2013年6月26日水曜日

私の還暦過去帳(383)


同性婚は難しい?

先日から長男宅の手伝いでサンフランシスコ市内に良く出かけていました。
そこで目にするのは、カストロ地域のゲイのコミュ二ティが多く集まる通り
です、37年前にサンフランシスコのその地域に足を踏み込んだ時には驚
きました。

日本では余り目にすることも無かった社会をこの目で見たからです、ショ
ックでした。男同士が抱き合ってキスなどを大ピラに道端でしているもの
ですから、いささかドキリー!とした体験でした。

白人と黒人のカップルが仲良く手を繋いで歩いている姿など、何処から
見ても当時の状況ではこの私の細い目が、パッチリとドングリとなってしま
う衝撃でした。
黒人の青年はスラリとした肢体に、筋肉質の肩が盛り上がる革ジャンを着
て、カッコ良く白人の若い青年の腰に手を廻して歩いている姿は、当時の
私にはかなりのショックが有りました。

当時から東の二ユーヨークと西のサンフランシスコがゲイ達が集まって出
来た一番大きな町でした。25年以上も前に、私が住んでいた近所にゲイ
のカップルが家を買い、サンフランシスコ市内から引っ越して住んで居ま
した。仲の良いカップルで、どちらもサンフランシスコまで働きに出ていま
した。
電車で1時間で通勤出来ますので、私もアメリカ社会に慣れて、周りが見
えて来るとその様な事が直に感じることが出来まして、かなりのゲイやレス
ビアンのカップルが居る事を知りました。
レスビアン・カップルの不動産管理を頼まれた事が有ります。

二人ともかなり会社でも地位のある職場で働いているようでしたが、仲違
いして二人で所有していた不動産を売却して別れていきました。
当時はまだ同性婚は認められて居ませんでしたが、結婚指輪をしていま
した。
つい先日もカリフォルニア州の最高裁は同性婚を11月4日の住民投票
の結果、無効としました。これにより、同性婚は正式に禁止となりました。

それまでに結婚したカップルの1万8千組は有効と裁判所は認めましたが、
これには多くの賛成派と反対派が激論を交わしていたのですが今回裁判
所が判断して正式に禁止と、6対1の大差で判決を下した様です。

私が子供の頃、当時の田舎では『オカマ』と言う名前でその様な人達を差
別していました。私も好奇心がありましたので、『オカマ』と言う意味は何か
と聞くと、『子供がそんな事を聞くのはまだ早いー!』と怒鳴られた記憶が
あります。
学生になり東京に出て、当時のゲイバーとか言う酒場で学生の身分で男
子学生が女装してアルバイトをしている人が居ることを知りました。
知り合いがその酒場に飲みに行ったら、女装したその学生が和服を着て、
どう見ても女性としか感じなかったと話していました。

その男子学生は直ぐに大学を辞めて行きましたが、その後どうなったか
知りませんが私の身近で実例として初めて感じた事柄でした。
それにしても大人になり実社会に入ると、色々な体験も致しました。

完全な女性のようにバストを人工的に乳房の様に膨らませてブラジャー
をしているのも見ましたが、声はまだ男性でした。

私が南米に移住してパラグワイから出て、アルゼンチンのミッショネス州
のポサダの町でブエノス行きの列車を待っている時に、泊まっていたホテ
ルの直ぐ側に映画館が有りました。

夕食を済ませて時間を持て余していましたので、丁度見た事が在る西部
劇が上映されていましたので、面白かったのでもう一度見ようかと出かけ
る時に、ホテルの従業員から『あそこの映画館は、注意しろー!』と教え
られました。
直ぐにその意味が分かりましたので、私も用心していました。
映画が始まる明るい場内には、その道の方らしき人が居るのが直ぐに分
かりました。完全な女装ですが少し違和感が私も感じていたのです。

場内が暗くなり西部劇が始まりましたが、しばらくして香水の臭いが近く
でして、アレー!と感じていました。私は香水の臭いにはアレルギーで直
ぐに鼻がむずむずして来ますので、マイッターと思っていました。
しばらくして、何処からか私の膝に手が伸びて来ていました。

私もホテルの従業員から注意されていたので、これが例のオカマかと感
じていました。
私も用心にいつも持っていましたナイフを静かにスー!と相手のわき腹
に突き刺す様にして構えて居ました。相手の手が私の股間に伸びた瞬間、
少し強くプチー!と押すと、ヒー!と声がして腰がくの字に引いて相手が
逃げていました。

無言でアゴの先で、向こうに行けとゼスチャーをするとアッという間に相
手は居なくなりました。
しかしながら、さほど離れては居ない座席で、例の絡み合いが始まり、
それを見ている方が面白くて、映画どころではなかった覚えが有ります。

後にも先にも手が伸びて来た実体験はそれだけですが、この歳まで色々
な事を見聞きいたしましたが、生涯忘れられないのはブラジルのリオ・デ・
ジャネイロのマンゲと言う公娼が在った中で見た、ホモ専門の公娼が居
た事には、今でも強い印象が残っています。
印象の衝撃度はトンカチで頭をコツンと叩かれたぐらいでした。
早く言えば生肝を抜かれると言う感じでした。

神様が創造された人間と言う事ですが、それにしても人間様々な人種が
居ると感じます。

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