私の還暦過去帳(397)
欲と破滅
そろそろ33年も昔です、私が知り合った女性でしたが、近くでしたのでそ
の方が子育てを終わり、不動産ブローカーの仕事を得て、最後は全てを
無くして失踪された人でした。
中国人のその女性はかなりの教養もある方でした。ご主人は最先端のIT
の研究員でかなりの収入も有ったと聞きました。
その方が私に紹介したのは当時、香港や台湾、シンガポールなどからア
メリカに投資をする方や、移住して来てサンフランシスコ周辺に不動産を
購入する人の仲介をしていたようでしたので、多くは裕福層の投資家や
移住者でした。
それらの方々は全員中国人か華僑と言う人達でした。台湾からの人も沢
山居ました。不動産を購入しても、商業物件などは管理人が必要でしたが、
小さいアパートやオフイスビルなどは、私のような何でも屋で、簡単に管理、
修理などをこなせる人間を探していました。
そこから付き合いが始まりましたが、香港を中国に返還する前が、一番多
くの管理物件を私の仕事に得ることが出来ました。
その様な仕事が増えると、中国人や特に台湾人たちの間で、日本人と言
う事で信頼され何でも任される事もありました。
移住してして来て、先ず不動産を購入したら車です、詳しく比較した車種
の性能を教えて、中古車になったときも良い値段で売れる車種を紹介い
たしました。
台湾人が懸念していたのは、香港が返還されると次は台湾になるかもし
れないと言う事を考えての資本移動でした。サンフランシスコ周辺は中国
人でも広東系、シンガポールから華僑という、広東系の人達が多く移住し
て来ていました。
ベトナム人や中国系ベトナム人も町を作るぐらいの大きさで、ショッピング
センターもサンノゼにあります。
私が知りあったその女性は、ビジネスが繁盛してかなりの収入もあり、
オフイスでトップの成績を何度も取っていたと聞きました。
当時はリンカーン、コンチネンタルの高級車を乗り回していました。
良く中華料理屋でふと声がするので見回すと、大きな食卓を占領して何人
ものお客と会食しているのを見た事が有ります。
その頃が一番盛況な時期だったと思います、彼女が住んでいた地域は
かなりの良い住宅地区で家も大きな邸宅でした。
その隣の家が私が長く管理していた家で、主人は大規模に手広く不動
産管理会社と保険会社の代理店を持ち、オークランドにはオフイスも構
えていました。
そんな関係で色々なノウハウを教えて貰い、時には私も近くの現場では
修理なども手助けいたしましたが、ある日、その家で仕事をしていたら主
人が出て来て、隣人のトラブルを教えてくれました。
隣の中国人のご主人が家を出て行って、別居したと話していました。
二人の子供達も大学を出て一人は就職して、あとの一人は自分で独立
して生活して居ると話していましたが、子供達が親が別居して別れた時
に、荷物を取りに来て私に話してくれたと言っていました。
家庭崩壊です、それもブラック・マンデーの前に、バブルで不動産の活況
の時期にその女性が中心となり、オフイスビルにかなりの人達の資金を
集めて投資してそれが、もう少し、後わずかでもっと値上がりすると、投資
家達を引きずり、バブルが弾けて全て暴落して、その不動産ローンも支払
い困難となり、債権者に追い回され、家には石を投げられ、抵当で入れて
いた不動産は全て差し押さえられ、一時は自宅にも裁判所の張り紙がし
て有りました。
その頃はフォードの一番安い乗用車のピントという中古車に乗車していま
したが、それも故障して動かなく、自宅の前に放棄されていました。
その後、困った母親を見かねて子供が自分のお古の車を与えていたよう
です。
それも事故を起こして修理する事も無く、ボロボロの状態で走っていました。
ご主人にも逃げられて離婚して、子供達も独立して家に寄りつかない状態
で、家は債権者達に投げられた石で窓ガラスは割れ、それをダンボール
で塞いでありました。
ゴミ代が払えず、ガレージの中にはゴミが袋に入れて重ねてあり、ペイント
は剥げ落ちて寒々しい様子でした。嵐の時期に家の横に植えられていた
松の大木が、枝降ろしも出来ない状態で、屋根に大木の枝が嵐の大風で
穴を開けて、ブルーシートで塞いでありました。
毎週、隣の不動産管理会社の社長さん宅に行きますので、その様子が手
に取るように分かります。そして色々な情報もその社長さんが教えてくれま
した。
その方には、不動産関連の仲間が沢山居るので、情報は直ぐに知る事が
出来たようです。なぜか・・、彼女が金・金・・、と儲かるからと走り回ってい
た時代を思い出していました。
私が用事でオフイスを訪ねていくと、大きな部屋を貰い、デスクの前で電話
で話して居た姿を思い出します。
彼女を最後に見たのは、最後まで奮闘して所持していた家も、債権者に
裁判で差し押さえられ、競売されて、住宅の玄関に退去命令が張られて、
僅かな荷物をガレージから出して事故でボロボロになった、子供から貰っ
た車に荷物を積み込んでいる時でした。
ガレージにはベッドや家具がそのままコンクリートの床に並べてあり、そば
にはゴミ袋が山と積んで有りました。
その時、隣の不動産管理会社の社長宅で仕事をしていたのですが、何度
か車をスタートする音がしていましたが、エンジンが掛からず困っている
様子でしたが、最後にやっとエンジンが始動して、表の道路に出て、車の
窓を開けて自宅をしばらく眺めていましたが、ハンカチを取り出して涙を拭
くと走り去って行きました。
ガレージの家具類はそのまま放置されていました。
私は空しい気持ちで物陰から見送りましたが、仕事が終わり自分のトラッ
クに戻ると小さな蘭の鉢が車のボンネットに置いてあり、メモが残されてい
ました。
『お世話になりました、もし良かったら育てて下さい。』と書いてありました。
その後、風の便りで、一時期は弟の家で世話になり、それからどこかの宗
教団体に参加して、そこの農場で生活していると聞いた覚えがあります。
それにしても自分の金銭欲で家族離散して、人生の破綻までしなくてはな
らなかったか?私には今でも考えさせられます。
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