2013年8月30日金曜日

私の還暦過去帳(416)


歴史は捏造できない。

陸軍士官学校出のアサヒビール名誉顧問中條高徳氏は、世界の歴史
学者が説く 民族の滅びる三原則というのを常々説いておいでになります。

1、理想(夢)を失った民族は滅びる。
2、すべての価値を利でとらえ心の価値を見失った民族は滅びる。
3、自国の歴史を忘れた民族は滅びる。

現在では戦火に散り、苦難を受けた先人達の歴史までも否定する日本
人が多くなった。

たとえ宗教感が違えども、主義主張が違えども、日本国、日本国民を
思って戦場で 親から貰った、ただ一つの命を投げ出された方々を、いと
も軽く否定と戦争は悪だと

いう自己観念からか、権力と言う政権を握る官僚達の中にも、国歌、
国旗まで否定しながら、自己権力に酔い、またかぶれ、日本の国体と
言う将来の若い子供達の為の政策さえ忘れている、それは何故か?

戦争が無ければ、平和か?

平和であれば他の事に目をつぶり、耳を塞ぎ、口を閉めてからの日本
の平和論がまかり 通り、戦争と平和の両極端の狭間には目もくれない人
が多い、平和の質はいかなるものか?

戦争がなくても自国に食料も無い飢餓の平和か?
奴隷の平和か?、
抑圧された平和か?
腐敗と不正の政治的平和か?
いかなる思考で平和の基準を作るのか?
戦争が無ければ平和か?

スイスは永久中立の平和を唱える国ながら、国民皆兵、化学兵器、
核戦争まで想定した 軍事訓練を行い、常時武器は自分が住む街中に
備蓄され、小銃や身近な武器は自宅に 備えるという事までしている。

時計の振り子の様に、ブレが一定では無い両極端の傾き加減で、全てが
一億総懺悔 とかの言葉まで作り、人が言う土下座外交や、貢啓外交とか
言われる事までしているが、 果してその事が日本と日本国民に幸せを作り、
平和を維持できるかといえば、疑問である。

隣国では日本を叩き、蔑視して、難問を押し付けてそれが答えられない、
出来ない事での優越感での国内世論のコントロールを隣国はしているが、
それにまんまとハマリ、落ちて時代の歴史観、歴史の湾曲まで日本政府は
している。

そして、それを受け入れ様としていることを考えると、日本人の誇りや、
精神的な尊厳は これからどうなるか?

中国、北朝鮮、韓国も長距離ミサイルを所持して、国民皆兵で、徴兵組
織を維持している。
しかし日本は全てを骨抜きにされ、精神的なバックボーンも専横的な社会
主義的考えの 教育者集団に乗っ取られて、未来を担う日本の子供達でさえ
危うくなって来た。

少子化と高齢化、食料自給率は近代社会では最低の率で、エネルギー
自給率はゼロに 近い、これを全て加味して策を練ると、最後の切り札は
教育改革しかないとカードが出ている。

果してこれを見過ごす事は日本人の誇りを捨てると同じと感じます。

貴方はいかなる考えをお持ちですか?

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