2013年5月1日水曜日

私の還暦過去帳(369)


 訪日雑感(21)

幹事さんのヘルプは私の様なアメリカ田舎者には助かりました。

池袋駅ではウロウロしている私を探して集合地点まで案内してもらい、まる
で人混みの大河の中から拾い出して貰った感じが致しました。

私の住むサンフランシスコ郊外の電車駅では混むと言ってもたかが知れて
います。日本で都内の大きなターミナル駅はまるで、大河の流れと思います。

渋谷のカプセルホテルに宿泊していましたので、渋谷駅には再三通いました。
幾つもある出入り口から吸い込まれ、また吐き出される人々の波の塊はまる
で、信号の度にどど・・・、と流れ出ると言う感じが致します。

はや、今年で33年となるアメリカ生活から日本の東京の思い出も薄れ、
自分が都内で生活していた事さえ忘れかけていました。

今では乗り換え無しに地下鉄も田園都市線と連結して渋谷駅に降りる事無く
通過して行きますが、バスもターミナル周辺から次々と吐き出されてくる人々
が、駅に向かって歩いてくる様は、インドの田舎道で見たヤギの大群が道路
一杯に塞いで行進してくる様を、対向して来た我々の車から呆然とヤギ達が
過ぎ去る様を一休みして眺めていた情景を思い出していました。

それにしても一極集中で、政治経済の中枢が東京にある事が問題と思います。
それからすると私が住んでいるカリフォルニア州は、実質の経済的な力をG
NP換算ですると、世界で7番目の国と等しい力が有ります。

州都はサクラメントで、経済の中枢はサンフランシスコと言う感じで、ロサン
ゼルスは生活と政治のソフトウエアーが集中していると感じます。

ITビジネスとそれに関連する企業やオフイス、工場はサンノゼ周辺でシリ
コンバレーと言う地域に別れ、それぞれ機能しているのです。

池袋駅周辺の思い出と言うのも東京に上京して最初に都内探索に歩き回った
頃の闇市の残りしか私の記憶にはありませんでした。
新宿駅周辺も私が50年近く前に来た時は、西口の闇市バラック小屋がま
だ残り、裏寂れた飲み屋が軒を並べていました。

何か歴史と時を飛び越えた空間にいる感じで、皆と幹事さんが案内してくれ
る居酒屋に到着いたしましたが、その雰囲気は懐かしく、思い出の郷愁を
感じる様でした。

先ず靴を脱いで、下駄箱に入れるのです。しばらく忘れていた日本の習慣
を思い出して、靴を脱いでいました。
案内された所は昔のコタツ式の足が伸ばせる様になったテーブルに座るの
ですが、私には助かりました。

今では正座などしたら足がしびれて、しばらくは車椅子でお世話にならなけ
ればならないと感じていました。
熊本のいとこの家でも側のソフアに座ってテレビなど見ていましたが、一日
座ったらそれこそ腰痛で大騒ぎになったと思います。

幹事さんの飲み物の注文で始まり、次々と到着する仲間の顔がそろい、そ
れは賑やかな集まりでした。
私はこの様な飲み会などは、久しぶりと言って良いほどの、永い間ご無沙
汰していた事で、私自身は飲まないのですが、楽しい、嬉しい雰囲気に呑
まれて、ついビールのコップを一杯ほど飲んでいました。

普段はインターネットだけの繋がりで、顔と名前が合わない人が沢山居まし
た。ヤーヤー!と言う事で紹介を受けても、はて・・、私のイメージとかけ離
れていた人も居ました。

それから、まさに私の考えていた姿で自己紹介をしてくれた人も居ました。
そんな人はまさに、心の中でニタリー!と笑いが込み上げて来ました。
私の百姓の無骨な手で握手するとまるで、マシュマロの様な柔らかい手で
まさに都会人と感じました。

2席のテーブルからまるで交互に笑い声と、ヤー、ヤー!と言う言葉でま
さに飲み会
の楽しみが咲いた様でした。日本語で話して、違和感無く通じる言葉で、
久しぶりに少し身体に吸収されたアルコールで、ほんわか・・・、となり心も
身体も酔っていました。

美人の若い女性もグビー!と杯を重ねて、それは盛り上がりも良いところ
でしたが、そんな楽しい時間はチョイとで過ぎて行き、また終わります、
名残惜しい時間でしたが、居酒屋の前で記念写真を皆で写して解散となり
ました。

その夜、定宿のカプセルホテルでは、お帰りなさいと言う事で、同じベッド
を用意してくれていました。
寝る前に大浴場でのんびりと汗を流して、ボーと浸かっていましたが、今
日の楽しいオフ会を思い出して・・・、

『幹事さんどうも有難う御座いました。楽しかったですよー!』とつぶや
いていました。

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