2013年10月25日金曜日

私の還暦過去帳(438)

 航空券の今昔物語、

飛行機での旅行も、今では誰でもが搭乗できる価格で、手軽に利用し
ています。
50年前、地球の裏側、南米のサンパウロまで行くのに、日本の田
舎で家が一軒買える値段でした。外交官や商社関係のお偉方など、
上層部の特権階級の人達でした。

飛行機もアラスカのアンカレッジで給油して、二ユーヨーク経由でフロリ
ダやリオなどにストップしてからサンパウロまで飛んでいた航続距離が
短いジェット機でした。

その頃の日本航空などでは、アメリカに飛ぶだけでも、ショルダーバッ
クにJALのロゴ入りの旅行カバンが送られてきた時代で、それを肩に下
げている事は、ある意味で地位のシンボルとも成っていました。

今では下手をすれば、航空券のチケットさえありません、インターネット
で予約購入すると、自分で、その予約チケットをコピーしてか、IDナン
バーを記録して飛行場の受付カウンターに持って行きます。

昔ですが、メキシコ行きで、サンフランシスコの国際飛行場のユナイテッ
ドのカウンターに行くと、おばさんが立っていて、貴方はEーチケットか
聞きますので、そうだというと、ここに並んで搭乗手続をするようにと言
うので、見ると現金引き出し、ATMマシーンの様な機械がずらりと並ん
でいました。

まずタッチ・スクリーンで言語の選択です。あるわ・・、あるわで主要の
世界各国の言語が選択出来る様になっていました。

日本語を押すと、瞬時に全て日本語の標識に変わり、パスポートか運
転免許証、貴方が使ったクレジット・カードをここに挿入して人物確認を
するように機械が指示です。

OKと、納得してそこにクレジット・カード挿入すると、貴方の名前はこれ
ですか?と聞きます。

OKとスクリーンを押すと、同乗者はこれですか?とワイフの名前が出て
来ました。それもOKと押すと、荷物は何個有りますか?と聞きますので、
一個とタッチ・スクリーンを押します。

荷物代として15ドル別にチヤージしますと来ました。これもOKのサイン
を出すと何で支払いますか・・、と瞬時で聞いてきました。
クレジットカードと押すと、貴方が登録した同じカードでOKかと聞きます
ので、それもOKと押します。

カチャカチャと機械が動く音がして、ぺらぺらの搭乗券と荷物代のレシート
が出て来ました。側で係りが荷物をここに持って来いというので、秤に載
せると、これもOKとすぐに荷物の受け取り半券を押し付けると、これで
全部搭乗手続が終ったので、直ぐ先に搭乗セキュリテー検査所があるか
らそこに行くようにと、先ほどのおばさんが指示です。
10台ぐらいの機械を、一人のおばさんがこなしています。

何とあっけない、事務的で、機械的で、ところてん式です、会話も昔のよ
うに搭乗手続が終ると、可愛い女性がニッコリとして、『では良いバケー
ションを楽しんで来てください・・!、またの搭乗をお待ちいたしております』
とかの言葉に送られて、ほんわかとバケーションの出だしをくすぐってくれ
たのですが、今では無骨な混雑時だけのパートのおばさん風の係りが、
混雑するので先にドンドン進んで下さいで、その場を追い出されました。

まさに早くて便利ですが、機械と会話しながらの、まるでロボットに指示さ
れている感じですが、これも現世の定めとあきらめて、そこをバイバイと
追い出されました。

昔ですが、国際線はまだ日航が一社の時代、全日空は国内線専門の時
代でしたが、当時は日本政府のバックアップもあり、日本の神武景気とか、
日本の経済が凄い勢いで伸びていた時代でした。

華やかな時代で、サンフランシスコの日航搭乗受付カウンター近くの歩道
には、日本航空のハッピを着た係りが二人ぐらい居て、車が止まると飛ん
で来ると、『日航のJALに御搭乗ですか・・!』と言うと、荷物をひったく
るようにして、『こちらです・・!』と日航カウンター前まで荷物を運んでく
れました。

アー! 時代が変わればサービスまで落ちて、落ちる先が破産の再建会社
まで落ちるとは、誰がその当時予測したかー!

昔の一世達が祖国日本の日の丸と、鶴の日航機尾翼のシンボルマークを
見たさに、サンフランシスコの飛行場まで出かけた時代は、時が過ぎ、去
り行き、思い出の彼方に消えて行ったと思います。

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