2013年8月16日金曜日

私の還暦過去帳(408)


 作業用軍手とメイド・イン・チャイナ、

私の仕事は不動産管理の外仕事で、かなり毎日、作業用軍手を使います。
それと趣味が有機野菜の栽培と庭木の手入れの庭仕事です。
母が元気で居た頃は、何か荷物を送るが欲しい物があれば入れて置くか
らと連絡が来ていました。

喜んで頼んでいたのは、日本製の軍手でした。これは上等な品質で、長持
ちして値段も格安でした。毎月新しく下ろして使いますので、直ぐにストック
している軍手が無くなってしまいます。

日本を訪ねた時は必ず大工センターなどか、量販店で買い溜めしていまし
た。それをアメリカに持ち帰り、庭仕事や、雑用などにも使い重宝していま
したが、それが年月が経つに連れて、価格が上がり、使い捨ての軍手など
と考えても馬鹿になりません。

そこでチャイナ・タウンなどにお魚などを買いに行った時など、中華街の中
国雑貨の店を覗いて探してみましたら、似た様な軍手が販売されていまし
た。しかし品質的には日本製からしたら格段に落ちる軍手でした。

1978年代です、まだ中華街の呉服屋とか雑貨店などには、中国製の工
人服が吊るされて、工人帽子と売られていましたが、それはサンフランシ
スコを訪れる観光客相手のお土産用だったと思います。

そんな時代の中国製の作業用軍手ですから、格安の代わりに耐久性もあ
りませんで、素材の軍手を編んでいる糸が悪くて、直ぐにボロボロになって
いました。

母が老人ホームに入居してからは全て、荷物をアメリカに送るような事も
断っていました。父親が読んだ文芸春秋の本なども毎月送ってくれていま
したが、それも全て中止してもらいました。

母親が暮れに正月用品を詰めた荷物が届くと、いつもワクワクして開けた
ものでした。そして必ず作業用軍手が入れてありました。
それも中止してからは暮れの荷物も無くなりましたので、幾らか貯めてい
た軍手も直ぐに底を付き、アメリカで買う様になりましたが、殆どは中国製
でした。
90年台に入ると、昔の日本製と似た材質の物が売られていましたが、同
じ様な製品では韓国製がまだまだ品質的にも良いものがありました。
滑り止めのゴムが手の平に付いた軍手でしたが、それも直ぐに中国製が
競争して、価格的に中国製品が上を行っていましたので、韓国製品も競争
に負けたと思います。

その後は、チャイナ・タウンでなくても、アメリカの大工センターや、スーパー
でも見かける様になり、価格的にも安く買う事が出来る様になりました。
中国製と言うマークは価格的、品質的にもこの様な生活雑貨ではアメリカ
の市場を制覇して行ったと思います。

お客として、消費者として購入して使用するのですが、昔からしたら違和
感が無くなり、なにも日本製品を倍以上もする価格で買う事も無くなりまし
たし、日本に行っても、お土産に買って来ることも無くなりました。

それも日本の量販店などの商品は中国製が殆どを占めるようになり、品質
も普通に気にしなくて使える商品となり、作業用軍手など機械で編むので
すから、その素材の糸で品質が決まると感じますので、人件費が安い中国
が輸出産業製品として大量生産すれば、価格的に他国の製品を圧倒する
と感じます。

全て時代の変化と、中国雑貨製品の品質向上と競争力強化と感じます。

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