2013年9月18日水曜日

私の還暦過去帳(424)

来る歳、去り行く歳・・、

また新年を迎え、新しい年が始まりましたが、この時の流れを身体で感じる
事は時代の流れです。

私が住んでいるサンフランシスコ郊外のケーブルTVでも毎日、日本語放送
を見る事が出来ました。去年からそれが全体的に変り、日本語放送も短縮
され、削除されて、今では有料か、限定された日本人が多く住む地域だけし
か見る事が出来ません。

それまでは朝晩、日本の最新ニユースを毎日見ていたので、当初は寂しい
思いでした。
他の中国語では広東語、北京語、台湾のテレビ番組はいつでも見れます。

韓国語のテレビもサンフランシスコ市内でしたら、常時見れるようですが、何
か勢力範囲が交替したと思います。

日本語放送がなくなったのは、それだけコマーシャルに参加する企業が少
なくなったと感じます。勿論商業放送ですから、そのスポンサーが居なけれ
ば営業が出来ません。それだけ日本企業が衰退したと感じます。

昔は一日遅れのNHKの紅白も見られたのでしたが、それも無くなりました。
当時は大勢の商店や会社、企業などがスポンサーでした。

衛星放送のテレビ・ジャパンを特約すれば日本語放送を常時見れる様にな
りますが、今はそれを見る時間的余裕がありませんので、無駄ですから契
約には躊躇致します。

南米では何処でもその衛星日本語テレビ放送を見ることが出来ましたが、
現地の契約額にしたらかなりの金額になると思います。

南米パラグワイのエンカナシオンで、日本人が多く泊まるホテルでは、衛星
放送を部屋のテレビで見る事が出来ました。
ホテルのベッドに寝転んで、NHKの国際ニユースなど見る事は、47年前
の事を思い出すと隔壁の隔たりを感じていました。

当時はNHKの国際放送を短波ラジオで聞くぐらいが楽しみでした。
特に年末の紅白歌合戦などは真剣に、ラジオの前で聞いていた思い出が
あります。

それにしてもサンフランシスコで発行されていた日本語新聞も読者が減っ
て、企業と商店の広告が減ったようで二年前に廃刊されました。

地元の日系ローカル・ニユースが途絶した事は困ります。これも時代の流
れですから致し方ありませんが、何か日系社会が、日本人が衰退していく
思いが致します。
私が永年参加していた福岡県人会も一世達が居なくなり、去年解散いた
しました。

それからしたら、韓国のハングル文字が何処でも見られ、またハングル
文字だけの看板も、このアメリカで通用させる韓国人達の根性には驚き
ます。
サンフランシスコの日本町も、今ではハングル文字が目立ち、コリヤン・タ
ウンと言う別称でも呼ばれています。
あの独特の韓国焼肉の香ばしい、甘ったるい匂いがランチ時間でも漂っ
て来ます。

栄古衰勢のこの世の中、時世の波に乗り栄えてまた衰退していくのは致
し方ないこと、そのサンフランシスコの日本町を建設して所有していた近
鉄が全ての資産をユダヤ系の企業に売却して撤退して行きましたので、
韓国系、ベトナム系、中国系の盛況さと比較すると少し寂しくなります。

昔は多くの日本からの留学生達が日本町に遊びに来て、食事して、紀伊
国屋の本屋などで週刊誌など立ち読みしている姿を沢山見ました。
学生達の姿も、それも少なくなり、日系のモールに出店している店が減り、
韓国系や中国系に代わっています。

アルゼンチンのブエノス市内でも韓国人達の町が出来ていたのには驚
きましたが、そこの朝鮮焼肉は、どうした事か世界でも有名な食肉生産
国でありながら、貧弱な事には少し驚きました。
私が47年前にブエノスに居た時代は、韓国人の人口は4桁に達しない
極僅かな居住人口でしたが、今では日系社会を追い抜いているという話
を聞いて、さもあらんと感じたのでした。
来る歳、去り行く歳・・、栄古衰勢、輪転再生の俗世の流れ、栄える者は
いつしか衰え、衰退していく運命と感じます。

それにしてもその事が我が目で見て、身体で感じる事が出来る世の中
には、一抹の寂しさを感じます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム