2013年4月22日月曜日

第3話、伝説の黄金物語、(73)


 戦時下の金鉱ブーム

カンポグランデに滞在して、モレーノ達は正確な航空写真を撮影して、綿密
な情報を集めて来た。
若い社員も張り切って、飛行機に搭乗出来る喜びと、自分が探して来た新
しい金鉱の情報が間違いなく、大きな情報であった事に満足して居るようで
あった。
モレーノもペドロも段々とその詳細が分るにつけて、興奮してくるのが分った。
事実を目にして情報の大きさを再認識していた。

サンパウロに帰って来ると早速、航空写真を前に皆で今後の作戦を練って
いたが、まず国有地なので、ブラジル政府との土地の借用を願い出て、正
式に開発する事を考えた。
それは先日知り合ったユダヤ人のラビの資格を持つ会計士に頼んで、ブラ
ジル国有地の賃貸契約も代行をしてもらう事を早速頼んでいた。

彼はブラジルのコネ社会の裏を知っている人物で、金鉱発掘はその産金量
の割合で、税金としてかなりの割合を納めなくてはならないので、そこで商
売として、ビジネスを開く事だけで賃貸契約を願い出て、各地で物資運送と
資材販売の永い実績で簡単に許可が降りた。

富蔵達は航空機の輸送力があるので、どんな僻地でもパラシュートで物資
投下が出来る事が最大の強みであった。
サムも倉庫にストックされている物資投下用のパラシュートを早速出して来
ると、用意を始めていた。
モレーノはりオ・ベールデから若い元気がある男達を10名ばかり先発隊と
して、水上飛行機で送り込むと、金鉱側の平地のジャングルを動力エンジ
ンのチエンソーで伐採して敷地の用意を短時間で終らせていた。

DC-2の輸送機からまとめてパラシュートが落とされた機材と資材が瞬く
間に小屋を作り大型のテントが張られ、囲いの塀が作られ、屋根の上には
ブラジル国旗が飾られた。

自分で金鉱発掘より、大勢のガリンベイロ達が掘り出す金を吸い上げる事
がもっと早く、確実である事を学んでいたので、今回は国有地での採掘で
は間違いなく商売で、物の販売と砂金での交換が有利となっていた。

かなりの数の砂金掘り、ガリンペイロ達が富蔵達の商店を目当てに食料や
資材の購入に直ぐに来ていた。永年の実績で何を現場で必要とするのか
分っているので、それらを十分な量と価格で店先に積み上げていた。

彼等が注文する機材もかなりの速さで僻地のジャングルまで持ち込んでい
たが、それ相当の代金が支払われて、採算が十分に合う商売であった。

特に彼等が希望していたエンジン付き高圧ポンプはかなりの利益が出てい
た。彼等は現金の代わりに砂金を差し出して来たので、正確な秤で評価
して商品と交換していたので、たちまちその噂が広がり、かなり遠くから
でも砂金掘達が直ぐに来る様になった。

彼等が掘り出した砂金は現金と交換する時は政府の出先機関が出した金
交換所だけしか交換を認められなく、税金を払う事無く砂金を現金と交換
する事が出来る代わりに、2割は安く彼等は売らなくてはならなかった。

富蔵達のビジネスは彼等が不満であった高額な現金引換えの手数料を取
られる事に対してそれが作用して、砂金と商品の交換は市場相場の両替
で、ビジネスが急激に伸びて行った。彼等が毎日消費する食料や燃料は
数が集まれば、膨大な量となっていた。

それから独身者が多い荒れた世界では酒や女が付きものであるが、政府
の国有地内ではトラブルの原因となる酒・女・賭博はご法度で禁止され、
僅かに週末の昼間に酒が僅かに飲める場所が役人の監視で開かれてい
た。
富蔵のアイデアで移動野外映画館を開くと、びっくりするくらいの人間が何
処からか集まり、アメリカ映画の活劇映画と美人のダンサーなどが肌をあ
らわに踊る映画などは、男達の要求と重なり、暗くなる前から長い列が出
来ていた。
それにパン焼菓子職人を二名送り込んで大量に焼いた菓子やパン、ブラ
ジル名物の焼肉のシュラスコの串も売られたが、直ぐに売り切れで、肉も
空輸では足らなかった。
肉牛を毎月100頭ばかりジャングルを越えて送り込む事に成功して、
現場で毎日3頭が肉にされていた。

肉とパンとフェジョン豆だけの食堂も大繁盛して、どんな雨降りでも、小屋
の中に座って暖かい料理が安く、腹一杯食べられる事は皆の希望であった
ので、かなりの金を稼ぐ事になった。

他の人間は絶対に真似が出来ないビジネスで、私設の制服警備員がライ
フルと拳銃を腰に店と食堂を常時警備して、奇麗に店前と広場は掃除され、
自家発電の電灯の光り輝きは人を誘蛾灯の様に引き寄せて、賑やかに
一つの町として機能していた。

看護士を雇い、診療所に常駐させていたので、簡単な治療と医療は出来
て、薬品類もかなり揃えていたので、何かあると皆が頼りにしていた。
緊急の患者は飛行機の便があれば直ぐにカンポグランデの町まで運び出
して病院に担ぎ込んでいた。

オフイス内には短波無線機が取り付けられ、電報と手紙の取り扱いもす
る様にしていたので、ジャングルの中で完全な町の機能も出来あがって
いた。
オフイスの壁を利用して作られた私書箱も貸し出され、手紙がジャングル
の辺地まで、時間は掛かるが、カンポグランデの事務所経由で届く様に
なった。
ブラジル政府の監査官が巡回して来たが、富蔵達のビジネスのシステム
を見て、驚嘆していた。全てブラジル連邦政府のガイドラインを受け入
れて法の下で運営され、清潔さと、秩序が保たれ、暴利のビジネスもな
く、酒と賭博に売春婦の無法地帯などはまったく無縁で、野外映画館に
並ぶ砂金掘り達の姿を見て、監査官が驚いていた。

その監査官がサンパウロに帰り、富蔵達のブラジル国有地の賃貸契約
書を作成したラビの資格を持つ友人の会計士に、『良い会社を紹介して
くれた・・』と電話して来たと後で知った。

ブラジル連邦政府の郵便運送業務も委託契約していた事が評価され、
今回の借地契約が重ねて大きな信用を得たと富蔵達は感じていた。

時は動き、1939年は欧州戦線が拡大してポーランドがドイツに占領
され、英仏がドイツに宣戦布告を通知して第2次大戦が勃発した。
翌1940年、フランスがドイツに降伏して、9月には日独伊の三国軍
事同盟が成立した。
ブラジル国内も急激な情勢変化が見られ、政治と経済が大きなうねりと
なって動き出していた。
ダイアモンド商会やスミス商会の社長や幹部達が密かに富蔵達を呼んで、
世界情勢を説明してくれ、直ぐに日本も戦場に突入すると教えてくれた。

用事で会計士の事務所に行くと、そのラビからも避けられない戦いが始
まると言うと、日本の家族と何か連絡や、物を送りたかったら直ぐに行
動すると様にと勧められた。
開戦となればブラジルは敵勢国の資産凍結、送金停止、指導者の強制
収容などが起きると説明してくれた。

1913年8月、ミナス金鉱移民がブラジルに日本から到着してから
幾歳月、ミナス金山と契約した107名の者が、マルセイユまで日本船
三島丸で、そこからはフランス船フランス号に乗ってリオに到着した、
唯一の金鉱移民としブラジルに来てから富蔵達の世代までの永い時代を
経て、日本人の金鉱掘りの歴史も断絶となるかと考えると、富蔵は実感
として心に危機を感じていた。

それを感じると直ぐに富蔵は自分達の生き残りの行動を起こしていた。

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