2013年8月24日土曜日

私の還暦過去帳(413)


夏の思い出、

今年も7月に入り、暑い日が続くようになりました。
暑い日に思い出す事は、灼熱の南米の乾燥内陸地帯の暑さです。
しかし、南半球ですから季節が日本と正反対となります。日本の冬が南米
は夏になります。

農場では朝は11時になると昼休みに入ります、午後3時近くからまた仕事
を始めますが、暑さのピーク時には、これしか作業が出来ません。
暑い直射日光の下では、蟻でさえ歩いては居ない様な暑さです。

農場の周りのジャングルもシーンと静まり返り、鳥の鳴き声一つ聞きません。
沈黙の真昼の光景です。 世界が灼熱で死んだような雰囲気も感じられます。

人間が我慢出来る温度は幾ら慣れていても、42度程度までで、それ以上
は身体がきつくなります。
何もしないでジッと涼しい風通しの良い木陰で昼寝していれば、何も問題
はありませんが、畑で作業となると少し動くと、汗と土に反射する太陽が
搾り出す水分で、喉の奥から干上がって来ます。

20リッタ入りのタンクで専属に水置き場から定期的に運んで来ますが、人
数が多いと、その20リッタもアッと言う間に飲み干してしまいます。
直ぐに少年の水運びが背中に背負ったカゴに入れて水を汲みに行きます。
畑で作業しているトラックターも灼熱の太陽でのびてしまいます。

農場で使用していたトラックターはドイツ製で第二次大戦には戦車のエン
ジンとして使用されていた、デウス社の空冷ジーゼルエンジンでした。

サハラ砂漠の過酷な灼熱の太陽が照りつける戦場で、その耐久性が多くの
兵士に認められていたエンジンでした。
連合国軍の兵士も捕獲した車両を使い、その優秀性を確かめていたエンジ
ンでした。
デウス社のトラックターは現在ではドイツ・ファール(DEUTZーFAHR)と名前
が変わって居ますが、冷却水を使用しない空冷ですからオーバーヒートは
致しませんし、構造が簡単でフアンベルトが切れない限り動いてくれました。

大陸性の夜、氷点下に冷え込む温度でも不凍液などの心配もなく、朝冷え
切ったエンジンも1発で起動していました。

農場では3台のデウス社のトラックターを使用していましたが、中の一台は
4気筒の空冷ジーゼルエンジンのトラックターでしたが、まるでジープ代わり
に酷使して畑や砂利道の荒い山道を走ってくれました。

町からの帰りにジャングルの覆いかぶさる木々の下を、空冷のポコポコと
いう乾いた音を響かせて走り抜けて行く様を今でも忘れる事が出来ません。

時々道を横切るガラガラ蛇を発見すると、追い掛けて薮の中までトラックター
で追い掛けて轢き殺して持ち帰り、陸ウナギとして蒲焼にして、酒のつまみ
にしていました。

醤油と粗目の砂糖に貴重なミリンを混ぜて煮立ててアクを取り生姜などを
摩り下ろしてタレにして焼いていましたが、インジオは絶対に美味しいから
と勧めても食べませんでした。
一度などは捕獲したガラガラ蛇のお腹から、大きな野鼠が出て来たのには
驚きました。
その空冷エンジンのトラックターが、夕暮れの日が落ちて涼しくなった頃か
ら畑の土お越しをしていました。
ライトを付けて夕暮れの涼風が吹き始めた頃に トコトコを土お越しをしてい
る音を聞ながら、火酒のコップにレモンを絞り、灯油冷蔵庫で出来た僅かな
氷を入れて、チビチビと飲む酒は暑気払いには良いものでした。

日が暮れて生気を取り戻した農場では、生ぬるい河の水に入り水浴したり
していました。
皮膚に塩が吹くぐらいの身体では、汗臭い臭いがあたり前の事でした。

その汗臭い姿で、口にくわえたタバコ・ネーグロという強烈な葉巻の臭いは
10m先から、マタッコ族のインジオと分かるくらいでした。

森の狩猟民族のマタッコ族と河岸に住む農耕と魚獲りのチワンコ族では、
日に何回も水浴びして、寒い冬でも水浴びする奇麗好きなチヤワンコ族と
の体臭も、夏になれば直ぐに嗅ぎ分ける事が出来ました。

過酷な夏の日でしたが、土蔵の様なアドベの日干し煉瓦を使った家では、
土間に打ち水をして窓を閉めてから昼寝をしていました。

電気、水道も無い生活でしたが、我慢強い精神をそこで鍛えたと思います。

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