2013年4月26日金曜日

第3話、伝説の黄金物語、(74)

世界情勢の激変、

富蔵達は世界情勢の緊迫感から、紙の紙幣からゴールドの金塊に変えら
れる経済世界を見ていた。
何か・・、いつも世界のどこかで紛争や、政治経済の緊迫感が起きると
必ず金の価格の上昇は今も昔も同じ様な現象が起きる事は間違いないこ
とである。

ビジネスでも、戦乱の紛争が起きると買い溜め、売り惜しみなどの情勢
が出て来た。産業界で一番重要視される石油エネルギーは、特にブラジ
ルのように当時は石油開発や精製する能力不足から高価となり、不足し
て政府統制の品目となっていたが、すでに備蓄を済ませている富蔵達の
ビジネスは心配が無かった。

皆の世界情勢緊迫の忠告を、それを重大に感じると直ぐに富蔵は自分達
の生き残りの行動を起こしていたが、まずは不足する物をかなりの資金
を使い、倉庫もあるので買い占めて物資貯蔵を始めていた。一つは日本
人移住地に住む人達が、今では買うことも出来ない様な品物も集めてい
た。それにはコネと人脈と、懐豊かな資金が何よりも役に立っていた。

貴重な小型高圧 ポンプなどはドイツ製からアメリカ製品に切り替えて
いたが、すでに輸入している品物はパーツの在庫を積み増した。
製品管理をしていたメーカーの従業員を引き抜き、部品のブラジルでの
生産も始めていた。
サムのサンパウロ郊外の飛行場近くには十分な敷地があったので、倉庫
兼用の工場も作られて、出来る限りの製品輸入も計り、ゆとりある資金
を使って対策を済ませていた。

富蔵は日本の参戦を完全に予測して、内密に日本の親兄弟にまとまっ
た金を送り、その準備と物資の買い溜めを指示していた。
あくまでビジネスとして家族に指示していたが、家族も薄々、戦局の緊
迫に気が付いて居た様であった。そしてそれが日米開戦で全て途絶して、
初めて富蔵の考えが親兄弟に理解された。
ブラジルでは国内の情勢から、富蔵達の会社も役員改選を行い、サムを
代表にして、モレーノを副社長格に上げて、副社長は3名として各地の
責任者としていた。
リオ・ベールデの根拠地はアマンダ兄弟から副社長として長男が責任者
として経営の統括をしていた。
富蔵はサンパウロ地域の責任者として副社長の影に隠れて居たがそれは
表面だけで、大きな力を持っていた。ヨーロッパから逃亡ユダヤ人達が
南米に逃げて来るルートも確立して、ブラジル航路の貨物船に英国から
重要人物や、ブラジルやアルゼンチンに家族が居るユダヤ人達が乗船し
ていた。

欧州戦局の重大さが連日報道される様になると、生ゴムなどの戦略物資
が極端に不足してきた。その頃のドイツでは、天然の生ゴムなどは殆ど
がブラジルとマレーシア半島からの輸入に頼っていたので、密かにスミ
ス商会のスエーデン駐在の幹部に内密に交渉があり、スエーデン経由で
幾らかでもブラジル産生ゴムが欲しいと内密な打診が来てい
た。
スミス商会は富蔵達に、サントス港の倉庫に積まれている天然生ゴムを
分けて貰えるか相談が来ていた。金の延べ棒と交換であったが、重要な
ユダヤ人が北欧に逃げる途中で、ベルギー国境で逮捕され、何とか重要
な情報を英国にもたらす為に是非とも協力してくれと、社長自身がサム
の事務所まで頭を下げに来ていた。
英国諜報機関からも、ダイアモンド商会の社長を通じて協力要請が来
ていた。

最終交渉にサンパウロに皆が集まり協議したが、スミス商会、ダイア
モンド商会の両社長と幹部達数名、ドイツ利益代表の中立国スウエーデ
ン人関係者、英国大使館の担当係官が一同に会して、サムと富蔵の英語
が分る二人が出席した。

穏やかに話しは進み、10トンの生ゴムに金の延べ棒と、囚われて居
る逃亡ユダヤ人の10名を付ける事で最終決着した。ユダヤ人の10名
のリストは、こちらから指名の人間でも良い事となった。

この事は早速、ユダヤ人会計士のラビの資格を持つ男に至急の連絡が
入れられた。指名する人間の人選枠で7名も余裕が出たからであった。
3名は英国政府の重要指名者が当てられた。
その夜、富蔵とサムが会合を終り、スミス商会手配のホテルの部屋に戻
ると同時に、ラビが駆け込んで来た。他にも3名のユダヤ人風の男達が
後ろに控えていたが、部屋に招き入れ、手短に今日の取引の粗筋を話す
と、後ろの男一人がサムと富蔵の前にひざまずくと、両手を合せて祈る
ようにして、二名の家族を助けたいと懇願してきた。

サムもユダヤ系アメリカ人なので、誰か英国に逃したい人物が居るか
富蔵はまず聞いた。サムはしばらく考えて居たが、生きていればと前置
きして、一人の女性の名前を言ったが、他の二人にも富蔵は聞いたとこ
ろが、一人は三名の家族で、他は妻が一人だと言った。
これで7名となったので交渉の人員枠が満杯になったと言って、各自に
交換する人員の名前から年齢、前住所、旅券番号なども重要な情報を得
ると用紙に記載して整理していた。
それが終るとワインを開けグラスに注ぐと、富蔵が『貴方達が信じる
神に成功を祈る』と言うと乾杯した。
翌日、ドイツ利益代表の中立国スウエーデン人に関係書類が渡され、
5日先にサントス出港のスウエーデン貨物船に生ゴムが積載された。

ついに1941年11月のカレンダーが剥がされた。12月のページが
飾られ緊迫感は否応に増した。もはや世界大戦が避けられず、日本は石
油、鋼材などの原料資材が全てアメリカから禁輸となって、その開戦時
期を秒読みしていた。

富蔵達は日米開戦となれば金の値段が跳ね上がると読んでいた。かなり
のストックも出来ていて、ビジネスとしてのチャンスも迎えようとして
いた。
刻々と迫り、激変する政治情勢が、国家間の狭間で戦争と言う力の対立
に激突する秒読みが、カウント・ダウンの速さで進んでいることを感じ
ていた。すでに7月25日には在米資産の凍結などが行われていた。

ダイアモンド商会の社長から電話があったと同時に、スミス商会から
も電話が来た。
電話の内容は簡単に『日本海軍がアメリカ海軍基地、オワフ島真珠湾
を奇襲攻撃した』ということだけであった。

ついに運命の時が来た、1941年12月7日、日本時間12月8日、
オワフ島の真珠湾攻撃に火蓋が7時49分に切って降ろされた。

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