2013年7月1日月曜日

私の還暦過去帳(385)


ハワイは遠くなりにけり

先週、ハワイで親戚を案内して旅をしていました。

私が最初にハワイを訪れたのは、かれこれ34年も前になります。
私が訪れた最初の頃のハワイは、まだ海外旅行が一般的に普及して
いる頃ではありませんでした。

ハワイの街中も高層ビルもまだ少なく、オアフ島の裏側に行くとひなび
た農村の様子がありました。
ドールのパイナップル畑も綺麗に植えつけられた広大な畑が連なり、
収穫されたパイナップルを引いたトレラーが道を行く様を見る事があり
ました。
畑の中では麦わら帽子を被り、一列に並んで収穫機の前で腰をかが
めてパイナップルを切り取る労務者達の姿が見られました。

今では草ぼうぼうに荒れた畑に、『この土地売りますー!』の看板が
出ていました。僅かに残されたパイナップル畑は車内から見ても僅かな
面積と思います。

砂糖キビ畑も同じです、今ではエビの養殖場に代わっていました。
その養殖場の前には獲りたてのエビを調理して食べさすレストランが並
び、様変わりをしていました。
昔の砂糖キビ労務者の住宅も一部はすっかり代わり新しい家が出来て
いました。

町の中を通過していた道路は町の外側を迂回するパイパス道路でコー
ヒー工場にも寄る事が出来なくなりました。
今回で8回目ですが、昔の街は旧カナや漢字で、日本語の看板が出
ていました。そして椰子の木の下のレストランでは、ほのかな白熱灯の
鈍い光に照らされて座るお客の姿を見る事が出来ました。

今ではその店もありません、綺麗なショッピングセンターの様子に変化
していました。店先でコーヒーをローストして、コーヒーの香りが漂って
いた店もありませんでした。

ランチを食べ、暑い日差しを避けて木陰でのんびりと新聞を読んでいた
場所も何処に在るのか分かりませんでした。
全てが時に流され、人々の生活の流れも変化していました。

その事は私が歳を取り、昔しを懐かしみ、思い出を探して、若い頃の
思い出に浸って居るからと思います。
昔ですが、島内を車で廻って歩いていた時に、道を尋ねて聞いた人が
一世の年寄りだった事もあります。
綺麗な花が咲いている生垣を挟んで『何処からきなさったか・・、』
と聞かれた事が有ります。

ワイキキ海岸も今では歩道も綺麗な芝生と石畳の模様の歩道になり、
何処を見ても日本人の家族や若いカップルを目にする事が出来ます。

今では有名なホテルの玄関口には結婚式を挙げた日本人のカップルがリ
ムジンから降りて来る姿を見る事が出来、その着飾ったウエディングドレ
スの豪華さに目を奪われる時があります。

ふと、真珠湾の海軍基地内にある、旧海軍攻撃機で最初に撃墜されて
戦死したパイロットのメモリアルの碑に50年を経てその日本軍パイロットの
婚約者が花束を添えに来たと言う話を思い出していました。

時代の変遷は時の老化現象と言った人が居ますが、何かその言葉が身
に染みます。

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