茶の新茶を作る甘い香りが村中にしていました。私が好きな八女の
深蒸し茶の独特の香りです。

実家に行き、出される新茶の香りとその味の深さを子供ながら感心して
飲んでいました。父は帰りに近くの製茶工場に寄り、いくつかの茶の包
みを買うのが決まりでした。

製茶工場で玉露といわれるお茶を出されて、父が美味そうにお代りをし
てお茶を飲んでいた姿を今でも思い出します。
春先、終戦後まだ爆撃で崩れ落ちた飛行場の格納庫の横を近道で、
父と共にひばりの鳴き声を聞きながら歩いた事も覚えています。

沖縄にそこの飛行場からも特攻機が出撃したので、艦載機の襲撃で破
壊し尽され赤錆の鉄骨が無残でした。ポツポツと飛行場跡地に菜の花が
奇麗に咲いていて無心に鳴くひばりの声が、何処までも続くお茶畑の中
に、のんびりと響いていた事を覚えています。
南米でもアルゼンチン北部のボリビア国境地帯の南回帰線内側の亜
熱帯地方の春、またブエノス州の春、全てが季節の香りと、その陽気ま
で違っていました。

47年前のブエノス郊外、田園地帯の春は見事でした。
当時はまだ植林がされていなくて、パンパの大草原が広がっていました
が、牧場の邸宅の廻りに風除けの並木や防風林があるくらいでした。

麦畑の芽が出たばかりの、まるで絨毯を広げた様な一面の麦の青葉が、
そよぐ風にきらめくばかりの色が揺れている様は見事のひと声でした。

所々に黄色の菜種の花が咲いて趣を添えていましたが、鳥の鳴き声を
微かに聞いて、地平線に消えるような真っ直ぐな田舎の土道を車で走っ
ていると、その豊かさと広さを実感したものでした。

現在私が住んでいるサンフランシスコ郊外の田園地帯も、30年ほど前
は20分も車で走ると、広大なマスタードの黄色の花が咲き乱れ、昔の
駅馬車道の両脇に錆びた鉄条網の牧場のフェンスが青草に埋もれてい
ました。

まだ当時は日本人の一世達が生きていた時代で、郊外にはまだ日系人
の農家も沢山あり、主に近郊農業と、果樹栽培をしていました。
春にサクランボや白桃が収穫の頃にはハガキが来て、自分の家族と収
穫できる時期を知らせてきました。
ハガキが来るのが途絶えて、2年ほど前に、その場所を春先にカリフォ
ルニア桜と言われる、アーモンドの花を見に行ったら、全てが宅地に造
成されていました。

その方達の農場は跡形もなく消えて、色鮮やかな新築住宅が並んでい
ました。それは将来、そこにサンフランシスコから通勤電車が来る計画
が分かっているからです。
35年前に、最初に来た時からしたら小さな町が驚くほどに大きくなり、
ショッピング・センターが何ヶ所も出来て、交通量も道路拡張するほど増
えていました。昔のアーモンドの花が咲いていた、のどかな春の風景は
何処にもありません。

チエリーのサクランボの木も、我々日本人が喜んで家族で摘みに行った
白桃の農場も全て消えていました。変わらないのは吹き抜けて行く冷た
い春風です。

昔の一世が道端で開いていた野菜の特売所の古い看板だけが、うち捨
てられて残っていました。
吹き抜ける春風は時代を経ても、時代が激変しても、今も昔も同じ様に
サクラメント河からスタクトン方面に吹き抜けて行く風が、身体に感じま
した。

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