2013年8月14日水曜日

私の還暦過去帳(407)


アメリカの日本町は何処に消えた・・!

現在では世界の人口流動は決して無視できない流れになっています。

アジアの後進国からアジアの先進国に職を求めて、自由を求めて、希望
を求めての移動が起きています。
南米、中米などからのヒスパニック系がアメリカに向けて、これも職と希
望とアメリカーン・ドリームを賭けて移動が間断なく続いています。

EUの様に国境が事実上取り払われた状態では、雑多な移民の流れと
定着と同時に排他的な、そこの国のネイティブの民族からの拒否反応も
出て来ていますが・・・、

ここアメリカでは、近年に入り、難民での移民が急増して、先住民族の
アメリカインデアン達の力と団結力を持っても、アジア系の移民や難民
の流れれを止める手段は少ないと感じます。

アメリカでも少数民族の人口差が激しくなり、ヒスパニックとアジア系が、
アメリカのネイティブと言われる人種的と民族的な格差となっています。

そして民族の勢力範囲と政治的な力の均衡も破れてしまいました。

チャイナ・タウン、(台湾系、香港系、広東系、華僑系などの
          特色があります)
リトル・サイゴン、(サイゴン陥落からのベトナム脱出者達が
          集まり町を形成する)
コリアン・タウン、(蔑称ハングル・タウン)韓国人達が英語
          の看板を出さずにハングル文字で押し通
          すから・・、
コーラン・タウン、(必ず街中にモスクがあり、コーランの声           
           が聞こえる)
リトル・カブール、(コーラン・タウンに酷似していますが、
          宗派やアフガンの大きな特色があります、)

ロス・セグンドシュダー・デ・メヒコ(ロスはメキシコの第二の首都)とか
話しているのをメキシコ人から聞いた事が何回もありますが、メキシ
コ人いわく、昔はメキシコの領土だったと聞かされます。

以上の様な新たな名前の町が出現していますが、逆にジャパン・タ
ウンなどは場所によりコリアン・タウンとの別称で呼ばれる様になりま
した。
特に発展凄まじく、規模が大きいのはベトナム人の集まるリトル・サ
イゴンのショッピングセンターです。
まるでサイゴンの市場をカリフォルニア州のサンノゼに、そっくり引っ
越して来た感じです。誰が見ても正直驚きます。

ショッピングセンター内では、フランス風菓子やケーキなども販売さ
れ、ベトナムコーヒーを入れて、食べている姿を見ると、彼等の活動力
があり、その人間の数も凄い人数と感じます。

それにしたら、カリフォルニア州のサンノゼにあるジャパン・タウンなど
は過去形で呼ばれます、『戦前の昔はここは日本町だった・・』と、言
われ、パラパラと残る昔からの店も侘びしい限りです。

サンフランシスコの日本町も近鉄企業の撤退でショッピングがユダヤ
系の企業に売り払われて、そこに急激に伸びてきた韓国系の商店、
レストランなどに占拠されて、陰口では『コリアン・タウン』と別称され
ています。

これも時代の『栄枯盛衰』は、遠くは祖国の政治と教育とが作り出した
と感じます。

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