2013年7月10日水曜日

私の還暦過去帳(389)


石は口より言葉を言い・・、

1964年の8月4日に日本の横浜港から移民船アフリカ丸で片道パ
スポートで移民してはや・・、幾く歳月、月日の流れは「光陰矢の如し・・」
と感じます。

私の今まで歩いた人生の道筋から思うとーー!

時間とは二度と戻っては来ない人生の大切な時、
時間とは自分に神から与えられた、未来の空間、
時間とは己が安住の地を探す大切な夢の空間、
時間とは金でも買えない、新しく作る事が出来ない空間、
時間とは己が産まれて死ぬまでの一瞬の宇宙の空間、
時間とは自分から追いかけて夢にして手にする空間、
時間とは日本になく異国の灼熱の砂漠にあるかも知れない空間、
時間とは異国に夢として転がっているかもしれない空間、

とか・・、いつも感じています・・、

今まで沢山の方々の生き様を見て来ましたが、それぞれ、己の人生の時
間を燃焼して人生の幕引きをして行かれたと感じます。

移民船アフリカ丸は私が移民する前に、ドミニカ移住者を乗船させた縁で、
ドミニカ移民の悲惨さの、その非を正す為に日本政府に義憤を向けた事も
あります。
これまで遠い異国の草葉の陰で墓石となって埋もれて行った方々も沢山今
まで見て来ました。

私の様に平穏で平凡な人生を自然を相手に農業と言う自然の恵みを神から
おすそ分けして頂く仕事に掛けていました。
自然が一度怒り狂うと人間の力など無力に近いと感じます。

また、人間の力の偉大さもマチュピユの遺跡を見て感じました。
鉄器の道具を持たなかったインカの人が、どうやってあんな山の上に巨石
のインカ文明を築いたか?
3千メーター近い山中のインカ街道の石畳道を歩いて、車という運搬手段
が無いところでどうしてこの石を運んできたか?

クスコの街でカミソリの刃一枚も通らない隙間の石組みを見て、遠くの昔に
この石の前で黙々と仕事をしていたインカの人々を見た気が致しました。

クスコの裏山の近くの遺跡で、50トンもある巨石が平然と並んでいた様
子は驚きと同時に、彼等の知恵の素晴らしさを心感じましたが、また当時
の文明人と言われたスペイン人の野蛮さも感じていました。

ペルーで、アルキパからチバイ峡谷に行く途中に立ち寄った教会の在る小
さな町で朝日に輝く教会の尖塔の高さと、教会の巨大さがインカ侵略者達
が宗教と言う武器でインカの住民達を平定したと感じました。

寒々とした白い教会の冷え切った建物がむなしい虚無の姿に見えました。

ガイドが話していたスペイン人の侵略当時は、キリスト教を否定して反抗す
る住人達を宗教裁判に掛け、肢体を馬に四方に引かせて八つ裂きの刑に
したと聞いた時は、インカの民族が従順で教会を焼き討ちにする事も無く、
その侵略者の教えを受け入れたと事の寛容さを感じました。

私が45年前にボリビア国境のアルゼンチン、サルタ州で農業をしていた
時代、当時ボリビアから来たスペイン人の血を引く人間が町の中央でインジ
オ相手に大きな店を開いていました。

ある日、町にトマトをトラックで長距離トラックに積み替えする為に来て、遅
くなり夕食をバーで食べていたら、その男がこれ見よがしに私を見て、酔っ
た勢いか、卑下した言葉で何か言っていましたが、私も空きっ腹で飲んだ
食事のワインで酔って、少し離れた所のテーブルに座っていた男に近寄り、
眉間に拳銃の銃口を突き付けて、

「お前は酔ってインジオと日本人の違いも分からないようだが、そんな口を
日本人に効くとどうなるか教えてやろうかー!」と脅しました。

子供の頃から私の目が鋭くて怖いと言われたことがある目です、相手の目
を狙う様ににらむと同時に拳銃の撃鉄を起こしました。

10歳以上も年上の男ですが、一瞬凍った様な姿になり、小声で「わるか
った・・、謝る」と答えました。
時間にしたら15秒ほどです、当時の私は心の中に
「なめるんじゃーねー!」という対抗意識がありました。
若い頃の遠い時間を振り返って思い浮かべると、今から思うと多くのところ
で喧嘩を売ったことになると思います。

しかし多くの白人種が私を含めて日本人という人種を見直したと感じます、
戦前に移住した日本人が「真面目で正直で働き物で」と言う印象が、か
なり変化したと思っています。それと・・、

当時の南米では第二次大戦の記録映画などを良くテレビで放映していまし
たが、彼等が目にしたテレビの画面で、アメリカ海軍の空母に突入する神
風特攻隊の凄まじい戦闘機の様子を覚えていたと感じます。

私の容貌は日焼けして、現地の服装でインジオと間違われる事がありまし
たが、彼等が日本人も中国人も韓国人も見分けがつかない事であっても、
日本人と分かるといきなり態度が変わったことが何度もありました。

しかし、49年前のアルゼンチンと去年訪れたアルゼンチンではかなり様子
が変化していたと感じます。それは現在、中国人がアルゼンチン国内に
8万人近くも居住して、韓国人もこの49年間に日本人移住者の総数の何
倍もの数が住み着き、過去の第二次大戦から年月を経て、日本人の価値
観が変化したと感じました。

それは同じボリビア国境のアルゼンチン、サルタ州を去年旅をして大きく
変化した様子を見たからでした。なぜならその地域の日本人の数が昔より
減っていたからでした。
2世、3世も都会に出て居なくなり、また日本に出稼ぎに出て帰ってこな
くなったからでした。
全て月日の流れです、時間は止まることなく過ぎて行きます、価値観も人
種的な対立も変化して、それに宗教的な価値観と国家觀を交えて過去の
出来事も消えていったのです。
今では人種的な数の量で、勢力が測られ、それで伸びて行きます。

経済的な力だけでは日本の国力が海外での存在感は増えないと思います。
口で叩かれ、さげすまれても確実に人口的に中華民族の増殖は確実に繁
栄という道を歩いていると感じます。

その様子は異国の墓地の石碑に刻まれた名前が象徴として幾百年と石に
残ると感じます。
サンフランシスコ郊外のコルマの墓地群を見ると、中国人達の墓石の列に
歴史と時間と、彼等の逞しい繁栄のシンボルを感じます。

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