2013年5月18日土曜日

私の還暦過去帳(373)

郷愁の思い出旅路、

いま日本を旅しています。老齢の母の見舞いと、この歳になり、昔、出合
った人達に会うためです。

到着したその夜は50年前からの知っている男性でした。
彼とは両親がパラグワイのエンカナシオン郊外の移住地に入植している
時からの知り合いで、パラグワイで生まれて、アルゼンチンで育ち、成人
して日本に出稼ぎに来て、日本で住み着いてしまったのです。

最初に移住地で会った時は、2歳過ぎの頃でした。
家の前で泥だらけの格好で、裸足でまるで靴を履いているかのように、く
っきりと赤土で足には色が付いていました。

彼は生まれた時に両親が貧しくてアスンションの日本大使館に出生届けを
出せる金も時間的な余裕も無く、日本国籍は取れなかった様でした。

日本でも苦労して働いています。通称出稼ぎの、普通の日本人が余り好ま
ない仕事で、下積みの苦労を重ねてここまで来た様です。
昨夜、前回会った13年前からしたら、髪の毛も白髪が増えてだいぶ老け
たと感じる様子でした。

今の一番の喜びは三人の子供に恵まれて、その一番下のまだ2歳もなら
ない子を膝に抱いて晩酌しながら、子供に食事を与える事が一番の楽しみ
だと話していました。
無骨な手の大きさが、これまでの彼の生活の歴史を刻んでいると感じます。
握手した手の感じで瞬間分かりました。

昔の移住者達の手と同じ感覚が蘇ってきました。
日本に到着して何度か握手した手は誰もその様な手の人は居ませんでした。
それは労働を課せられ、それにしか日本で生きるチャンスが無い人達の
手だと感じます。
生きる事に、また家族の生活に自分の人生を賭けている事を見せ付けら
れる様な感じでした。偉大な彼の手です、彼の手を握り締めた瞬間、言葉
でその苦労を慰めてやりたいと感じる手でした。

彼の様な手を持つ男はへこたれず、粘り強く、どんな環境でも生き延びる
知恵を持つ手だと感じます。私も過っては同じ手の大きさと無骨さを持って
いました。
人が私の手を見て、その大きさに感心して見ていたぐらいでした。

肉厚の分厚い、骨が突き出た感じの手です、アメリカ人からでも何度か言
われた手ですが、中国人が一度私の手を見るなり、貴方は金持ちになる
と、褒めてくれた事に驚いた事があります。

私のその手も引退して仕事を減らし、辞めてからは8年近く成りますので、
だいぶ痩せて小さくなった感じが致します。
私の自分の経験から彼の手を握り、心感じて、感激して、男として家族
に責任と使命を持って生き、働いている手だと感じていました。

誰もその手を卑しむ事は出来ません、生きる事は、家族を養う事は、男
の使命として自分の身体を使い、働きその報酬で自立して生きて行く事な
のです。

私は別れる時に、これからの彼の家族の幸せと、彼の健康と子供達三人
の健やかな成長を祈りました。









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