2013年5月30日木曜日

私の還暦過去帳(376)


 旅はバスに乗って・・!

去年は引退してから、あちこちと歩きましたが、泊まる宿にも色々ありまし
た。先ずは08年の1年間で約3ヶ月は旅に明け暮れていましたので、色
々な所に宿泊いたしました。

旅の道中で、長距離バスの中で眠った事も再三でしたが、夜が開けて
ふと目を覚ますと、まったく広い荒野をバスが疾走しているという事も有
りました。

私はなるべく夜行バスは遠慮していましたが、路線により夜行バスが多
い所もあり、長距離バスは夜間、混雑が無いハイウエーを走る事が多い
と感じました。

チリのアリカから、サンペドロ・デ・アタカマに行くバスも夜行の長距離バ
スでした。ペルーのタクナからタクシーで国境を越えて、そのまま市内観
光などして、時間を潰してから、バス・ターミナルまでタクシーで行きました。

そこのカフェテリアで食事を済ませて、コーヒーを注文してテーブルでね
ばりながら、パソコンで旅日記などを書いていました。
夜の8時過ぎると、ターミナルからは長距離バスがドンドンと発車して行
きました。カフェテリアのテーブルも空きが目立つようになり、沢山の荷物
の山が消えて行きました。

私達夫婦も予定時間になり、その前にトイレに行きましたら有料で、そこ
のおばさんが5円玉を見せて同じコインを持っていたら、それでタダにし
てあげると言うのには驚きましたが、残念でしたが、財布にあるのは45
年以上もお守りで入れて居る5円玉なので断りました。
地球の裏側まで来て、トイレで5円玉をねだられるとは驚きでした。

そこでは国境を越えるバスが多いので、荷物検査が厳重でした。
長距離バスで街道を走ると夜間でも道路検問でストップされ、検査台に
荷物を載せさせられて、検査犬がクンクンと見に来ますので、寒い高地
の吹きさらしの外で立っているのは辛い事でした。

時には係官が怪しそうな荷物を開けて検査していましたが、どこか職業
的な感があるのか、犬より早い感じでした。

アルゼンチンではサルタから、パラグワイの国境の町、クロリンダの町
まで長距離バスに乗車していたときは、国境警備兵が2名一組で、バス
内まで来て検査していました。

しかし、パスポート所持者は旅券検査だけで荷物検査はありませんでし
たが、乗客のローカル住民は全員、荷物を検査台に載せられて検査を
受けていました。
ドラッグ検査が厳しいと思いました。パスポート所持者は3名で、車内で
待機させられ30分程度待たされましたが、チリからアルゼンチンに同じ
く長距離バスで入国する時は、同じく現地人のローカル色ばかりの荷物
だけに検査が厳しい様でした。

普通のバックパックなどと、普通のキャリアバッグなどは検査無しでした。
見ていたら、大きな布袋の入れ物を持ったボリビア人のおばさんは、徹
底的に中身を出して検査されていましたが、何か食べ物をつまみ出され、
『これはダメだー!』とか言われていました。

そこは何も無い荒野にポツンと建っていた国境検問所でしたが、寒風に
千切れるようにアルゼンチン国旗がはためいていて、検問所裏はまだ
厚い氷がガチガチに凍っていました。

側の小さな掘っ立て小屋で熱いコーヒーを買い飲んでいましたが、駐車
場に中古の日本車を積んだトレラーがチリ側から来ているのが見え、聞
くとパラグワイまで運送するようでした。
左ハンドルに改造して使用されるようでしたが、はるばる地球の裏側ま
で輸入される中古日本車には驚きました。

しかし、陸続きの大陸は国境と言っても何も在りませんが、道路端に石
の標識と、国名を記した看板ぐらいでした。

驚いた事に、チリからアルゼンチンのサルタ州まで抜ける国道と言って
も2車線の狭い道路です、チリの出国検査はサンペドロ・デ・アタカマの
町外れにあり、1時間近くバスで走ってから、アルゼンチンの入国検問
所でした。

その間は荒涼とした半砂漠地帯で、野生ビクーニアの群れを見たぐら
いで、凍った水溜りと積雪が僅かに残る標高4千m近い山岳道路でした。

国際長距離バスは週に3回、アルゼンチンと往復している様ですが、バ
スは満員でした。殆どがバックパックを背負った若者達でしたが、その
コースはかなり人気があると思いました。

アルゼンチンからパラグワイ入国もタクシーで国境を越えました。アル
ゼンチン側の国境検問所を出ると、しばらくは潅木の生えたパラナ河の
河川敷を走る感じでしたが、途中で現地人が野豚を木にぶら下げて売
っていたのには驚きましたが、その時、44年ぶりで狩猟の思い出が湧
いて来て、同じ様な野豚を撃った事をなつかしく思い出していました。

パラナ河には現在は見事な橋が掛かり簡単に越える事が出来ます。
パラグワイ側に入るとそこは街中で、首都の中心部まで賑やかに続い
ていました。
パラグワイの首都アスンションから来ていたタクシーでしたが、帰り
の客を探していたので安く交渉して、アスンション市内のホテルまで
60kmばかり乗車いたしました。
荷物があるので楽ちんで、運転手が全部荷物の面倒も見てくれ、入
国検査もここに並べとか、この係官が簡単とか良く知っていました。

バスで国境を越えると検査が厳し場所もあり、乗客全員が検査を済ま
せるまでかなりの時間が掛かり、一度はパラグワイのエンカナシオン
の町からアルゼンチンのポサダまで入国するのに、長距離バスが三
台も並んだので、パラグワイの出国と橋を渡って、アルゼンチン側に
入国する両方で、3時間ほど待たされた事が有ります。

手間の掛かるバスでの国境越えは入国税や出国税を徴収されない
事です。飛行場はかなりの出国税を取られたのがペルーでした。
しかし、陸路での国境越えは格安でした。今回のバス旅行で感じたの
が、標高の高い道路が整備され、陸路で南米各国が繋がっていると
いう実感を肌で感じました。

私が45年前に長距離トラックで通過した道路は、まったく面影さえあ
りませんでした。簡易舗装ではなく、完全舗装の直線道路に変化して
いました。 未舗装の土路が完全に500Km近くも舗装され、フォル
モッサ州を縦断していたのには感激致しましたが、鉄道線路がうち
捨てられ、廃車になった車両が朽ちていたのには寂しい気持が致し
ました。

国道と平行して鉄道線路が草むらに埋もれていたのを見て、40年
以上も前に列車に乗車して、ここを通過したという淡い思い出をバス
の中で感じていました。 

それからしたら、インド旅行中の街道検問は、運転免許の検査と車
両税の支払い確認でした。乗客は一切お構いなしで、荷物も一切触
りも致しませんでしたので余り思い出はありませんが、田舎道で
ギョー!とする様なヤギの大群に路を阻まれて、おとなしく停車して
ヤギ達が過ぎるのを待った事が何度も有ります。

一度などは100mほど長さがある細い、すれ違いが出来ない橋で、
対岸からこれもヤギの大群がノコノコと歩いて来たのには、運転手
も両手を挙げて、橋の手前の道路際で待っていました。
インドでは時々、街道に牛がのんびりと歩いているので、これも田
舎では危険でした。
一度、街道にロバが死んで転がっていたのを見ましたが、車には
ねられたと思います。

田舎街道では時々、車の倍の高さに干し草を満載してヨタヨタと
トラックターで引かれたトレラーが道幅一杯に走っているのは、い
つ見ても驚きでした。
田舎のインド名物で、ラクダが荷馬車を引いて歩いていたのは、
初め見た時は馬と言う事ばかり考えていましたので、最初ギョー!
として見ていました。

インドのバス旅行は我々には時間的に余裕が無かったので、1週
間、運転手付きで車を借りましたが正解でした。
4名で走らせるとバスで行く時間の半分で、料金も少し高い程度で
した。
それで何よりも良かったのは、トイレも好きな所に停車してくれ、
エアコンの効いた車内でローカルの民謡などを聴きながら走るの
は楽チンでした。

遺跡見物などして出て来ると、運転手が直ぐに出口の前で乗車を
待ってくれるのも有り難い事でした。
ガンジス河近くの広大な麦畑の中を近道で走ったときは、そのイン
ドの広大な台地を見た様な感じでした。
そして、一時間近く走っても延々と続くむ麦畑には大陸の広さも見
た様でした。

今度、時間があればアメリカ大陸をバスで縦断したいと考えていま
すし、メキシコにも車で行きたいと考えています。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム