2013年7月28日日曜日

私の還暦過去帳(398)


日米開戦の日、

ハワイ時間、12月7日は日本帝国連合艦隊空母群が真珠湾を奇襲
攻撃した日です。
アメリカでは今日は星条旗を掲げて、記念日に敬意を表している人が
居ます。

23年ほど昔ですが、私がアメリカに来て最初に購入した家から、二番
目の大きな家に引っ越して来た時の隣の住人で、その戦前生まれのご
主人が生きている間は、必ず我が家の隣の一番見える所に、わざわざ
これ見よがしに星条旗を掲げていました。

私は最初は、なんだろう?と考えていましたが、直ぐにその意味が分か
りました。彼はおそらく日米開戦時点では兵役には行く前だったと思いま
す。当時の彼の子供心に何か感じていたと思います。

それを私が完全に無視して、ハロー!ともいわない横柄な面をしていま
すので、益々気に触ったと思います。何処にでもその様な人間は沢山い
ます。

少しでも自国の悪口とか、それと、ご本人が感じた事があると、それこ
そ、目を剥いてまるで子供の様な態度と、そぶりで悪態を付いて、幼稚
な振る舞いで相手をこき下ろして来ます。

その様な事にも何処吹く風です、隣は益々いきり立ち、まるで幼稚な子
供の様に難グセを付けて来ましたが、これも黙殺です、勝手にしやが
れー!
と言う事で、平気の平左で居ますので、どちらかと言うと、ざまー!見
やがれという感じでいたのですから、相手が頭に来て、酒を飲んで真っ
赤な顔で睨んで来ます。
一度などは塀の上から顔を出して、何か言い出しましたが、見向きもせ
ず、無視です。これには相手もお手上げ?と感じたらしく、それ以来は
少しはおとなしくなりました。

それには少し理由があるのです、かれこれ23年ほど前でしたからその
頃はパソコンも無く、目も医者が驚くほど良くて、週末は趣味の射撃に
通っていました。
大口径ライフルの射撃です、当時はまだ軍用弾の放出品が格安で、弾
薬箱のままで購入する事が出来ました。弾薬箱を担いで帰ってきた事も
あります、そして良く射撃をしていました。

50mぐらいの近距離でしたら、100発撃って、100発全部、9と
10の黒点に全弾命中させていました。その標的用紙を持ち帰り、何枚
もゴミのリサイクルの箱の上に捨てていました。

ある日、隣の住人が恐る恐るそれを覗いているのが分かります、その時
は拳銃の38口径で打ち抜いた標的用紙も何枚かありました。
それも9と10の黒点を奇麗に丸く撃ち抜いて空洞に穴が開いていまし
た。
それからです、何も言わなくなりました。私を見る目も、何か恐れている
感じでした。私は一切沈黙して何も言う事無く、私の庭も近所の何処より
も奇麗にしていましたし、パーテイなどを開いて大騒ぎなどもする事無く、
借りて来た猫で静かに住んでいました。

そのうちに隣の住人が病に倒れてしばらく入院して亡くなりました。
その次の家の同じ歳の住人も奥さんが癌で亡くなると、家を売り引っ越し
て行きました。
そして近所と隣人の家で、真珠湾攻撃の記念日に、星条旗がはためく事
がなくなりました。
今ではテレビも昔のようには特集を組んで報道する事も無く、朝の二ユース
で短く放送している位です。

私も今朝のテレビで、今日が日米開戦の日かと思い出したぐらいです。

今では歴史は遥か遠くになりにけり・・、

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