2013年9月4日水曜日

私の還暦過去帳(418)

 私の遠眼鏡、

遠眼鏡と言っても、双眼鏡の事です。

南米に移住する時に、かなり上質な小型双眼鏡を免税店で買い入れて南米
に持ち出しました。
これは優れ物で、移民船に乗船して居る時も、沿岸部を航海するときなど、
景色などを見るのに大変に役に立ち、またイルカなどが船と平行して群れで
走る様などは手に取るように眺める事も出来ました。

船員さん達も私の双眼鏡を見て、『これは使えるものだね・・、』と言ってくれ
た倍率とシャープな映像が見える双眼鏡でした。

皮のケースに入り、レンズカバーとレンズ拭きも備えられ、首から掛けるよう
に革紐もついています。
今年で50年目となりますが、いまだにレンズに曇りも入らず、新品の様にし
ていますが、当時の製品としては免税店に置いてあった物ですから、海外
向けの高級品と思います。コンパクトで軽く、その当時の双眼鏡としては有
名品だった様です。

アルゼンチンのサルタ州で農業をしていた時代に、娯楽と言えば魚釣り、
狩猟、酒飲などのお決まりでした。酒を飲む事は、若い仲間で集まり勿論の
事に、若い彼女達も入れてドンちゃん騒ぎに近いことをして飲んでいました。
早く言えば馬鹿騒ぎです。

狩猟ではインジオのガイドが付いて鳥屋撃ちと言う様な、木の上に小さな
隠れ場所を作り、そこに獲物が出て来るまで隠れて居るのですが、インジ
オが犬を使い山豚などを追い出して来るのを待っていました。

そんな時に私の双眼鏡は大変役に立ちました。余り日が刺し込まないジ
ャングルの木陰で、保護色に紛れてうごめく獲物は肉眼では中々見分け
が付かないのですが、私の双眼鏡で見ると、はっきりと浮き出た様に見え
ましたので、重宝していました。

時にはチャワンコ族が河岸で水浴びするのを、遠くから木陰で見る事が
出来ました。双眼鏡で見ると手に取るように見えますので、当時の私の若
い時期には、ありがたい双眼鏡でした。
特にチャワンコ族はかなり寒くても必ず、一日一度は水浴びしますので、
若い可愛い子は良い目標でした。

大抵洗濯を河ですると、それが終ると同時に水浴びもしていたようでした。
着ていた物を脱いで、水浴びして新しい洗濯した服に着替えて帰って行
きました。小麦粉色に日に焼けた肌と、黒髪の永い髪の毛が今でも思い
出されます。

ピーマンの畑で鹿が夕暮れの闇を透かして畑を荒らしに来ていましたが、
ぼんやりと遠くに見える景色の中に、微かに動く鹿の映像を私の双眼鏡
は捉える事が出来たので、ライフルに狙撃スコープを付けて狙い撃ちに
していました。
特に鹿などはまだら模様の迷彩色ですから、遠くのジャングルの中では
見分ける事は困難でした。
ピーマンの畑などでは鹿など2~3匹が来て食べられると、かなりの被害
になります。双眼鏡で鹿を発見すると、大体の距離を測り、弾の有効距離
まで近寄って、時には暗くなった中で獲物を倒していました。

銃声が響くと、インジオが直ぐに来て、ジャングルの側で内臓を出して、
その場で処理してくれました。
肉だけに下ろして、上質部分の肉を貰うと、後はインジオに渡していまし
た。バナナの葉などに包んで肉を持ち帰り、フライパンにサラダオイルと
にんにくを泳がせて、鹿肉ステーキなどにして食べていました。

忙しい時は若いインジオに双眼鏡を持たせて看視させて、単発のライフル
を持たせて鹿を狙撃させていました。たいてい弾は2発か3発ぐらいしか
与えませんが、彼等は上手に1発で、鹿一頭を倒していました。

アメリカに来て、簡単に射撃が出来るので、近所の射撃場に週末などタ
ーゲット射撃に行っていました。
10分間射撃があると、しばらく休憩になり、その間標的用紙を交換した
り、射撃台の廻りに飛んだ空薬きょうの回収で、拾って集めたりしていま
した。
また、ベンチに座り近所の射撃している人の標的などの黒点を双眼鏡で
見ていました。上手な人は中心にまとまって穴が開いていますが、下手
な酷い人は殆どポツポツしか穴が開いていなくて、何処を狙って撃って
いるかと感じる程でした。

自分の高倍率の双眼鏡で見ていると、面白い様に他の射手のスコアま
で数える事が出来ました。
秋晴れの天気の良い日に双眼鏡をロッカーから取り出して、裏庭から
見える近所の大木の梢に鳥が巣を作っているのか見ていたら、何か昔
の光景が心の中で大きな音を立てて撒き戻されているような感じを受け
て、走馬灯の様に、クルクルと懐かしい思い出となって見えた様な気持
ちがいたしました。

50年目のこの双眼鏡は、私の思い出の青春が詰まった、遠眼鏡の様
に感じます。

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