2013年5月3日金曜日

第3話、伝説の黄金物語、(76)


サムの結婚式、

世界中を巻き込む第2次世界大戦は熾烈をきわめ、段々と資源を持つ
国が底力を出すようになって来た。
アメリカも全ての産業がフルに活動して、軍需産業もイギリスなどの友
好国に巨大な量の食料、軍事物資が大西洋を越えて送り出されていた。

ブラジルも食糧生産をフルに生かして、多量の余剰食料品をヨーロッパ
戦線に送っていた。ダイアモンド商会はビジネスチャンスを逃さず、スミ
ス商会と連携して物資の調達と積み出しの業務をしていたが、ある日、
サムが興奮してオフイスの電話で話している様子を富蔵は見ていた。

電話が終ると、あまり感情を表に出さないサムが、ハンカチで涙を拭き
ながら、感情を抑えて嗚咽していたのには、富蔵も初めてのことで驚い
ていた。
しばらくして、富蔵はコーヒーを入れたカップを手に、サムに話し掛けた。

サムはコーヒーをゆっくりと飲み干すと、彼女がスエーデン貨物船で無
事に英国に上陸して、アメリカの貨物船で明日、ブラジルのサントス港
に向けて出港すると連絡して来たのであった。

貨物船はアメリカ海軍の海上護送船団の中に入り、潜水艦攻撃から守
られて大西洋を渡るという連絡があったが、サムを泣かせて、彼の涙
を絞り出させた出来事は、彼女の娘がサムの子供であったと告白され
たからであった。

彼女がアメリカ滞在中にサムと知り合い、二ユーヨークで楽しく過ごした
時に宿した子供がサムの子で、ドイツに帰国した彼女はその様な事は
一切口に出さず、事業に打ち込み、成功させ、その娘を育てていた様
だった。

しかし、サムがどうしても彼女を忘れられなく、交換人質の中に彼女の
名前を入れたので、奇跡的にガス室送りになる前に、親子で助け出さ
れたと聞いて、泣きに泣いた様であった。

中年になっても付き合いの女性は居ても、結婚しなかった理由が富蔵
には分った気持ちで、それを聞いてほろりとしていた。
サムは貨物船がリオに寄航するので、そこまで出迎えに行くと興奮して
富蔵達に話していた。

それからが大変で、サムは毎日の通常業務など全て放り出して、二人
を迎える入れる家の準備をしていた。サムはその日から大工とペイント
屋に変身して、彼の住む家を大改造して、家具から絨毯まで新しく揃え
ていた。

キャビネット職人が来て、キッチンも全て新しくすると、棚なども全て新
装に変えられ、皆が驚く工事の速さと、驚きのサムの変身ぶりに目を
見張っていた。
飛行場から少し離れた湖の水上飛行機発着場近くの、見晴らしの良い
高台にある彼の家は直ぐに『サムの御殿』と皆が呼ぶようになった。

リオ行きの予定も彼のスケジュールに合せて飛行計画が立てられ、貨
物船の到着1日前にサンパウロからリオに飛ぶという計画が立てられ
ていた。
貨物船は護送船団の鈍いスピードに合せて、大西洋を横断してその後、
単独でリオに向かって航海して来た様であった。

貨物船が到着1日前に、モレーノがサムを搭乗させてサンパウロを離
陸していった。
富蔵はサムの代わりにオフイスの采配をして、事務の仕事に精を出し
ていたが、離陸して2時間ばかりして、サムの友人と言うアメリカ人か
ら電話が来ていた。

それはアメリカから飛んで来た、ダグラスDC3の輸送機の副操縦士が
盲腸で緊急に入院して、帰りの操縦の都合が出来無いと相談してきた。
誰か副操縦士の代わりに操縦席に座ってくれる経験のある操縦士が居
るかと言う相談連絡であった。
その操縦士はサムと陸軍航空隊時代の同僚と名乗っていた。

富蔵はDC3が駐機しているリオの飛行場近くに滞在していると言うこと
で、早速サムが泊まるホテルを紹介して、彼と直接話すように勧めた所
が、二つ返事で了解してくれた。

その夜、事態は急展開してサムから電話があり彼女と娘をリオで下船さ
せ、DC3輸送機の補助椅子に座らせ、サム自身は副操縦士として、
サンパウロに戻ってくると言う事であった。
その翌朝、モレーノが仕事を済ませて戻ってくると、飛行服のままオフ
イスに入って、ユダヤ教ラビのヨゼフ氏に電話していた。

『 貴方の関係する人達もサントス港に直ぐに間違いなく到着するので、
それは我々の世話と助力であるので、このたび社長のサムが結婚する
ので、全て貴方の責任で結婚式を取り仕切って貰いたい』と、申し渡
していた。

しばらくすると事務所にラビのヨゼフ氏が駆け込んで来た。
今朝早朝にリオの港に到着したアメリカ貨物船に同時に乗船していた、
3組の家族も出迎えた家族達と涙の再会を果していた事をモレーノは
目撃していた。そして・・、
その事は直ぐに電話でラビのオフイスにも連絡が来ていた。

サムもタラップを駆け上がると、エバという名前の彼女と娘を一緒に抱
きかかえると、廻りの人目もはばからず男泣きに泣いて居たと言う事で
あった。
新婚旅行は飛行機で二ユーヨークまで家族で飛ぶから、3日の後に
貴方の采配でユダヤ教での二人の結婚式を執り行って貰いたいとラビ
に申し渡していた。

モレーノはサムからエバがアメリカで出生して、ドイツに幼少の頃、両
親と帰国した時のアメリカ政府のパスポート番号、二ユーヨークの病院
での出生証明などを預かっ来ていた。

ラビのヨゼフ氏はそれを見るとダイヤモンド商会社長とスミス氏に電話
すると、すぐさまアメリカ大使館でエバのパスポートの再発行と娘の
マギーのアメリカ入国許可証が発給されると連絡して来た。
娘のマギーが、ドイツでの出生証明には父親としてサムの名前が記入
されていたからであった。

ラビのヨゼフ氏はモレーノから書類を全て預かるとか書類カバンに納め
て、厳かに
『私に全て任せて下さい、旅券の万全の手配と結婚式の全ての責任
を私が負います』と宣言した。

その日の午後、DC3の輸送機が滑走路にサムの家族が搭乗して着陸
した。それを待ち構えていた、ラビのヨゼフ氏から手配されたいた配下
の一人が、直ぐに旅券の写真を写して、書類に彼女達からサインを貰
うと、サムと彼女、娘の身長を測るとまず電話で何処か連絡していたが
その後、書類を持って自動車で急いで市内に戻って行った。

サムはアメリカ陸軍飛行隊時代の同僚と親しく話していたが、3日後に
結婚式をして、同時に新婚旅行をアメリカにするという同僚のアイデア
に感謝していた。

2週間後に二ユーヨークからまたサムと飛行機を操縦して帰ってくる時
には、入院している副操縦士も完全に治っていると言う事で、全てが
上手く行く予定であった。

結婚式前日、ラビのヨゼフ氏一行が車やトラックを連ねて来た。
結婚衣裳が試着され、靴や持ち物まで揃えられていた。トラックには結
婚の贈り物が積まれて何処でどう揃えられたかと考えるような早業であ
った。

翌朝、豪華なリムジンがサムの御殿の前に停車して正装の二人を待っ
ていた。ラビのヨゼフ氏の代わりに、全ての要件をテキパキと進めて采
配する若い男が二人居て、流れる様に物事をかたずけていた。

サムとエバが結婚衣裳で玄関に出て来ると飛行場の従業員達が並んで、
花びらを撒き歓声を上げていた。エバの後ろからはドレスのすそを持っ
た娘のマギーが歩いていた。

その日の正午にユダヤ教会で厳かなサムとエバの結婚式が執り行われ、
午後からは近くのホテルで披露宴が開かれた。
同じアメリカの貨物船に同乗してきた逃亡ユダヤ人達3組も家族達と全
員が出席して結婚を祝ってくれた。

翌朝9時、飛行場にはダグラスDC3がエンジンを響かせ、皆の見送り
でサムと妻子が同乗して次の着陸地、アマゾンのべレム目指して飛び
立って行った。

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