2013年6月8日土曜日

第3話、伝説の黄金物語、(85)


ドイツと日本の降伏、

1945年2月、米英ソの3国でヤルタ会談が開かれ、ドイツ降伏後の話し合い
が開かれ、日本の無条件降伏への話し合いもなされていた。

全てが時の大きなうねりとなって動き出していた。ルーズベルト大統領の死、
その後トルーマン大統領の就任、イタリアではムッソリ二ー総督が愛人と逆
さ釣りにされ処刑され、すでに原子爆弾もアメリカでは完成していた。

そして5月には、ついにドイツが連合国に降伏した。

その情報はすでに予測済みで、ドイツ人のブラジル社会では大きな動揺もな
く、受け入れられ、すでにその準備まで終わっていた。
スミス商会が連合国に連絡して、多くの情報を手にしていたからで、すでに
戦局が傾き、硫黄島の争奪戦も決着が済んで日本の敗戦も時間的な秒読
み状態だと感じられていた。

スミス商会とダイアモンド商会の全ての関連事業も含めて、この第二次大戦
終了後の動きを見越して全てが予定どうり完了していた。

これまでに豊富に蓄え、集めて持っている金とダイアモンドや現金も、個人
としては当時の貨幣価値として、かなりの金額を所持していた。
富蔵が長い間貯えて隠していた砂金や金の延べ棒も高値で売リ払い、ドル
とポンドの外貨に交換してしまった。
それとサンパウロ郊外に農地を買い、これからのサンパウロ市発展に投資
していた。
僅かな金の延べ棒が非常用として残してあるだけで、現金の札束が金庫の
奥深く積まれていた。

ブラジルの日系社会でも、絶対に日本が連合国に勝利するという、狂信的
な勝組と言われる集団が出来ていた。敗戦を口にする者は抹殺される様な
事態まで起きて来た。

7月にはポツダム会談が開催され、米英ソ華の4カ国が共同宣言を行い、
日本無条件降伏の項目を煮詰めていた。全ての日本の降伏条件がが連合
軍側で決められ、8月には広島と長崎に原子爆弾が投下された。

この原爆投下の詳しい被害状況が連合軍からもたらされ、富蔵達が驚愕
の驚きで聞いていた。一つの都市が一発の原爆で壊滅したと言う事は誰も
信じられない話であった。

富蔵はブラジルのドイツ人社会を見て来て、その混乱する事態を収め、こ
れからのドイツを再建する方策と対応が進められていくのを見て来て、日本
人社会でも混乱といがみ合いの世界を作り出さないように考えて、その対
応と準備を始めていた。

8月15日、日本が無条件降伏したという二ユースが世界を走り回った。
富蔵達は冷静に動じることなくそれを正確な情報で分析して、受け入れた。

事業も全て順調で、何も問題なく動いている事を考えると、日系指導者達
が収容されている事を考え、そのこれまでの慰問活動や、残された困窮家
族の手助けをして来た強みは、これからの活動に大きな支えと成っていた。

先のドイツ降伏の時に見たドイツ人社会の様子は、富蔵には良い経験であ
った。第二次大戦終了と同時に、日系人指導者達の釈放をブラジル赤十字
を通じて政府に働きかけて、順次家族の元に帰宅が許されて行った。

富蔵達が資金を集め、準備して段取りを整えて、今まで目立たない様に活
動してきた事が多くの収容者を助け、喜ばれて家族の元に帰宅する姿を見
て、富蔵は自分がサントス港から逃げ出して、サンパウロに落ち着いて活
動して来た事を振り返っていた。

これまでの多くの友人や仲間に恵まれて、スミス商会や、ダイアモンド商
会の援助と、ビジネスに参加し、チャンスを得て、自分達が育って来た道
を振り返り、今まで全力で走り抜けてきた事が無駄ではなかったと感じて
いた。
しかし、ブラジル日系社会の中で、終戦と同時に色々なデマや、詐欺的な
行為が起きて来た。何処からか終戦で価値が無くなった帝国日本の紙幣
を、密かに持ち込み他に分からない様にして、移住地や奥地の日本人居
住者に対して、『日本は戦争に勝利して祖国日本の価値ある円を良い利
率でブラジル貨幣と交換してやる・・』と言葉巧みに持ちかけて金銭を騙し
取る人物などは現れ、財産を全て詐欺行為で取られた人まで出てきた。

それに輪を掛けるように、『日本の連合艦隊がサントス港に入港して、間
もなく日本に凱旋帰国するので、今であったら輸送船で無料で乗船帰国
できるので、財産を整理してサントス港に早く行けば間に合う・・』

とかの甘言で言葉巧みに価値が無くなった円の紙幣を掴まされ、僅かな
家財を整理した金までを全て騙し取られると言う事になった人や、サント
ス港で路頭に迷う日本人が居ると知らされ、富蔵達は直ぐに行動を起こ
していた。
富蔵達の行動は早かった。間を居れずに電信で奥地の支店に連絡が飛
び、その重要な犯行人物を拘束してかなりの金銭を取り返し、詐欺罪で
警察に突き出していた。

富蔵達は犯人を警察に突き出す前に密かに首領格の男を尋問して、共犯
者と仲間の名前を聞き出していた。サントス港で路頭に迷う幾組かの日本
人には、帰りの旅費と生活資金を持たせて、汽車に乗せて送り帰していた。

そして直ぐに共犯者の追跡を始めて、次の犯行を阻止するように動いて
いた。印刷された今回の事件を詳しく報じた広告を奥地の各移住地に配り、
敗戦の惨状なども写真で掲載していた。

奥地の支店から彼等が騙し取った金銭を手に、ボリビア経由でペルーに
逃亡を計画している様だと連絡が来ていた。富蔵達は直ぐに行動開始し
た・・・、

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