2013年7月6日土曜日

私の還暦過去帳(387)

アメリカの学校で『忠誠の誓い』の賛否。

先日のインターネットで日本語の新聞記事を読んでいて私は絶句した。
そして思想、心情、良心に国家の国旗と国歌に敬意を表す事さえ値しな
い考えの人が
居ると言う事に唖然としていた。

その様な人の国家感、国民としての自覚はいかなる基準でなっているか、
不安になっ て来た。全てが民主主義の個人の自由の権利から来るもの
と解釈されている。

新聞記事の内容は、

 入学・卒業式で国旗に向かって起立し国歌を斉唱するよう命じた神奈
 川県教育委員会 の通知を巡り、県立学校教職員135人が県を相手に
 起立斉唱の義務がないことの確認 を求めた訴訟で、横浜地裁は16日、
 請求を棄却した。争点だった通知の違憲性につい て吉田健司裁判長
 (転部のため深見敏正裁判長代読)は

「思想・良心の自由を侵害するとは言えない」と指摘した。教職員側は
 控訴する。

判決は、国歌ピアノ伴奏を拒否した音楽教諭への処分を「合憲」とした
最高裁判決 (07年2月)を踏襲。学校行事での起立斉唱は出席者にと
って「通常、想定・期待 される儀礼的行為」で、通知に基づき校長が出
す起立斉唱の職務命令は

「教職員の世界観・歴史観・信念を否定するとは言えない」と判断した。

問題とされた通知(04年11月30日付)は、教育長名で各校長にあてた
「国旗の 掲揚及び国歌の斉唱の指導の徹底について」。教職員側は
「起立斉唱は『敬意』とい う内心を表明する行為。それを命じるのは自
由を不当に制約する」と主張したが、判決 は「内心に影響を与え得る
ことは否定できないとしても、公務員として適法な職務 命令に従う義務
がある」などと退けた。

会見した大川隆司・弁護団長は「最高裁判決をなぞった月並みの猿ま
ね判決。国民の 常識と正反対だ」と批判した。』

これに反論するようにして伊勢雅臣先生が書かれた論文を読むと、

伊勢雅臣氏の『国際派日本人養成講座』から引用。

http://archive.mag2.com/0000000699/20090719063000001.html

「教育の政治的中立はありえない」とする、

「政治を抜きに教育はない」とは、民主党の代表代行かつ参院
幹事長を務める輿石東(こしいしあずま)議員が、その支持基
盤である日本教職員組合(日教組)の第97回定期大会で語っ
た言葉である。

 輿石議員自身、日教組傘下の山梨県教組(山教組)の元委員
長で、今年1月に都内で開かれた日教組の会合でも、「教育の
政治的中立はありえない」「日教組とともに戦っていく」と述
べている。[1]

 よくも言ったり。「(教員は)特定の政党を支持し、又はこ
れに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならな
い」と定めた教育基本法、および教育公務員の政治的活動を制
限した教育公務員特例法を完全に無視した発言である。

 輿石氏がその選挙活動において、山教組の教員たちを使って
きた実態を見れば、これが言葉の上でのことだけではないこと
が、よく分かる。
以下略、

これ等の記事を読んでいく内に心に感じることは、日本国民としての誇りと
自尊心はいかような基準で、教育で学び育てるのか疑問が湧いて来た。

一握りの現政府に対抗する教育指導者に牛耳られた教育現場が崩壊の
道に進んで いると感じます。私の同級生も教員早期退職をしたのも、学
級崩壊が一因として あったと語っていた。
日教員組合の横槍と彼等が一部支配する教育現場での教育の混迷を語
ってくれた 友人の言葉を今でも感じます。

38年前にアメリカに移住して来て、自分の子供達も含めて、子供達が学校
で クラス全員で「忠誠の誓い」を唱える事は公立、私立とも普通の光景で
ある。
アメリカ各州の公立小学校や幼稚園では、毎朝クラスが始まる前に星条
旗を前に して、右手を左胸にあてて「忠誠の誓い(the Pledge of Allegiance)」
を 一斉に唱えるのが19世紀末からの伝統である、誓いの言葉はこんな
一文です。

『 I pledge allegiance to the flag of the United States of America and
to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible,
with liberty and justice for all.』

「私はアメリカ合衆国の国旗と、その国旗が象徴する共和国、神のもとに統一
さ れ全ての人々に自由と正義が約束された不可分の国に忠誠を誓います」

と言う言葉ですが、何も子供達を洗脳するような言葉ではありません、自分
が住む 多民族国家のアメリカに学ぶ幼い一市民として、この言葉の下に集
まり、集約され アメリカ市民としての自覚を学ぶ言葉と思います。

しかし、アメリカでも『神のもとに・・、』と言う言葉は、2002年、そして再び
2005年に一言が政教分離を定めた憲法第一条に違反しているという判決
がサンフ ランシスコの連邦高裁で下され、以降『忠誠の誓い』からは
『神のもとに・・』は 削除された。

この「神のもとunder God」 という言葉はもともと無かったのですが、冷戦ま
った だ中の1954年に無神論者の共産主義者、ソ連とアメリカを区別するた
めに付加され たのだそうです。

アメリカでは宗教感の区別ははっきりと憲法でされて、純粋に国歌、国旗
 に対し ての学童教育は愛国の前提としての教えであると感じます。
アメリカの『忠誠の誓い』は国民の90%からはアメリカに住む市民としての
言葉と して認められているのです。

アメリカが民主主義国家として、愛国教育を認定して多くの人が認めて居
るのです、 もしも、アメリカの学校で教員が率先して、反国歌、反国旗の
態度と行動をしたら、 確実にその教職を失う事と思います。
アメリカの学校で毎朝唱えられる『忠誠の誓い』 は、それは父兄達の教育
参加がある学校現場では、それに反対する教員は教育委員 会選挙で教
員を追放されると思います。

貴方は日本的教育自由主義とアメリカ的教育自由主義のどちらを好み
ますか?

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