2013年4月24日水曜日

私の還暦過去帳(367)

 

 
訪日雑感(19)

熊本滞在も最後の日でした。
目が覚めて、成田に宅配便で送るトランクの荷物を整理して、空きがあ
る場所にお土産を買い足す事を考えていました。
朝食が終わり、それから少し買い物に歩きました。

近所でもすぐ側ですから気軽に歩いて行けるショッピング・センターです。
子供の頃は、そこは阿蘇地方から豊肥線で送られてきた材木の集積地
で、製材所が在った場所でした。

かなり広い場所で、製材された木材が貨車に積み込まれているのを見
ていました。南熊本駅裏ですが、ノコクズの山が積み上げられ、杉の香
りが漂っていた懐かしい昔の場所でした。

三軒ほどのスーパーを歩きましたが、私が買いたい物が何でも有りまし
た。中々、アメリカで探すと見つからない物も、簡単に探す事が出来て
喜んでいました。買い物袋をぶら下げて帰りましたが、皆が自転車か
徒歩で来ていましたので、近所の方が多いと思いました。

荷物の隙間にお土産を入れて用意が全部出来ましたので、宅配便に
連絡すると昼前まで荷物を取りに来てくれると言う事で、安心致しました。
いとこと宅配が来るのを待っていましたが、予定どうりに来てくれ、これ
で帰りの荷物の心配が無くなりました。

それから近所の有名な豚骨スープのラーメンで通称、熊本ラーメンを
食べる事になり、それから宮本武蔵が修行で洞窟に篭り、五輪の書を
書いた『霊巌洞』を見物に行く事にしていました。

美味しいラーメン屋を再度訪ねる事になり、近所の店に行きましたが、
かなり混んでいました。私の次男が昔、熊本を訪れてその味を知り、豚
骨スープに病み付きになって、今でも食べたいと言うラーメンでした。

私は何度も食べた事が有りますが、いつ食べても美味しく感じるラーメ
ンです。代麺も追加して食べ、久しぶりにラーメンで満腹していました。

食後にいとこの車で、霊巌洞見物に行きました。次男も熊本は何処を
見たいと聞かれた時に、すぐさま宮本武蔵の『霊巌洞』と言った様です。
理由はアメリカで英訳の『五輪の書』を読んでいたからだと話していま
した。
大学で合気道を習い、ハカマを許されるまでになりましたが、木剣での
練習と、小太刀での組型で、剣道にも興味があったようでした。

黄色く色付いたミカンが鈴なりに茂っているミカン畑を通り、有明海の
穏やかな海面の輝きを遠くに見ながら坂道を登って行きました。

昔、私の父もそこを訪れて、五百羅漢の石像写真を沢山写して飾って
いました。思い出しますが、父が引退後にカメラをさげて各地の仏閣を
訪ねては仏像や、石像などの写真を写すのが趣味でした。

その父も22年も前に亡くなり、そのカメラも形見分けで弟姉妹など、親
戚に配られて1台も残っていません。
母が元気な時には家の茶の間に、その写真が飾られて居ましたが、
その家も今では無く、全てが過去に消えて行きました。

一人、一人の表情が違う石像の立ち並ぶ姿は160年も昔に奉納され
たと言う事で、洞窟まで歩く道脇に立ち並んでいました。
訪れる人もまばらな参道です、静かな静寂と山の澄んだ空気が感じら
れる場所でした。
霊巌洞の前で昔を偲びながら、ここで聖剣といわれた宮本武蔵に思
い耽っていました。宝物館に陳列されている、巌流島の戦いで使われ
たと言う木剣があり、見入っていましたが、時を隔てて彼の歩いた歴史
の一点が凝縮していると感じていました。

その夜は、いとこ二人の招待で近所の豆腐料理をご馳走して貰い、食
べながら子供の頃の話が尽きませんでした。

明日は新幹線で東京に戻る予定で、すでにキップを手配していました。
朝早い時間に熊本駅を出発するので、またいつ来るかと考えていまし
たが、名残惜しい気分が心に湧いて来ました。

いとこの家に料亭から戻り、私も東京で母校の収穫祭と仲間のオフ会
に参加してから、アメリカに戻る帰り支度が全て終わり、安心したのか
ぐっすりと寝入っていました。

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