2013年7月17日水曜日

私の還暦過去帳(392)

 
  食欲の秋、

毎年、9月が終わり直ぐに10月になると秋の収穫の季節が来ます。

私が住んでいる所は春夏秋冬があり、冬は雪こそ降らないが霜が降りて
薄氷が張ることもあります。
雪は近所の山頂付近に、たまに冬の嵐が過ぎた後に雪が被る事が有り
ますが、大抵は一日で消えて行きます。

しかし、3時間も車で走ると、スコアバレーの冬季オリンピックが開かれた
スキー場もあります。春先にその近くを走ると、見事な残雪が光っている
のが見られ、シエラ山脈の標高が高いことを感じさせてくれます。

昔、南米にいた頃は日本と季節が直反対ですから、良く手紙などで、12
月頃になると『そちらも寒くなったでしょう・・』とか書いてきますので、返事
にこちらでは真夏で、毎日暑い日を過ごしていると書くと、同じ地球で珍
しい事もあると、また返事が来ていました。

納得してもらうのに何回か手紙を書くことが有りましたが、その手紙も48
年も前の日本との往復です、悠長なもので1ヶ月以上も掛かって来てい
ました。

ボリビア国境のサルタ州です、エンバルカションという町から10kmは
ジャングルに入った所ですから、町には忙しいときは10日も出ないとき
がありますので、私書箱止めの郵便ですから、取りに行くまではそこで
眠っていましたので、速達も普通も同じでした。

収穫時期は電報が頻繁に来ていましたので、誰かが取りに行っていま
した。南回帰線から100kmも入った所ですから、季節感が余り無く
魚の産卵期や野生動物の動きから、そろそろ秋が近いなどと話してい
ました。

でも突発的なボリビアの上流地帯で大雨などがあれば、晴天で乾燥し
た我々が住んでいた地域に突然の濁流となって、大木などを押し流し
ながら流れて来ました。

今年はリオ・ベルメッホ河が氾濫するのが早いので、雨季が早いなどと
話していました。ブエノスが真冬の時期にサルタ州ではトマトやピーマン
などの蔬菜を栽培するのです、暖かいので温室などを使う事無く栽培
が出来たので、たまには霜などが降りて全滅に近い被害が出ると、
トマトなどの値段がキチガイの様に高騰していました。

ブラジル辺りからトマトが来るまで、たまに霜の被害から逃れた人達が、
ブエノスにトラックを何台か出荷して、億万長者となった人も居ました。
それはトマト2箱が現地人の給料の1ヶ月分となったからです。

トマトだけではなくオレンジやレモン、グレープフルーツなど、勿論の事
にバナナも全部枯れて僅かしか残りませんので、被害甚大でした。
大抵の野菜作りは永年作として柑橘栽培もして、オレンジ畑などを所
持していましたので、どこかが生き残り食べることは何とか出来ていま
した。
私もこの目で見たのですが、他の農家の霜被害で値段が高騰して、
アッと言う間に新しいトラックや耕作機械のトラックターなどを新品に買
い換えていました。
また、新しいレンガ作りの家を建設して、新品の家庭電化製品を並べ
て居ました。

それはあたり前に出来たと思います、トラック一台で当時のアメリカドル
で1万ドル以上は手取りであったからです。その様な農家は霜が降り
ない河の側の一等地をまた買い込んでいきますので、次の大霜の時
に、また大儲けをするチヤンスが何倍もあったのでした。

今では私が住んでいるサンフランシスコの周辺では、チリから来た果
物や蔬菜が季節の正反対を利用して栽培され、冷凍コンテナーで送
られてきますので、季節感が無くなりました。
先日も見事な温州ミカンを見ていたら、ペルー産と表示が出ていまし
た。
それだけ北半球と南半球の気候の正反対を利用して生産される物が
物流の近代化で世界中に流れて行くとなると世界は狭いものと感じ
ます。
今日スーパーで買い込んだ物を見ると、エノキ茸とオイスターマッシ
ュルームは韓国産で、有機栽培のニンニクは中国製品でした。

有機栽培のバナナはエクワドル製品で、つい先月まで食べていた富
士リンゴはニユージーランド製品でした。
世の中が変化したと言いますが、食べる物も大変化したと感じます。
昨日も冷凍でないサンマを、塩焼きで食べましたが日本からの空輸
でした。
アメリカの西海岸で採れるウニが日本に空輸されて、寿司屋で食べら
れるご時世です、
何も不思議では無いと感じます。

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