2013年9月2日月曜日

私の還暦過去帳(417)


昔と今の時代の流れ・・・、

近頃はスーパーなどに行っても、買い物数が少ないと、セルフサービスの
レジに行って、支払いを致します。
周りを見ると若い人が多い感じですが、歳寄りは余り見かける事はありま
せん。
近所のスーパーでは、先ずお得意さまカードをスキャーンして、入力いた
します。その後に品物を一つずつバーコードをスキャーンして計算いたしま
すが、果物などは、ラベルに書かれた数字をスクリーンに指先で押しなが
ら、入力して価格を出します。
女性が一人で6台ぐらいのレジの面倒を見ていますが、僅かな買い物の
人は便利なレジと思います。

アメリカや日本の様に商店やスーパーなどに物が溢れている所ばかり見て
いるとそれがあたり前で、感覚的に麻痺してしまうと思います。

昔の時代、買い物や、商売は現在と比べるとかなりの差が有りますが、
5年前に南米各地を46日程度歩き回って、南米のチリやペルーの田舎
の市場で、雑貨や家電の安物が全てと言っても良いくらい、中国からの輸
入品でした。

4920mの峠を越してたどり着いた、チバイ峡谷の小さな町で、そこの
市場で売られて居た時計や工具類は全て中国製で、驚いた事がありました。
中古のトラックは日本の看板をそのまま消さずに、XX運送株式会社など
と書かれた侭の姿でした。
はるばると日本から運ばれて来た中古車ながら、こんな田舎の小さな町で
動いていると言う事を見て感心した事が有ります。

49年前にパラグワイに移住してから田舎に行って、アルマセンと言う雑
貨屋に行き、買い物をしようと店内に入ると、豚肉が天井から吊り下げら
れ、無造作に木からもぎ取られたオレンジが大きなカゴに入れてあり、砂
糖などは一種類で、秤売りでした。
食用油、缶詰類、タバコ、ほんの僅かな医薬品と言っても、アスピリン程
度ではなかったかと思いますが、片隅に置いて有りました。

豚肉とバナナは並べて吊り下げてあり、後は玉ねぎとイモ類があるぐらい
で、酒と言ってもカンニヤーと言う焼酎に似た酒と、ビールでした。
ビールも大瓶だけで、余り冷えない灯油の冷蔵庫に入れてありました。

これだけでも金を出せば買えるのですから、我慢しなくてはなりません、
一度などは驚いた事に金よりも、何か交換出来る物はないかと聞かれた
時は驚きました。
勿論の事に、日本から持って来た雑貨類や、衣類などです。

一番高く売れたのが何と・・、当時発売されたばかりのガスライターでした。
噂に聞いていたので、私も安いガスライターを持っていました。

ライターとガスボンベを付けて売りましたが、初期の重い、かさばるライタ
ーでしたが、ブラジルでも、アルゼンチンでも売れ売れと言われましたが、
勿論の事にパラグワイなどは、目を輝かせて『試させてくれ』と来ました。

なぜ売れと言わないのは、見ただけで高級で値段も高価と感じたからと
思います。パラグワイの物価からしたら、借りて試す方が良かったと思い
ます。

カメラも二台所持していましたが、スナップ・カメラのかなり古い方を売り出
していました。
パラグワイではおかげで安いカメラが、モーゼルのブルームハンドルの
大型自動拳銃に代わりました。ガスライターは機械彫りの奇麗な模様もあ
り、見たくれは高級品でしたので、日本で買った10倍近い値段で売れま
した。
日本製の作業用地下足袋は、これも日本で買う値段の3倍ぐらいで売れ
た記憶があります。日本人の方に譲ったのですが、南米相場値段のよう
でした。南米ではその当時、日本製のラジオが高級品として売られていま
した。
特にソニーの製品は日本人から何度も売ってくれと頼まれました。
私がソニーの最新携帯式ラジオで日本語の短波放送を聞きたいと計画し
て、持参していた物でした。
パラグワイや、アルゼンチンの奥地で、NHKの海外放送が鮮明に聞こえ
るのですから、それを聞いて、欲しくなったと思いました。

小型の持ち運びも簡単に出来る、電池でも普通の電源でも使える便利な
ラジオでしたので、当時は白黒のテレビでもチャンネルも3局ぐらいでした
から、ラジオでも貴重な存在でした。
そのラジオは私が南米滞在中も、日本に帰国しても使用していましたが、
母が裁縫する時にテレビより、音楽が聞けるラジオが欲しいと話していたの
で、母にプレゼントした思い出があります。
今では全てが様変わりして、時代の代わり様にただ驚くばかりです。

南米を旅行した時、辺ぴなパラグワイの田舎町で、衛星放送でNHKの
国際放送を食事しながら見れたことです。
その番組からは日本流行の歌謡曲が流れ、鮮やかな色彩のショーが写し
出され、食堂のテーブルで、憩いの一時を楽しめる放送には感無量の感
じでした。

48年も昔、移住地を巡回して日本映画を上映して廻っていたのを覚えて
いますので、沢山の移住者達が憩いと日本の娯楽に飢えて、野外設置
のスクリーンを見ていたのを考えると、時代の流れを感じられました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム