2013年6月3日月曜日

私の還暦過去帳(377)


『私のサッカー嫌いはなぜか!』

先日から2回続いたオールジャパンの選手達の応援で、TVの前で目
を凝らして見ていました。

昨日は宿敵の韓国を6対2で降ろして、決勝進出を決めて勝利した時
は、パチパチと手を叩いて喜んでいました。

以前は余り野球などは好きでは在りませんでしたが、ワイフが野球を好
きで良く見ていますので、ついつい私も一緒にTVを見る様になりました。

私が好きなのは相撲です。これは見れないと何となく勝ち負けをインター
ネットで探して見ている程です。
この相撲好きは父親からの遺伝ではないかと思うくらいです。

私の父は相撲となるとTVの前で座って離れませんでした。余り大騒ぎ
をして見る事は在りませんが、ここぞと言う一番は、それー!とか掛け
声が出ていた様でした。

何かそんな事も遺伝したのか、私もここと言う一番ではオヤジの真似で
は在りませんが、それー!とか掛け声で声援いたしておりますが、時々、
余りの情けない負け方をすると、時々、『白豚の様に太っていては転
ぶのもあたりまえー!』とか野次を飛ばしております。

ワイフなどはその私の野次を、『また始まった・・!』と言う様な感じで
チラリと見ます。
相撲が終わると次の場所まで、待ちどうしい感じが致しますが、今では
外人力士が多くなり試合中に野次を飛ばすのも、自分が付けたあだ名
で呼んでいます。

ここでは書けないあだ名で『さっさと引っ込めー!』とか私の好きなひ
いきの力士が土俵で簡単にやられると、怒鳴っている時があります。

それからしたら、アメリカーン・フットボールとサッカーはどうしても馴染
めません。特にサッカーは今では体質的にまで嫌いになっています。
昔の話ですが、サッカーと言うスポーツは南米に移住するまで何も知り
ませんでした。

アルゼンチンで農業をしている時に、サッカーでは狂信的なサポータ
ーが居る事も知りました。

45年も前ですが、試合場に何万と言う観衆がチームのカラーとユニ
ホームを着て、どんちゃんー!ガンちゃんー!とやり始めて、一種の
催奇的な興奮状態とそれに加えて、アルコールが火をつける役目もし
て、それは酷い状態を何度か目にして、暴動かと思うくらいの大暴れ
の観客達の乱暴狼藉の様を見て、肌で拒否感が出来てしまいました。

サルタ州の奥地で農業をしている時でも同じでした。

町で祭日を記念してサッカーの試合が開かれ、サポーター達が、仕
事を休んで町にトラックで出払い、農場はガラーン!として、労務者
達が居ません。

作物は待った無しの時間で勝負です。特にトマトの収穫では、ブエノ
スの市場に出すトマトは収穫時期が重要でした。トマトの頂点が僅か
に10%程度赤く色が出た時が最上の収穫です。

収穫して選果して、箱詰して、トラック運送で2日間走ってブエノスに
到着する頃には、丁度70%程度赤く熟れて来ていますので、その
状態が最高の市場価格が出るのですが、熟れ過ぎると、価格が半値
以下になる時が有ります。

店では日持ちしないトマトは買わないからです、それにしても収穫時
期に労務者達に休まれると、大損害となります。

一度、祭日と重なったサッカー地域代表の試合で、給料も貰い、労
務者達がゴッソリ農場から居なくなりました。

慌てたのは支配人の私と、農場主でした。
酒とコカの葉が入ると、後は火を見るより明らかな事でした。

オーナーが『最低人数でも町から連れて帰れー!』と言う事で、トラ
ックで町に出ました。
どの労務者も使い物にならないほど、へべれけに酔って、コカを噛
んでのびています。
中には溺酒で完全に沈没しているインジオ達も居ました。

そんな労務者はそのまま放置して、何とか意識があり、歩ける者だ
けを集めていました。
見ただけで頭に来て、『こんちきしょうー!』と言う事で、歩ける者
だけ探して、トラックに放り上げて、乗車させましたが、数が少な過
ぎます。

最後は私が自棄酒を飲む始末で、酔った勢いで、酒瓶を取り上げ
て喧嘩腰でトラックに放り込んでいました。

やっとかき集めた労務者達をトラックに乗せてての帰り道、ゲー!
と吐く者、まだトラックの上で酒をラッパ飲みしている男なども居ま
した。

トラックを運転しての帰り道、『こんちきしょうー!サッカー試合
めー!キチガイどもメー!』
と言う事で、サッカー試合などは聞いただけで体質的に嫌いにな
りました。

インジオ達がサッカーボール代わりに農場の昼休みに、洋ナス
の大きくなりすぎた物を蹴って遊んでいるようでした。

正式なサッカーボールは中々買えませんので、丁度良いサイズ
のナスの大きさを蹴って遊んでいる姿を思い出します。

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