2013年8月20日火曜日

私の還暦過去帳(410)

私の嫌悪感

この歳になると、ふと昔の事を思い出す事が有ります。

他愛ない事ですが、サッカープレーを見ない、しない、応援しない、という
事を守っていますが、それはアルゼンチン時代の農場で散々サッカー試
合と言う事で農場の収穫期に労務者達が仕事を放棄して、勝っても負け
ても大騒ぎして酒を飲み、仕事をさせるのに苦労したからです。

支配人職でしたが、散々いじめられた様なもので、いまだにサッカーの
テレビ試合などがあると、嫌悪感でプチンと切ってしまいます。それとい
うのも、労務者達を探しにトラックで街中を走り周り、輸送できない熟れ
すぎたトマトをトラックで捨てた思いがこみ上げて来るからです。

ゴルフも今まで一度もプレーした事がありません、それはパナマに立ち
寄った移民船が港に補給で停泊した時に町に出て、ふと見たアメリカ人
区域の緑の芝が凄く奇麗で、中にあるゴルフ場とマッチしてため息が出
そうでした。

その近くのパナマ現地人の住宅は錆びたトタン屋根の粗末な住宅です。
そんな状態を見ていたので、アメリカ人居住区のフエンスに寄りかかっ
てゴルフ場を眺めている、ボロ服を着た黒人の幼い子供が目に焼きつ
いてしまいました。

私も若かった時代です、ゴルフをプレーする白人達はまるで、そんな観
客などまったく眼中になく、無視したというより、わざとそのプレーを誇示
する様にしていました。
私の心にはキューンと何か走る物があり、その光景が焼きついてしまい
ました。それが心に深く残り、私のトラウマとなり、ゴルフと言うスポーツ
に対して拒否の心理が出来上がっていました。

昔、お世話をした人から主人が亡くなったので、貴方にこの主人の遺品
の英国製のゴルフ道具を使ってくれと頂きましたが、直ぐに友人に譲っ
てしまいました。
そんな事で、今までにゴルフは一度もプレーした事がありません。

私は一日過ぎた握り寿司は絶対に食べません、ワイフが美味しいから
食べてと勧めますが、それでも食べません。
それはアルゼンチン時代に魚の新鮮な物を手に入れる事が出来なくて、
ブエノスの町に出た時に買って来た鮮魚を下ろして、刺身とそれを使い
寿司を作りました。

友人達はワインを開けて刺身で一杯飲んでいました。
勿論、私も刺身などつまみながら美味しい白ワインなどを飲んでいまし
た。その後に寿司が出て、握りの寿司など久しぶりに食べていましたが、
沢山作りすぎて、残りは冷えない灯油燃料の冷蔵庫に入れていました。

翌日、その寿司を食べた友人は、丸一日、トイレに座って嘔吐と下痢で
青くなっていました。幸いに私は冷えない冷蔵庫の中身を見て、カビが
生えているような冷蔵庫の中を見ていましたので、サラミのサンドイッチ
でランチを済ませていましたので、事無きを得ました。
それからは翌日の寿司は私の身体が受け付けなくなり、どんなに勧め
られても食べれません。

私の運転は安全運転に心がけていますが、走行中の飛び出しには人
間以外は無視して、急ハンドルや急ブレーキなどの操作は致しません。
滅多に都会ではありませんが、私の近所では住宅地で、リスなどが飛
び出すことがあります。

昔ですが知り合いが、飛び出してきた小動物を避けようとしてスピンし
て、道端の立ち木に激突して、車は大破、運転していた知り合いは重
症で長く入院していました。
それを見てからと言うものは、一切飛び出しは避けない事にしました。
しかし、アルゼンチンの田舎に行くと、図体の大きな牛が暖かなアス
ファルトに夜中に寝そべっているのだけは、急停車と避けて走ってい
ました。
大きな長距離トラックでも横転や大破する事があったからです、昔の
長距離トラックの前には必ず、衝撃防止のバンパーが余計に二重に
取り付けられていました。
私も一度見た事が有りますが、グレープフルーツとオレンジを満載し
たトラックが横転して、側に死んだ牛が横たわっていました。

帰りに見るとトラックはすでに移動されて無く、死骸の牛も皮を剥が
れて良い肉は剥ぎ取られていました。
何となく思い出す昔の事ですが、その様な事が身体に染み付いて、
いまだに身体が覚えていると言う事かもしれません。

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