2013年6月4日火曜日

第3話、伝説の黄金物語、(84)

 

 
しばらくメキシコのカボに滞在していました。

10年の間に殆どの日本人が居なくなり、現地人と結婚している日本人
が一人居るだけです。百年近く前に、この地方の荒れた半砂漠地帯の
バッハ・カリフォルニア半島の突端と、ラパス地域で漁業に従事してい
た日本人達の末裔が殆どが現地人化して、名前だけが日本名で居る
だけです。

顔を見ただけでは日系とは感じる事は出来ません。それは3代以上も
現地人のメキシコ人の血が混じると日系としての特徴も消えて、最後
は名前だけが残っていると感じます。ブラジルでも同じような事を見ま
した。
戦前の昔しと戦後の時代的な分断があるからです。第2次大戦と言う
戦争で日本と断絶した日本人社会に住む多くの日本人が現地人と結
婚して同化して行ったからと感じます。

狭い移住地の中で結婚適齢期の相手を探す事は難しく、戦時中は他
の地域に移動も制限され日系人の交流も出来なかったからです。

富蔵達が居たブラジル社会もアルゼンチン社会も又パラグワイ社会で
も、移動と居住制限があり、週に1回は警察に居住証明のために出頭
しなければならない命令も出されていたと聞きましたが、アルゼンチン
ではドイツ船舶が南米の連合軍国で一番待遇が良いアルゼンチン

に降伏して、捕虜収容所では殆ど自由に生活できる環境だったと聞き
ましたが、サッカー場まであり、付随の農場では家畜まで飼い、終戦後
には殆どの捕虜収容人員が居なくなり、ドイツ人居住区に逃げ出して
居たようでした。

それとドイツの敗戦間近い時期には、大西洋に出撃していたUボートの
ドイツ潜水艦は祖国に帰還出来そうもない状況を知り、やはりドイツ系
の影響が大きいアルゼンチン海軍に降伏を申し出て、アルゼンチン海
軍ではドイツ人士官には帯剣まで許して、軍楽隊の演奏で上陸させた
様です。
70年近く前は南米の国境と言っても自由に行き来できる状態で、47
年前にブラジルとパラグワイの国境などはコンクリートの標識が道の
真ん中にあるだけの国境でした。
それだけ、おおらかな待遇と捕虜に対しての環境があったと思います。

私もパラグワイ側からブラジルにアイスクリームを食べに歩いて出か
けていましたが、僅かに旧式なボルトアクションのライフルを持った兵士
が、ぼんやりと道端の陰に立っているだだけでした。

その当時のパラグワイの大統領はドイツ人の2世で、かなりのナチの
影響があった人物も居た事が分かっていますし、ドイツ戦争犯罪者とさ
れた戦犯が隠れていた事は、パラグワイでも死の天使と言われたメン
ゲルやアルゼンチンでは、アイヒマン達がいた事でも分かると思います。

ブラジルでもドイツ人社会は規模が大きく、隣国とのドイツ人社会とも
連帯で繋がっていたと感じられます。私もバスでサンパウロからアルゼ
ンチンのブエノスまで、直行で降りて来る途中で、リオ・グランデ、ドス
ールの辺りを通過するときに、まるでドイツの田舎の様子を感じた事
を覚えています。

その様な状況のブラジル・サンパウロ郊外では僅かであるがナチの狂
信者が残っていたのも不思議ではなかったと思います。
話を彼等が根城とするサンパウロ郊外に戻しますが、ドイツの敗戦色
濃いい状況でも、ゲルマン協会などに反発と拒否をしている狂信者の
幾人かが結束して動いていたと感じます。

スミス商会などはアメリカ系ユダヤ人の会社であるから、その情報網
とビジネスで張り巡らされた仲間と取引先の連絡網はブラジル政府よ
り精度の高い運営をしていたようである。

特にイギリス系のダイアモンド商会もダイアの取引で大きな力を持つ、
ユダヤ系の中でビジネスを運営する上で、大きな力を持っていたと感
じられます。
その様な組織がナチ狂信者に狙いを定めて画策した計画は、絶対に
失敗やミスなどが起きない様な何十にも対応がされていた。

大型トラックがすでに事前に待ち伏せ攻撃に出れる様に何度も走行
訓練が行われて、全てが準備終了の状態で、相手方が動き出した事
は、灯火に飛び込む虫の様な感じであった。

しかし、シュマイザーのマシンガンを、狂信者達二人が所持している
事は間違いなく証拠が取れていたので用心していた。
すでにその対抗として、富蔵達もシュマイザーと自動散弾銃を用心し
て各自が隠し持っていた。
それにトンプソンの自動小銃に100発のドラム弾倉を取り付け、45
口径の弾幕を張る事が出来るようにしていた。

彼等が動き出して、車が農場を出たという連絡が、各待ち伏せ場所
に知らされた。それと同時に大型トラックが無線連絡を受けながら、
計画どうりに待ち伏せするカーブ道の木陰で、エンジンをアイドリン
グして停車していた。

富蔵達は配下の者と見晴らしの良い高台の上から下の道を見下ろ
していたが、草むらに寝て、トンプソン自動小銃の狙いを下の道に定
めていた。微かに未舗装の道路から埃が舞い上がるのが確認され、
合図の白いハンカチが振られていた。

トラックがゆっくりと動き出して、曲がり角に前進して行った。
スミス商会の配下の者が軍用のハンド・トーキーを使いトラックに指
令を出していた。

トラックがエンジンをふかしてスピードを上げるのが確認され、下の
道を加速して突進するのが見えていた。曲がり角の道で古いフォー
ドの車が見えたと思った瞬間、トラックが突っ込むのが見えたが、
フォードの車は上手な急ハンドルで激突は避けて、ボデーを損傷し
ながら草叢に突っ込むのが見えた。

停止したフォードから男達二人が逃げるのが確認された。一人は
足を引きずっていた。富蔵が見ている横で逃げる男達の前にトンプ
ソンの45口径を掃射する音が響いていた。
男達は車の影に隠れてこちらをシュマイザーで撃ち返して来た。

シュマイザーの9mm口径弾が不気味な音を響かせて、富蔵達が
草叢に伏せた上を通過して行った。
狭い山陰の道に男達二人をフォード車の陰に釘付けにしていた。

高台の上から撃つ弾は正確に狂信者達を身動き出来ない様に車
に張り付かせ、動けば狙撃銃で狙い出したので、車の陰に隠れた
ので、相手方はすでにシュマイザーの弾も撃ち尽くしていると感
じられた。

先ほどの大型トラックがUターンしてかなりのスピードを出して突
進してくるのが分かった。ここまでの時間は分単位の短い時間で
あったが、何か時間が長く感じられていた。

スミス商会の保安係りが、消音された狙撃銃のスコープで狙いを
付けているので、彼等は身動きを封じられ、フォードの陰に伏せ
ているのが感じられたが、それもトラックが突進してくる轟音で掻
き消えていた。
腹に低く響く衝突音がこだますると、フォードから瞬間的に火が
燃え上がった。
大型トラックが押し潰す様に車も人間もスクラップにしていた。
トラックの運転席から運転手が火が回る前に飛び出して逃げる
のが高台から見えていた。

それと同時にトラックも火に包まれて燃え上がり派手にガソリン
タンクから火が吹き出るのが見えていた。高台から見て居ると、
逃げたトラックの運転手が車両火災の側で状況を見ていたが、
急に木の枝を用意するとシュマイザーを火災現場から拾い出し
て居るのが見えていた。
狂信者達が撃ち尽くして放り出してあった物と感じた。

火災現場に乗用車が近寄るとトラック運転手を乗車させると
何処かに消えて行った。
狂信者達のフォードの最初の衝突時から、これまでの時間は
3分も掛かっては居ないと思われた。
後はバチバチと燃えてはじける音がするだけで、人通りも無
い田舎道に、遠くで放牧されている
牛が首を長くして火災現場を覗いているだけであった。

この車両火災の煙を見て、近所の農場から誰か乗馬で様子を
見に来て居るのが高台から見えていた。
その乗馬の男も馬が火を見て驚く様子で近くには寄らず、遠く
から見ていたが、しばらくすると馬首を廻すと早足で農場に戻
って行った。

その様子を見届けると、富蔵達も藪に隠してあった乗用車に、
皆で手早く周りをかたずけて銃器をトランクに隠すと、集合場
所の飛行場に向けて田舎道を走り去って行ったが、トンプソン
自動小銃の空薬きょうなどは何処にも落ちては居なかった。
全て予定どうりに空薬きょうのキャッチャーを用意して1個も
逃がしてはいなかった。

皆がひっそりと飛行場に戻って来たが、全員が直ぐに事務
所に揃っていた。
飲み物が用意され、空腹を満たす軽食が配られ、スミス商
会の保安幹部が皆から要点の報告を受けていたが、ミスは
無く成功したと言って、サンパウロのオフイスに電話していた。

トラックの運転手は派手な包帯姿で警察署に出頭すると事故
の報告をしていたが、トラックもフォードも完全に焼け落ちて
骨組みだけになり、潰されたフォードの陰で二人の焼死体が
発見されたが、簡単に事故と筋書きのように処理されていた。

翌日の新聞には田舎道のカーブで出会いがしらに衝突した
トラックと乗用車の事故で二人が焼死したと掲載されていた。
ゲルマン協会にも内々に報告され、それまでの厳重な警備が
緩められていた。

『狂信者の邪魔者と危険分子は死んでもらうしかない・・』平和
と安全と、多くの幸せな家庭を破壊する事は阻止しなければ
ならない』と皆が同意していた事が実行され、成功して
ドイツの降伏混乱から来るブラジルのドイツ系社会の乱れも、
これで殆ど影響が無い様であった。

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